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第七話 邂逅

拝殿の一角に置かれた桐箱を手に取り、奏貴は床几の上に置いた。

自身は床に跪きながら恭しく桐箱の蓋を開けると、中には時代を感じる色あせた巻物がいくつも納められていた。


「これがな、杵築家が脈々と受け継いできた家伝書だ。ここには、わしらが大国主大神の子孫であると記されとる。そして、その証として、『杵築』の姓を名乗ることをお許しいただいとる、そう書かれとるんだ」


出雲大社は古代より杵築大社と呼ばれており、明治期に現在の出雲大社へと名称変更された。

その古代の大社の名を姓にして、大国主大神を代々守護してきた。


名前に付けられた「貴」は、大己貴(おおなむち)命の一字を授かったのであろう。

父が奏貴、祖父が貴房、曾祖父が重貴…と、家系図で分かる範囲で男子には「貴」が使われている。


「大国主大神はな、国をお譲りになられたのち、今の出雲大社にお隠れになったが、この神社へと御魂分けいただき、子孫であるわしらも、代々、大切にお守りしとるんだ。国が危機に瀕しとる今、こうしてお前が、ここへ戻って来れたのもな…それもまた、神さんの御導きなのかもしれん」



初めて父から明かされる自身のルーツに、自分とは無関係な絵空事の話を聞いている錯覚に睦貴(むつき)は陥っていた。


「わしがお前に渡した勾玉、あれは今も持っとるか」


睦貴は黙って頷き、胸ポケットから勾玉を取り出して父に見せる。


「これはな、わしがまだ若かった頃、父に…お前から見れば祖父になる人だが、授けてもらったものだ。ある日のことな、その勾玉を懐に入れたまま、本殿を清めとった時、ご神体の前に、大国主大神がお姿を現されてな」



家柄からか、オカルト話は嫌いではなかった睦貴だが、まさか神職である父からこのような話を聞くことになるとは夢にも思わなかった。


「驚いた、なんてものではなかったわ。これは見てはならん、と、咄嗟に平伏したが、恐る恐る顔を上げた時には、もう、どこにもおられんかった。慌てて父に話をしたらな、わしらは代々、その勾玉を通じて、神さんとお繋がりしとるのだ…そう、父は言っとった。父もまた同じように、大国主大神の御姿を拝したことがあるともな」



地元を離れる際、父が強引に睦貴に渡してきた勾玉のお守り。

無理やり持たせられ、気味が悪いが無碍にもできない、という理由で無造作にポケットに放り込んでいた。

この話を知っていたら、もっと大切に保管していたはずだ。

今まで紛失しなくてよかったと、心の底から安堵し、大きく息を吐いた。


霊験や加護があるという以上に、この勾玉が神々へのアクセスキーになっている可能性が高いことが予想される。


「父から子へと、途切れることなく受け継がれてきたものだ。今、この状況が神さんの御導きであるのなら…お前を、神さんが呼んでおられるのだろう」


独り言のように呟いた父は、いつもの穏やかな表情に戻っていた。

年齢を感じさせない美しい所作で立ち上がる。


「さあ、本殿へ行こう。お前自身の目で、その答えを、確かめてみるがいい」






拝殿を出た睦貴は、父の先導により拝殿の裏にあるひと際大きな神殿へと向かった。



これから向かうのは、限られた神職以外は立ち入ることの許されない本殿である。

この神社を代々守ってきた血族の睦貴でさえ、中に入ることはおろか近寄ることすら禁じられていた。


「実際にここまで入ってみると、体がなかなか堪えるだろう。これがな、神威ちゅうものだ」


その神威に満ちた本殿を前に、睦貴は早くも身を竦めていた。

だが父は、その圧を意にも介さぬ様子で歩みを進めている。

日々神に仕え、この場所とともに在る者でなければ、この威圧と緊張を当たり前のものとして受け止めることはできないのだろう。

神社の息子という立場だけでは、心身ともに耐え切れるものではなかった。


父は祝詞を奏上した後、掛けられた鉄錠を外し、御扉を開く。


「さあ、中へ入って、お前が求める答えを、探してこい」


笑顔で手招きする父の指示に従い、睦貴は歩みを進める。

胸ポケットから勾玉を取り出し、しっかりと握りしめる。






まだ夕日が少し残っているせいか、本殿の中は目が慣れれば神具なども見える程度には明るかった。

睦貴は生まれて初めて入る本殿の天井をまじまじと見つめる。

改めて歴史の古さと、改修の必要性を感じる。


視線を本殿の奥へ移した時――



それは、いた。



いつからそこに存在していたのか、果たして存在という言葉が正しいのかさえも分からない。

目の前には、うっすらと青白く光る理解不能の発光体があった。


未知なるものに遭遇し、睦貴の全身に震えが襲い、鳥肌が立った。

思わず後ずさりしそうになる自身を落ち着かせようと深呼吸をして、一度目を閉じてゆっくりと発光体を見る。



清浄な白い素衣をまとい、肩から背に垂らした髪を簡素に結わえ、風に揺らして佇む人物がいた。

静かな笑みをたたえ、柔和な表情の奥に、威厳と包容とを同時に宿す、老成した人物である。


一見しただけで、常人ではないと知れる。

それは超常現象としての異常ではなく、「ことわり」そのものが、ひとつの形を取ってそこに立っているかのような感覚だった。


それを人々は「神」と呼ぶのだろう。

睦貴は無意識に、それを大国主であると認識した。



空気が、わずかに澄む。

睦貴の荒れた呼吸が、知らず知らずのうちに整えられていく。


畏怖。

しかし恐怖ではない。

膝を折りたくなる衝動はあっても、逃げ出したいとは思わなかった。

むしろ、永く探し続けていた答えが、いま目の前に現れたのだという、奇妙な安堵が胸に広がる。


その視線が、こちらに向けられる。

問いでも、命令でもない。

譲り、結び、なお人の世を見守るために、神代にまで遡る遥か遠い昔から、ずっと在り続けていたのだ。



どのくらいの時間が経ったであろう。

半ば呆けていた睦貴であったが、ようやく少しばかりの冷静さが戻ってきた。

よく観察してみると、何かを語る大国主の声はこちらには届いておらず、全身がノイズで乱れている。

光は強弱を繰り返し、徐々に弱くなっていくことがはっきり見て取れた。


睦貴が声を発しようとした時、目の前の大国主は静かに消滅し、それきり姿が出現することはなかった。




本殿を出た睦貴の表情を見て、父は満足げに大きく頷きながら出迎えてくれた。

神は確かに存在し、その神威が波動となってこの神域を満たしていることを確信した。

そしてその波動が、八咫の開発に一石を投じることになることも、天(Tian)の脅威への対抗策になることも。


「父さん、俺はまだやれる。それがよく分かったよ」


「そうか……それなら、よかったわ。お前や猛が進む道はな、大国主大神が歩まれた道と同じくらい険しいもんになるかもしれん。だけんどな、八百万の神さんのご加護があるよう、わしも、しっかり祈っとるけん」


祈る。

祈りなど無意味、神などいらないと叫んだ少年時代。

その祈りが、これほど心強く感じられることになるとは、ほんの数時間前までは夢にも思わなかった。


しかし、睦貴には心残りがあった。

それは、大国主が何を語っていたか聞こえなかったことである。


「祭神が俺に何かを語りかけていたけど、声は俺には聞こえなかった。今となっては知りようがないけど、何を語っていたのか知れなかったのが心残りだよ」


「ならな、明日にでも出雲大社へ行ってみなさい。この神社でお祀りしとるのは、大国主大神の、ほんのひと欠片にすぎん。総本社の出雲大社ならな、お前が納得できる答えが、もしかしたら見つかるかもしれんわ」


大国主大神を祀る神社の総本社であり、年間で約数百万人規模の参拝者からの崇敬を集める出雲大社。

そして何より、幽世に御隠れになった場所である。


「さあ、今日は家に泊まるだろう?部屋もな、昔のままにしとるけん。今夜は久しぶりに、自分の部屋でゆっくり寝ていきなさい」




神社の消灯を父と一緒に行い、鳥居を出る。

今日は久しぶりに父の背中を流し、一緒に酒でも酌み交わして思い出話や神社の話に花を咲かそう。

石階段を下りる父親の姿は、相応な年齢を感じさせた。


「父さん、足元が暗いから気を付けて下りるんだよ」



そう声を掛けながら時計を確認する。

止まっていた時計は逆回りを始めていた。

どうやら天(Tian)の検知能力が及ばないのは、神域に入っている時だけのようだった。



それが分かっただけでも、今日という日は上々の成果だと、睦貴は独り言を呟いた。


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