第二十七話 全力
――再び、日本に国家安全保障会議が招集される。
会議を前に、環境情報調査室の内線が鳴った。
短い応答ののち、湊は受話器を静かに戻し、睦貴に報告する。
「室長。官邸より招集です。至急、とのことです」
湊の声色は普段と変わらず冷静だが、その目は刃のように研ぎ澄まされていた。
八咫の復旧が完了するまでの間、三峯精機のAIが「天之御中」を含む国防中枢を代替制御している。
その「天之御中」が異常を検知し、アラートが鳴ったという情報は睦貴の元にも届いていた。
詳細は伏せられているが、国家安全保障会議が招集されたという事実だけで、相手が単なる密漁船団でないことは明白だった。
「日本海側への急襲を退けられたのは、聖府にとって小さくない痛手のはずだ。この短期間で再度仕掛けてくるとは…底が知れないな」
睦貴の低い声に、湊は即座に応じる。
「侵攻規模は未公表です。紀伊半島沖の局地戦と同程度であれば、現有戦力で撃退は可能でしょう。ただし、相手が聖府正規軍であった場合、日本が抗し得る道筋は見出せません」
室内の空気が、目に見えぬまま硬化する。
金屋和彦の報告によれば、波動制御のない三峯精機のAIでは、「御雷」は使用できない状態だった。
「草薙」は、かろうじて防御シールドを展開できるが、性能は未知数。
もし聖府の兵器が投入されていれば、それは戦闘とは呼べないものになるだろう。
一方的な殲滅。
胸裏に浮かんだ最悪の想定を振り払うように、睦貴は室長席を立った。
「よし、俺は官邸へ行ってくる。そこで今より詳しいことがわかるだろう。お前は『底の国』で八咫の様子を見てくれ。八咫の自動修復は間もなく完了するはずだ。修復が終わり次第、調整と最終確認を済ませて、即時再起動を頼む」
「了解しました。八咫の指揮は、私と思原技術官で執っておきます」
頼むぞ、と湊の肩を軽く叩く。
ひらひらと後ろ手に振る仕草は、いつもと変わらぬ軽さを装っている。
だが、調査室を出ていく背には、隠しようのない緊張がまとわりついていた。
睦貴が総理官邸に到着すると、正面玄関で櫛田奈緒が待っていた。
「杵築室長、お待ちしておりました。総理はすでに会合を開始しております」
一礼ののち、奈緒は踵を返す。
睦貴も歩調を合わせた。
「奈緒さん、今回の侵攻規模はどの程度と見ていますか」
足早に廊下を進みながら問いかけたが、奈緒は振り返らない。
「それは、総理から直接お聞きになってください」
簡潔すぎる返答が、事態の深刻さを物語っていた。
前回の聖府上陸による危機は、タイミングよく発生した「災害」によって、辛うじて難を逃れたに過ぎない。
仮にそれがなかったとしても、諏訪部艦隊が現地到着すれば押し返せたと、睦貴は考えている。
だが今回は違う。
日本が拠り所とする唯一の切り札は、いまだ沈黙している。
このままでは、聖府の技術的優位の前に、盾も持たずに立つことと同義だ。
官邸の奥へと進むにつれ、睦貴の鼓動は静かに速まっていった。
総理官邸の執務室へ通された睦貴を、防衛大臣が無言で椅子を示した。
重厚なテーブルを囲んでいたのは、内閣総理大臣である須賀 猛を筆頭に、内閣官房長官、防衛大臣。
さらに統合幕僚長、海上幕僚長、内閣情報官、国家安全保障局長の七名。
政治と軍事、その中枢が一室に凝縮されていた。
海上幕僚長の姿があるということは、今回の主戦場がどこになるのかは明らかだった。
私語はなく、空調の低い駆動音だけが室内に響いていた。
「これで全員揃ったな。改めて現在の状況を調査室と共有してくれ」
猛が内閣情報官へ視線を送る。
内閣情報官は、卓上の海図を指し示した。
「三峯精機より提出された『天之御中』による、探査データの統合解析が完了しました。聖府海軍主力は、現在紀伊半島沖300キロ。首都まで約600キロの海域に展開済みです。確認済み戦力は――」
わずかに息を吸い込み、意を決したかのような表情で続けた。
「空母打撃群2。艦載機総数は150機規模です。直衛の防空駆逐艦12、多用途駆逐艦10、フリゲート9。外縁部に潜水艦6隻以上の浮上を探知。さらに――」
一瞬、言葉を切る。
「後方に強襲揚陸艦4、ドック型輸送揚陸艦5。搭載兵力は少なくとも旅団規模。補給艦群も随伴しております。確認できるだけで現在48隻。なお、後続の有無は捕捉できていませんが、増勢の可能性は高いと判断します」
「空母と潜水艦まで投入してきましたか」
睦貴は海図から目を離さない。
敵艦隊の陣形を、脳裏に立体として構築していく。
「制空、制海権の確保後、本州太平洋岸への上陸作戦に移行する蓋然性が高いと分析します。演習や示威行動の範疇は明確に逸脱しており、これは国家意思に基づく、大規模侵攻準備と評価します」
海図に示された敵艦隊は、整然と陣形を保ち、首都東京へ正対している。
まだ砲火は交わっていない。
だが、その配置はすでに雄弁だった。
「この国に残された時間は、どの程度ですか」
「敵空母から発艦した艦載機であれば、東京上空まで約1時間。巡航ミサイルであれば…45分はかかりません」
報告を終えた内閣情報官が、ゆっくりと息を吐く。
もはや時間的猶予は、ゼロに等しかった。
統合幕僚長が口を開く。
「探査有効範囲は『天之御中』でも600キロが限界でした。今回も、聖府の精鋭と見るべきでしょう。通常艦隊であれば、世界のどこに隠れていても捕捉できたはずです」
明確な聖府の意志。
すでに布陣を完了していることから、日本列島を射程に収めて待機しているようにも見える。
圧倒的な技術で武威を示し、まるで降伏を迫っているかのようだった。
「敵艦隊を捕捉後、防衛省から総理へご報告し、すでにご決断をいただいてます。聖府との実戦経験のある諏訪部を海将に昇任させ、現地任務部隊の指揮を一任しています」
統合幕僚長の声は抑制されていたが、その奥に張り詰めたものが滲んでいた。
すでに迎撃のための出動命令が、海上自衛隊に発令されていた。
目を閉じ、腕組みをして報告を聞いていた猛が口を開く。
「聞いての通りだ。前回同様、聖府の狙いは首都制圧にあると見ていいだろう。こちらも艦隊は出したが、現在のところ丸腰同然だ。どれだけシミュレーションを重ねても、結果は一つだ」
猛の視線が海図へ落ちる。
低く、よく通る声だった。
「負け戦にしかならん」
室内の誰も、反論しない。
それが現実だった。
「睦貴。お前に伝えるべきことは以上だ。ここから先は政治の領域になる」
猛の声は静かだった。
「お前は最後まで全力を尽くせ。我々も、尽くせる手はすべて尽くす」
「お待ちください」
睦貴の声が、空気を裂いた。
「同盟国や友好国からの増援はないのですか。まさか今回も資金や物資といった小手先の支援で終わりですか」
悲痛にも似た睦貴の問いに、短く猛は答える。
「資金や物資の提供でさえ、聖府の矛先が向く可能性がある。彼らも余力はないのだろう」
椅子が軋む音とともに、睦貴は立ち上がった。
「馬鹿な…!」
状況が変わることはないと知りながらも、睦貴は感情を抑えることができなかった。
「世界大戦規模になろうとも、聖府の暴挙は止めるべきだ。この日本が陥落したら、太平洋に聖府を遮るものはない。次はアメリカが標的になることは明らかです。その時は…聖府艦隊の隣を、日本の艦隊が進むことになるでしょう。天(Tian)と八咫が、肩を組んで世界に牙を剥くことになります」
睦貴の義憤を正面から受けて、猛はふたたび目を閉じた。
怒りもなく、威圧もない。
ただ静かに、睦貴を受け止めていた。
「お前の言う通りだ。だが、それが世界の決断なのだ」
全員の表情に、重い苦渋の色が浮かんでいた。
それ以上、何も言えなかった。
「わかりました。総理のご指示どおり、私は最後まで全力を尽くします。天覆う盾と、天穿つ雷撃。戦うための力を、必ず取り戻してみせます」
漲る決意を室内に残し、睦貴は執務室を後にする。
扉へ向かうその背に、視線が集まっていた。
背後に託された希望を受け取りながら、睦貴は静かに歩みを進めた。
総理官邸を後にした睦貴は、その足で「アマノイワト」へ向かった。
コントロール室では、湊と兼友が技術者たちを静かに見守っていた。
八咫はいまだ自動修復中であり、技術者たちはひたすら状態監視に徹していた。
最終確認に至るまで、大きく手を加える工程はなく、比較的静かな作業が続く。
睦貴は湊と兼友を伴い、会議室へ移り官邸で得た情報を話した。
簡潔に、だが隠さず共有する。
「前回の上陸危機と同等…。いや、それ以上に厳しい状況だ」
視線を落とした睦貴の声が、一段と低くなる。
「前回は八咫が稼働していた。諏訪部艦隊という切り札もあった。だが今回は違う。丸腰で聖府の精鋭と向き合うことになる」
一瞬、乾いた笑みを浮かべる。
「最悪の、さらにその先だな」
睦貴の説明を受ける湊も兼友も、表情を曇らせたままだ。
湊は何かを言おうとするが、思考を巡らせるたび、行き着く先は同じ結論に達する。
唇がわずかに動き、しかし言葉にはならない。
「ここへ来る前に、諏訪部さんと通話ができた。八咫が復旧するまでの間、絶対に交戦は避けるよう依頼した。たとえどんな卑怯な手を使ってでも、時間を稼いでほしいと」
二人を真っ直ぐに見据え、睦貴は告げる。
「『最後まで全力を尽くせ』。それが内閣総理大臣、須賀 猛からの命令だ」
一語一語、噛み締めるように、胸の奥から絞り出した。
「俺たちは、この命令を必ず守るぞ。八咫の自動修復が完了次第、全速で再起動させる。迎撃に打って出た艦隊の運命は、俺たちが握っている。そして日本国の運命も、だ」
「杵築室長、ご指示は了解しました。技術者一同、その覚悟で臨んでおります。八咫が示す自動修復の進捗は現在84%です。いつ完了してもいいように、全員が万全の態勢でおります」
兼友の言葉に、睦貴は力強く頷く。
三人は同じ覚悟を胸に、コントロール室へ向かう。
日本国の運命という重責を、両肩に担いながら。
それでも――
その足取りに、迷いはなかった。




