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神代基層(じんだいきそう)  作者: 久遠 玲
第四章 潰えゆく希望
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第三十二話 決着

戦術表示卓の前へ、宅哉はゆっくりと一歩を踏み出した。



そこは、これまで幾度となく立ってきた位置だった。

常に明仁の半歩後ろに控え、同じ盤面を見つめ、同じ敵影を追ってきた。


表示されている景色は、何ひとつ変わらない。

敵味方の配置も、航跡も、明滅する識別符号も、すべて見慣れたものだ。



たった一歩。


それだけで、世界の重心が自分へと傾いたように思える。

逃げ場のない重みが、肩から背へと沈み込む。

今までは、決断を補佐する立場だった。

だがこれからは、自分の判断がそのまま艦の進路となり、命の帰趨を決める。


司令としての重圧。


ほんの数分前まで、この重みはあの背にあった。

明仁が背負い続けていたものの一端が、ようやく理解できる。


いまや指揮すべきは諏訪部艦隊のみではない。

この海域に展開するすべての艦艇、その退路と損傷状況、さらに敵主力の動向、すべてを一つの盤面として束ねなければならない。



もはや半歩後ろではない。

ここが、いま自分の立つべき場所だ。




戦術表示卓の光が、静かにその横顔を照らしていた。






僚艦群が、ゆるやかに旋回を終えようとしていた。

損傷を抱えながらも、秩序を崩さぬ動きだ。

その軌跡を、宅哉は戦術表示と肉眼の双方で追っていた。


旗艦「守屋」は被弾し、それでも前へ出た。

その姿を見せたにもかかわらず、聖府軍に目立った動きはない。


「草薙」を削り、艦体にも損傷を与えたことからも、敵にとっては追撃の好機であるはずだった。

にもかかわらず、第二波が来ない。

宅哉には納得がいかなかった。


聖府軍は様子を窺っているのか。


あるいは、指揮官自らが盾となって最前線に立つという常軌を逸した振る舞いに、精密機械が判断を鈍らせているのか。

愚直なまでの覚悟は、ときに戦術を超えるというのか――。


そこまで考えて、宅哉はわずかに苦笑した。




「司令! 前方に飛翔体! 数……多数!」


鋭い報告が艦橋を裂く。


――司令。


その言葉が自分を指していると理解するまで、ほんの刹那の遅れがあった。

だが視線は、水平線の向こうから迫りくる、幾筋もの光をすでに捉えている。

白い尾を引き、こちらへ迫る影。


第二波。


しかも、規模が違う。


「総員、衝撃体勢!」


宅哉の目に映る飛翔体は、第一波をはるかに上回る数と広がりを持っている。

狙いは「守屋」だけではない。

旋回中の横腹を晒している僚艦群へも、無数の軌道が伸びていた。


「守屋」より前方に位置している僚艦たちの側面に、ミサイルが吸い込まれていく。

「草薙」が側面に分厚いシールドを瞬間的に展開し、位置や角度を微調整しているのが見えた。

僚艦の横腹へ吸い込まれるはずだったミサイル群が、「草薙」のシールドに触れた瞬間、軌道を逸らされる。

弾かれ、散り、海面へと叩き落とされる。

火柱が幾重にも立ち上がるが、艦体には届かない。


そして無数のミサイル群は「守屋」にも到達する。

白光の群れは真正面から殺到し、「草薙」の手前で上下二方向に向きを変え、艦体と艦橋を同時に叩く構えに見えた。

瞬時に拡張された立体フィールドが、守屋の前面を覆い尽くす。

触れた弾頭は爆ぜ、火球となり、衝撃波が幾重にも重なった。


爆圧が空間を削っていく。


そのたびに「草薙」の層が抉られ、薄くなる。

だが次の瞬間には、別の光が満ちる。

削られた部分へとエネルギーが流れ込み、より高密度のプラズマ層が再構築される。

削るほどに、厚みを増す。


まるで応えるかのように。



一発のミサイルが、突如として軌道を変え、急上昇した。

「守屋」の艦橋上空から、垂直に落下する。

常軌を逸した挙動だった。


艦橋を包むようにシールドが湾曲し、落下軌道の直下へと瞬時に展開する。

衝突の直前、弾頭は弾かれ、海面へと逸れた。

遅れて爆音が届くが、その空気振動から艦艇を「草薙」が守護する。


超音速の群れはなお止まらない。

四方から、角度を変え、執拗に「守屋」を叩き続ける。

終わりが見えない。


それでもそのすべてを、「草薙」は受け止め、払い、押し返す。

波打つ光の層が、脈動している。

単なる防御ではない。


意志を持つかのような反応。


艦橋からその光景を見つめる宅哉も、幕僚たちも、言葉を失っていた。

誰もが衝撃体勢を忘れ、茫然と立ち尽くして「草薙」を見守っていた。


「これが、草薙剣の真の力だというのか…」


ふいにこぼれた宅哉の言葉は、感嘆でも、恐怖でもなかった。

ただ、目の前に在る神威を認めるしかない者の声だった。



圧倒的な火力を前にしてなお、揺るがない。

「守屋」の周囲だけ、戦場の理が別のものへと書き換えられているように感じられた。


50発か。

100発か。


もはや数える意味すら失われた飽和攻撃が唐突に途絶え、爆炎の残滓だけが海上に揺らぎ、戦場は不気味な静寂に沈む。

僚艦は旋回を終え、「草薙」を展開したまま粛然と後退に移っていた。



艦艇一隻に対する攻撃にしては、あまりにも度が過ぎてはいないか。

宅哉は直感した。



聖府は――天(Tian)は恐れている。



技術では沈めることができない、この守屋艦隊を。


そして軍神、諏訪部明仁を。




その時、「守屋」の前面で「草薙」が微かに火花を散らした。

瞬きのような閃光。

目には見えぬ何かが、防壁に触れている。


「構成原子崩壊システム…!」


宅哉が最も警戒していた、聖府の攻撃システムだった。

聖府が誇る不可視の兵器。

ナノマシンが分子結合へ直接干渉し、砂の城を指先でなぞるように、物質を内側から崩す。


探知も困難。

迎撃も不可能。

気付いたときには、すでに終わっている。


だが今、「草薙」のプラズマ層が細やかな脈動を繰り返している。

不可視の侵食を捉え、干渉し、相殺していた。




「司令。敵艦隊、一部が突出。高速接近中」


戦術表示卓から、少数の艦艇がまとまって接近していると読み取れた。

沈まない「守屋」を、偵察しに出てきたのだろうと宅哉は読んだ。


「こちらも攻撃に移る。突出した艦隊に照準。総員、騒音に備えろ」



宅哉はスキャナーに目を落とした。

その縁には、拭い切れなかった明仁の血痕が乾きかけている。


このシステムは、人の波動を読み取るという。

魂の強度を、力へと変換する。


先ほどまでの「草薙」は、明仁の波動だ。

彼の、揺るがぬ意志そのものだった。

自分は、明仁と同じだけの強さを持っているだろうか。


一抹の不安が頭を過ぎる。



宅哉はスキャナーに手をかざした。

翡翠色の光が、掌を包む。

やがてその光は、吸い込まれるように消えていった。



『Command?』



――託された。


それだけで十分だ。

守るべきものがある限り、揺らぐ理由はない。


宅哉は顔を上げた。



「実行しろ!!」



宅哉の激しく鋭い号令が、艦橋を貫く。




「御雷!!<MIKAZUCHI>」




その名が告げられた瞬間、「守屋」の艦首砲に青白い光が奔った。

砲身を電光が螺旋を描くように這い、幾重にも絡み合いながら先端へと収束していく。

空間そのものが引き絞られていくかのような圧迫感が、艦橋にまで伝わった。


一拍の静寂が、周囲を包み込む。


光速の33%という超高速で、雷光が一直線に襲いかかった。

一本の長い針のような、純粋な破壊だけを宿した直線。

砲身から放たれた瞬間には、すでに敵艦へと到達していた。


遅れて、海を割るような轟音が襲う。

雷鳴にも似た衝撃が水面を震わせ、「守屋」の隔壁を軋ませた。

衝撃波が遅れて押し寄せ、海面が放射状に裂ける。



「突出していた敵艦、前進停止。周囲の艦艇も停止しています…」


幕僚の声には、報告というより畏怖が滲んでいた。


命中したのは一隻のみ。

だが、その一撃が「理解」を与えたのだ。

ミサイルでは届かなかった聖府の艦艇に、「御雷」は届いた。

防御を誇る艦も、速度を誇る艦も、意味を失う。



宅哉はなおも響き続ける雷鳴の余韻を聞きながら、胸の奥に芽生えた感情を自覚していた。


「守屋」一隻で、聖府軍すべてを退けられるのではないか。


否。


この力があれば。

この海だけではない。

空も、陸も、国家も。



――世界すら、制圧できるのではないか。



その思考が形を成しかけた瞬間、宅哉は強く拳を握り締めた。

危うい思考を振り払うように、宅哉は最後の命令を下した。



「全艦に通達。本作戦を終了し、これより横須賀へ帰投する。守屋艦隊は『草薙』を展開、各艦の掩護を完遂せよ」






全艦艇が横須賀へ帰投した。

損傷の激しい艦から順にドックへ収められ、比較的被害の軽い艦は沖合に錨を下ろし、無言のまま警戒線を張る。

勝利でも敗北でもない、ただ「戻ってきた」という事実だけが港を満たしていた。


艦橋を半ば剥き出しにした旗艦「守屋」が、ゆっくりと港内へ姿を現す。

その異様な姿を見た瞬間、岸壁に立つ者たちの間から、小さなどよめきが起きた。

無事に戻った安堵なのか、日本の切り札が敗れた落胆なのか。

誰にも判別できない、行き場のない息のような音だった。


沈まなかった。

だが、守れたわけでもない。



沖のはるか彼方、紀伊半島沖300キロの地点で、聖府軍はなお動かない。

退くことも、進むこともなく、ただそこに在り続ける。

首都圏を射程に収めたまま、巨大な影のように海上へ横たわっていた。






海は穏やかで、空は何事もなかったかのように澄んでいる。

その平穏が、かえって残酷だった。




日本が取るべき手段は、すでに尽きていた。


誰も口にしないまま、その事実だけが、静かに国を覆っていった。

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