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神代基層(じんだいきそう)  作者: 久遠 玲
第三章 満ちる祈り
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第二十四話 発動

睦貴からの呼び出しをデバイスで受けたとき、湊は官邸の一角で奈緒と向き合っていた。

政府の動向と、調査室側との情報交換の最中だった。


「国家安全保障会議は紛糾しています。聖府軍の練度と装備に対し、日本はもちろん、世界にも有効な対抗策はありません。他国からの増援も、現在のところ情報はありません。この状況を打開し得る戦術は存在しない。それが、現時点での結論です」


奈緒の声は、驚くほど静かだった。

その言葉が示す内容の重さと、声音との落差に、湊は違和感を覚えた。



破滅の足音というものは、こうまで他人事のように聞こえるものなのか。



「現在、海上自衛隊の『守屋』が現地へ急行しています。海上を押さえ、補給線を断つ。孤立した陸上部隊の自壊を待つしかありません」


「現状では、最も現実的なプランですね。しかし当然、聖府もその動きを読んでいるはずです」


湊の問いかけに、奈緒は小さくうなずいた。


「問題は、後続戦力の規模です。どれだけ控えているのか、把握できていません。現在のレーダーでは海上の艦影を捕捉できません。後続の規模によっては、『守屋』も危険な状態に陥ってしまいます。唯一、『月讀』による海中データのみが有効です。潜水艦の投入は確認されていませんし、浮上反応もありません。」


「海上の探索網は、現在『天之御中』の試作機を設置予定です。三峯精機がすでに着工しており、間もなく稼働開始の見込みです」


官邸内は人が激しく出入りしており、喧騒の最中にあった。

二人の打ち合わせを気に留める余裕がある者は、誰もいない。



「それで…杵築室長が構想している、迎撃システムはどの段階にありますか」


奈緒の声音が、わずかに低くなる。

本題に入ったのだと、湊は察した。


「率直に申し上げて、今回の防衛に組み込むことは不可能です。システム自体が未完成ですし、何より起動させる中核装置が、まだ存在していません」


湊の言葉を受け、奈緒の表情に影が差す。

彼女がそれを隠しきれなかったのは、きわめて珍しいことだった。



睦貴が構想した迎撃システムは、設置型の「海底トラップ」だった。


海底にあらかじめ固定、あるいは必要に応じて移動させ、侵攻してきた敵艦隊を足止めし、最終的には沈没へ追い込むことを目的とする。

巨大なスクリュー装置を起動させ、高速回転によって人工的に大規模な渦潮を発生させるのだ。


しかし潮流は常に変化している。

システムが対象海域の潮流データを収集し、八咫へ送信。

八咫は最適な回転数、角度、出力配分を瞬時に演算し、システムへフィードバックする。

それにより、最小のエネルギーで最大規模の渦潮を生み出す。


敵艦隊の侵入そのものを阻止し、仮に接岸を許したとしても、後続部隊と補給線を寸断する。

構想としては理にかなっていた。


問題は、金屋和彦が指摘した通りだった。


あまりにも効果が限定的すぎる。

ピンポイントでは絶大な威力を発揮するが、日本全土を防衛するには現実味を欠いていた。

さらに、それだけの規模のスクリューを製造するには膨大な資材と時間を要する。

防衛網が完成するまでに必要な時間は、30年以上と試算されていた。


今この瞬間に迫る脅威には、到底間に合わなかった。



「当面、日本は難しい局面が続きますが、幸い各方面の連携は順調です。総理は精力的に働かれていますが、相当お疲れだと思います。私たちは、見守ることしかできません」


奈緒は一度、言葉を切った。


「先日の報道以降、官邸前には大規模なデモ隊が集結しています。私はこれから、その対応に向かう予定です」


「デモ隊…。ああ、先ほど官邸前が騒然としていましたね。かなりの人数に見えましたが、どのくらい集まっているのですか」


湊の問いに、奈緒はやわらかく微笑んだ。


「警察推計で、官邸前だけですでに8万人。周辺を合わせれば25万人規模です。この勢いなら、全国で100万人を超えそうです。内容は『日本応援』です。国民がひとつになり、総理を後押ししています。今、総理を支えているのは、国民一人ひとりの熱意です」


「ほう…。この短時間でよく集まりましたね」




奈緒と別れ、湊は官邸を後にした。

正門前には、官邸に来た時とは比較にならないほど多くの人々が集まっていた。

それぞれが思い思いのプラカードを掲げ、声を張り上げていた。


「須賀総理、頑張れ!」

「日本を守り抜け!」

「日本、負けるな!」


少し前まで、反体制派が聖府への帰順を訴えていた光景が、まるで遠い幻のように思える。


――国を失うかもしれない。


その未曽有の危機に直面して、ようやく日本人は、日本人であることの意味を思い出しつつあるのかもしれない。

幾重にも重なったシュプレヒコールは、やがて大きなうねりとなり、天へと立ち昇っていく。


それはまるで、祈りのようだった。




湊は無表情のまま立ち止まり、しばらくデモ隊を眺めていた。


「なるほど。調略のお手並み、拝見させていただこう」


独り言を呟き、「アマノイワト」へと急いだ。






湊が「アマノイワト」へ到着した時、睦貴は会議室で思原兼友と打ち合わせ中だった。

兼友の表情には、「またか」という絶望にも呆れにも受け取れる表情が滲んでいた。


「確かに、杵築室長のお考えは理解できます。ですが、せっかくここまで構築してきたシステムです。軽々に切り捨てるべきではありません」


兼友がこの表情をしている時は、睦貴の出す無理難題に直面している時だった。


「切り捨てる、とまでは言ってないさ。たとえ放棄することになっても、発動を試してみる価値はあると言っているんだ。もともと、完成とは程遠い状態だ。ここでこのシステムが消えてしまっても、大勢に変わりはないだろう」



状況を飲み込めずにいる湊へ、兼友が簡潔に経緯を説明した。


デバイスを通じて八咫と接続した際、迎撃システムに関する回答が変化した。

睦貴からデバイスを受け取り、その証拠を見た後でも、湊の理解は追い付かなかった。



――システムは完成しています。発動はいつでも可能です。



睦貴だけでなく、湊も兼友も、そして技術者のほとんどが、繰り返される回答に失望し続けてきた。

回答に変化があったこと自体が、異常な現象だった。

確認をするように、湊が問う。


「では…八咫の回答は、推測を事実のように語るハルシネーションやバグなどではなく、『真実』を返していたということですか」


「その可能性が高い。少なくとも、回答に変化があったことは事実だ」


兼友も、八咫の変化には驚愕しているだろう。

だが、その声音から慎重さは消えない。

この場を統括する者として、そう何度も「可能性」だけでシステムを危機に晒すわけにはいかなかった。


「問題は波動です。八咫が制御できない状態で、もしも波動の暴走が発生した際は…それを停止させる技術が、まだ確立されていません。最悪、八咫のOSに深刻な影響が及ぶ可能性も否定できないのです」


兼友の危惧は、これまで常に正しかった。

そして、その正しさを打ち破ってきた睦貴の決断も、また正しかった。

湊は自身の理外に存在する睦貴を、どう測ればいいのか迷った。


思案の末、湊は口を開く。


「思原統括官、室長の判断に従いましょう。このシステムは完成まで数十年を要します。今ここで失われ、再構築となっても時間的損失は誤差に等しい。であれば、少しでも希望…」


言いかけて、湊は沈黙した。



――希望。



希望は、存在しない。


天(Tian)と接続された兵士は疲労を知らず、不眠不休で進軍する。

補給は継続し、上陸兵力の底も見えない。


湊が持つ情報をどれほど分析しても、導かれる結論は「敗戦」だった。


しかし――


湊は言葉を続けた。


「このまま状況を放置していても、何も変わりません。であれば、少しでも希望に賭けましょう」


日本が置かれている状況は、兼友も理解していた。

湊の「何も変わらない」という言葉の中に、「滅亡」という二文字が隠れているのを察した。


「承知しました。室長の判断に、従います」


そう言うと、兼友は力強い足取りで部屋を出て行った。

あとは兼友の統率力に任せるだけだ。




兼友が去った後で、湊は睦貴に現在までに収集できた情報を報告した。

報告に耳を傾ける睦貴の表情は、険しかった。


「あとは親父殿の政治的判断に委ねるしかない。しかしその前に、俺たちは俺たちの仕事を、やり遂げよう」


それは自分自身に向けた言葉だった。

睦貴は明仁の言葉を噛み締めた。



「それともう一つ、官邸前や国会前で、日本国の勝利を願う大規模なデモが起きています。櫛田秘書官によると、史上最大規模にまで発展する見通しです」


デモが発生し、ここまで大規模に発展したのは、奈緒が周到に仕組んだ調略であると湊は読んでいる。

しかし、その裏側は報告に入れなかった。


「勝利を願うデモ…か。願い…」



――そなたらの祈りが満ちれば、力もまた満ちる



睦貴の脳裏に、気吹戸主命の言葉が蘇る。


「湊、システムを発動させるには、今が絶好のタイミングかもしれないぞ」


睦貴は立ち上がり、コントロール室へ駆け出した。






睦貴がコントロール室に到着すると同時に、デバイスが鳴った。

発信者は、総理大臣の須賀 猛からだった。


『睦貴、やつらが動き出した。河口から部隊が続々と内陸へ向け進軍を開始した。陸上自衛隊はすでに展開しているが…止められんだろう』


猛の声音からは、さすがに疲労が隠しきれていなかった。


「親父殿。これより、迎撃システムを発動します。正直なところ、どのような結果になるか予測できません。しかし、私にできる精一杯を…全力を尽くします」


一瞬の間をおいて、猛の声に活力が戻る。


『うむ。期待はせずに、待っているぞ』



デバイスを切り、猛の優しさに睦貴は頭を下げた。

頭を上げた睦貴は、湊に指示を出す。


「湊、現地の監視カメラ映像をモニターに出してくれ。聖府軍に動きがあったようだ」


湊が職員へと指示を送り、複数のモニターに柿崎周辺のカメラ映像が映し出される。

猛の言葉通り、整然とした動きで川を遡上している聖府軍が見えた。

職員たちから、どよめきが起こった。



「これより迎撃システムを発動する。各自、至急準備に取り掛かってくれ。八咫の状態も、逐一報告を上げてくれ」


コントロール室に一時の慌ただしさが訪れたが、すぐに全員が配置につく。

兼友の的確な指示が、事前に通っていた証左であった。



「コマンド指示、及び実行をお願いします」


兼友の言葉に、揺らぎはなかった。


睦貴はシステムコンソールに設置されたスキャナーに手を当て、自身の生体波動を八咫に取り込ませる。

コンソールが鈍く翡翠色に輝き、コマンド指示の入力待機状態に入る。




何が起こるか分からない。

科学的根拠はなく、成功を保証する理論も存在しない。

波動が暴走し、この場ごと消し飛ぶ可能性すらある。


それでも――ここで立ち止まれば、日本は滅びる。


人の力を超えたものへ、賭けるしかない。




「実行――」




睦貴の胸にあるのはただ、人々が祈り続けてきた言葉だけだった。


―― 祓へ給ひ 清め給へ ――






「大祓<OOHARAE>」






八咫は今まで聞いたことのない、激しい機械音を上げる。

激流のように、高速でコードがモニターを流れていく。



「高負荷のため消費電力に異常を確認」

「波動増幅率が制御不能。間もなく限界値を超えます」

「サーバーに異常発熱を検知。処理能力低下」



悲鳴にも似た異常報告が、睦貴の下に矢継ぎ早に届く。

睦貴は黙ったまま、身動き一つせず監視カメラ映像を凝視していた。

それを後ろから支えるように、湊は睦貴の背中を見守る。


八咫の機械音が一層激しさを増し、モニターに流れるコードは発光しているかのようだった。

コントロール室の壁面が、八咫の機械音に共振している。



「大祓」の発動は確認できず、監視カメラ映像にも変化はない。


睦貴の胸中に不安が這い上がってきた。




その時。




八咫が発していた轟音が止み、すべてのモニターは闇を映し出した。



コントロール室は、完全なる静寂に支配された。






八咫は――鼓動を止めた。

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