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第五話 要塞

内閣官房環境情報調査室に戻った睦貴は、待っていた湊に一部始終を話した。


「実際に攻撃システムによる破壊を見られたのは収穫だった。実態が分からないものには対策の打ちようがないからな。それにしても、もう俺たちには時間が残されていない。発動の最後のキーが何なのか、どうやら俺の実家にそのヒントがあるらしい」


睦貴の話を聞きながら、湊は顔色一つ変えることはなかった。

冷静さを保つ湊に、睦貴は思わず苦笑した。


「室長が最後のキーを持ち帰られるまで、私はシステムの調整を限界まで続けます。発動条件さえ満たせば、即座に実行できる状態にしておきます」


一拍置き、湊が鋭く目を細める。


「もっとも、内閣府がどの情報を根拠に、室長へ帰郷命令を出したのか。個人的には、そこに最も興味がありますが」


言外に滲むのは、警戒だ。

総理の指示か。

それとも、奈緒の分析か。



「出掛ける前に、『底の国』を少し見て行くか」


睦貴はデスクに置かれたコーヒーを一気に飲み干し、湊を伴って部屋を出る。




エレベーターに乗り込み、地下5階を目指す。


環境省の地下五階にある狭い一室が環境情報調査室の書類倉庫になっている。

数名の職員が待機しており、資料の種類に応じて書棚に収め台帳管理を行う。

しかし、今まで誰も閲覧に来たことはなく、職員からは給料の割に楽な仕事であり、定時には必ず帰れることもあって好評だ。


その書類倉庫の奥、「非常階段」と書かれた古びた扉のノブに手を掛ける。

睦貴が手を掛けると、扉からガチャリと重厚な金属音が響き施錠が外れた。

生体波動認証ロックで管理されており、部外者が触れても解錠しない。


扉の中はエレベーターホールになっており、エレベーターは一機しかない。

生体波動認証ロックによるセキュリティゲートは多々あり、このエレベーターも生体波動によって動く仕組みになっている。


睦貴が先に乗り込み、後から湊が目的階ボタンを押す。

ボタンは二つしかなく、「5」と「91」のみだった。



環境省の地下1階から10階は、一般職員も利用する省庁の保管倉庫や防災シェルターとして日々活用されており、どの省庁にもあり得る、ごく普通の施設だ。

ここまでは、外部に対して「見せてもいい」ダミーとなっている。




地下11階から先、そこからが本当の要塞だった。

睦貴たちの環境情報調査室メンバーと、内閣府や防衛相のごく一部の幹部にしか明かされていない。


壁は数メートルのぶ厚い特殊合金で囲まれており、その外側を軽水循環層が取り巻く。


「水と金属の二重構造。放射線も電磁波も、ここで遮断されて地下は影響を受けないはずだ。だが、聖府の電磁パルスならば…どうだろうか」


「理論上は届きません。直上で核が炸裂しても、衝撃と放射線は減衰し、恐らく振動すら体感できないでしょう。ここまで貫通できる兵器は、現時点では存在しないはずです」


睦貴は肩をすくめた。


「存在しないことを祈っておこうか」




さらに下降する。

地下51階から90階。

そこには無数の冷却サーバー群が並んでいる。


公表されている各国のスーパーコンピュータ換算で、数千台規模の同時稼働に相当する演算能力を誇っていた。


巨大な演算装置は、すべて透明な特殊冷却液の中に沈んでいる。

気泡一つない液体の中で、翡翠色のLEDが静かに明滅していた。

それはまるで、かつて日本の里山にあった、美しい夜の川辺に舞う蛍のようだった。


電力は外部だけに頼らない。

超深度地熱と地下水力で、この要塞は地上と切り離されている。




地下91階から100階の最深部が睦貴が直接指揮を執る司令室となる。


睦貴は「底の国」と呼んでいるが、正式名称は「アマノイワト」。

周囲の壁がすべて鉛を練り込んだ特殊石材で覆われ、外部からのいかなるスキャンも物理的に遮断されている。


核による汚染で地上に出られなくても、ここにいる全員が天寿を全うできるほどの生活物資が蓄えられている。

有事の際は臨時政府としての役割も担い、内閣総理大臣を始めとした各閣僚や国家運営に必要な官僚たちがここへ集う。


「たとえ地上が沈んでも、日本はここで呼吸を続けます」


「つまり、我々のシステムが完成しなければ、この要塞は『棺桶』になるということだな、湊君」


睦貴は笑ったが、目は笑っていなかった。


翡翠色の光が、二人の顔を淡く照らしていた。

地上から最も遠いこの場所で、日本の未来が静かに脈打っている。






「Yamato-Asymmetric-Tactical-Algorithm」

――日本非対称戦術演算体系――



須賀 猛が「おもちゃ」と表現していた、国運を左右するシステムの名称。


天(Tian)は完全無欠とはいえ、あくまでAIであり、演算は「過去データと合理性」に基づく。

しかし、日本が扱う生体波動は感情や意思、迷いや祈りといった非合理的なゆらぎがあり、天(Tian)の予測モデルでは計算できないバグ(非対称な反応)を生み出すと考えられた。


天(Tian)に対抗するため、日本が独自に開発を急ぐ防衛・戦闘システムを統合する中枢であった。


睦貴たちはこのシステムを略してYATA――「八咫(やた)」と名付けて開発を続けてきた。



若いころから研究者として研究に没頭していた睦貴が、生体波動を発見したのが10年前。

直後に猛の秘書であった櫛田奈緒が直々に研究室にやって来て、相応の金銭を手切れ金のように睦貴に渡し、研究成果の全てを根こそぎ収奪していった。


生来、執着心の薄い睦貴が腹を立てることはなかったが、尋常ではない政府の動きに自身の身の危険を察知し、生体波動の研究も、研究員としてのキャリアも捨てて、風来坊として「手切れ金」で遊ぶ毎日を送っていた。



誰にも知られず秘密裏に行っていた研究を、なぜ義父である猛が知っていたのかは謎であったが、奈緒の情報収集能力、監視能力の恐ろしさが今になって身に沁みる。



その後、日本防衛研究所という名のダミー機関で生体波動開発が盛んに行われたが、構想段階で研究者たちは「実現不可能」として匙を投げてしまい、開発は頓挫した。

天(Tian)の脅威が迫る中、生体波動の発見者であり理解者である睦貴が強制的に抜擢され、研究継続を強引に命じられた。


国家機密として開発を進めるため、内閣官房環境情報調査室という看板を掲げ、それらしい閑職を装いつつ、その地下深くで日夜研究は継続されてきた。


ここから出なくても衣食住は充実しており、職員のほとんどがここで寝泊まりをしている。

生活が快適すぎて、睦貴がいくら「帰れ」と命じても、誰一人として地上に出ようとしないのである。



エレベーターのデジタル表示が、地下80階を通過した。

気圧の変化で耳が鳴る。

睦貴は、地上に置いてきた太陽の光が、もはや神話時代の記憶のように遠く感じられた。




91階に到着したエレベーターの扉が開くと、睦貴は座り込んでいた。


「室長、申し訳ないのですが…いい加減に慣れてくれないと困ります。国の命運を左右する人物がエレベーター酔いして即座に動けないなど、いざという時にどうするおつもりですか」


「湊、あんまり言ってくれるな…。5分以上もあんな箱に閉じ込められていたら誰だって酔うってもんだろう。しかも一緒にいるのが湊、お前だしな。愛想笑いの一つでもしてくれればマシなものを、そんな鉄面皮で側にいられたら、息も詰まるし気分も悪くなるに決まっているだろう」


「それはどうも。さ、もう大丈夫でしょう。早く立ってください」


何か喚き散らす睦貴の言葉を一切聞かず、無表情に湊は睦貴の腕を取り強引に立たせる。

よろけながら立ち上がった睦貴が顔を上げた先は、八咫の中枢、コントロール室だ。




ビルの地下にあることを忘れてしまうような、広大な面積を誇るこのコントロール室には、一階あたり100人以上の研究者やエンジニアが常時動き回っている。

睦貴がたった一年で八咫を完成間際まで成し遂げられたのも、この職員たちの不眠不休の働きのおかげだ。



「最終段階、実行権限ロックの解除テストを行う」


睦貴がマイクでそう告げると、職員たちが各々のポジションへと粛々と戻っていく。

技術統括官の思原(おもいはら)兼友(かねとも)が、準備完了を報告する。


「八咫は現在、すでに起動中です。コマンド指示、及び実行をお願いします」


兼友からの報告で、睦貴はシステムコンソールに設置されたスキャナーに手を当て、自身の生体波動を八咫に取り込ませる。

コンソールが鈍く翡翠色に輝き、コマンド指示の入力待機状態に入る。




「実行。『草薙<KUSANAGI>』」




モニターにはおびただしいコードが高速で流れていく。

睦貴以下、全職員がそれを微動だにせず無言で凝視している。

百人もの人間が衣擦れの音さえ出さず、かすかな機械音だけが鳴り響くコントロール室内は、部外者であれば緊張で一分も居られないだろう。


文字列で埋め尽くされたモニターに、一瞬の静寂が戻る。

まるで意思を持って、画面が睦貴を拒絶するように消灯した。


その直後、「Error」とだけ表示された文字が映る。



「エラーの詳細はまだ解析できないか?」


落胆も苛立ちも表には出さず、睦貴が静かに問いかける。

兼友は焦りを隠さず、ありのままを報告する。


「エラー内容はいまだ不明です。せめて毎回起こるエラーの表示に変化があれば…」


「そうか…よし、引き続きエラー内容の解析を進めてくれ。ここまでは順調に来ている。君らもたまには地上に出て、何か美味いもんでも食って、遊んできたらどうだ。金の心配はいらないぞ、あとで経費として俺が責任を持つぞ」


正直なところ、睦貴は絶望に近い感情に陥っていた。

睦貴の指揮の下、日本で最も優秀な研究者やプログラマ、エンジニアを集結しても解けないエラー。

怒りに近い焦燥が睦貴の全身を覆う。


「室長、そろそろフライトの時間です。今、美味しいものを食べて息抜きが必要なのは、室長の方だと私は思います」


後ろに控えていた湊がそっと耳打ちをする。


やはり湊は言葉の魔術師なのだと睦貴は感心する。

わずかな言葉の抑揚、震え、強さ、語句の選択。

すべてを総合的に、そして瞬時に理解する頭脳と洞察力。



「湊。お前が俺の側にいてくれて、本当によかったと思っているよ」






地上に出て湊と別れた後、睦貴は羽田空港で搭乗手続きを済ませて目を閉じた。

一体何が不足しているのか。

何度自問自答しても答えは出ない。


搭乗アナウンスが流れ、睦貴は立ち上がる。

飛行機を降りた先に、何かがあるはずだ。



時刻を確認する。






秒針が2秒に1回、1秒戻っていた。

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