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第二十一話 宣告

朝、いつもよりわずかに遅れて内閣官房環境調査室に入った睦貴は、入口で足を止めた。

手にしていた紙カップが、かすかに軋む。


応接ソファーには、湊と奈緒が向かい合って座っていた。

だが視線は交わらず、言葉もない。

室温は変わらないはずなのに、空気だけが凍りついている錯覚に睦貴は陥った。


仲が悪いわけではない。

しかし睦貴は、冷徹なこの二人が並ぶと、人知れず緊張を強めてしまう。



「室長、おはようございます。櫛田秘書官がお見えになっています。火急の案件とのことです」


湊が静かに立ち上がり、奈緒も無言でそれに倣った。

睦貴は片手を軽く上げて応じながら、ソファーのひじ掛けへ腰を掛けた。


「奈緒さんが朝一番でここへ来るとは…聖府に動きが?」


「ええ。昨日、聖府から正式に使節団を派遣するとの通告がありました」


通告という言葉が、わずかに強く響く。


「日程は一方的に指定。通常の外交儀礼はすべて省略し、総理との直接会談のみを要求しています。出席者も向こうが指名してきました。その中に、杵築室長と比留間室長代理のお名前もあります」


コーヒーを一口含み、ゆっくりと飲み下す。

いつものコーヒーだが、今は苦味がやけに強い。


湊が言葉を継ぐ。


「前回の雨大使来日時とは様相が違います。受け入れの強要、総理への直通要求、出席者の指定。いずれも外交というより圧迫に近い。今回は、明確な意志を持って来るとみて間違いないでしょう」


湊の言葉に、三人の視線が自然と交わる。



「それで、親父殿の判断は?」


「昨夜遅くまで協議が続きましたが、最終的には受け入れざるを得ない、とのことです」


須賀 猛の胸中が穏やかであるはずがない。

それでも拒めないところに、今回の異様さがあった。


「今回の使節は?」


「外務省が調査を続けていますが、主要な要人リストには該当者がいません。現在は軍籍にある人物のようですが、それ以前の聖府での経歴が追えないのです」


睦貴は小さく息を吐く。


「現役の軍人が大使…か」



それは外交ではない。

半ば、宣戦布告に近いのだろう。



「経歴不詳の人間を代表として寄越すとは、いかにも天(Tian)らしいな」


唇の端に、わずかな皮肉が浮かぶ。


「身体さえ機能すればいい。言動も人格も、すべて制御できる。子供であろうと老人であろうと、『世界に通用する大使』にも『完璧な兵士』にも仕立てられる。そういうことだろうな」


言葉にした瞬間、室内の空気がさらに重くなる。

それは国家との対話ではなく、「接続された意志」との対峙だった。



「聖府での経歴は追えていませんが、日本国内での痕跡が確認されています」


奈緒の声はいつも通り淡々としているが、その内容は重い。


「本来であれば、入国を拒否すべき事案です。ですが、ここで拒絶すれば聖府側の圧力が一段と強まると判断しました。外務省と官邸は、あえて受け入れを選んでいます」


一拍置いて、奈緒は続けた。


「当該人物には、日本での犯罪歴があります」



犯罪歴があろうと拒めない。

それほどまでに、状況は逼迫しているということだ。

睦貴も、その認識は同じだった。


「それで、その経歴不詳の人物は、日本で何をやらかしたのですか」


「建造物損壊罪、及び侵入罪。そして文化財保護法違反」



罪状を聞いて、睦貴は全身の毛が逆立つ感覚に襲われた。




「鹿島神宮本殿への不法侵入事件。その実行犯です」


湊が無表情のまま、中指で眼鏡を上げた。




「名は、『(ぶ・) 雷霆(らいてい)』です」






会談当日。

総理官邸の応接室には、聖府側が指名した面々がすでに揃っていた。


内閣総理大臣である須賀 猛を筆頭に、官房長官、外務大臣、防衛大臣、国家安全保障局長。

名を挙げるまでもなく、国家意思決定の中枢そのものだ。

その列に宮内庁長官の姿があることが、この会談の異様さを何より雄弁に物語っていた。


さらに、睦貴、湊、そして諏訪部明仁にも出席が命じられている。


軍事、情報、そして日本の切り札である「頭脳」。

聖府は、日本の全てを測るつもりか――。



定刻になり、応接室の扉が静かに開く。

廊下の奥から複数の足音が響いてくるが、近付くにつれ目に見えぬ何かが、ゆっくりと室内へ流れ込み、壁や天井に染み込むように満ちていく。

すでにほとんどの大臣たちが身を竦めており、この圧に屈していた。


睦貴のよく知る圧に似ていたが、決定的に違う。

そこには威光も慈愛もなく、ただ一方的に押し潰す力だけがある。


やがて武 雷霆が姿を現した瞬間、圧は重力のように身体へとのしかかる。

大臣たちの息が浅くなる。

誰かが椅子の肘掛けを強く握りしめる音が、やけに大きく響いた。

大臣たちは顔を伏せ、容易に視線を上げられない。


国家の中枢に集う者たちが、本能の領域で押さえ込まれている。



この場で平然としていたのは、並外れた精神力を持つ猛と明仁。

そして、神威を直に経験している睦貴と湊だけだった。

彼らだけが、目を逸らさなかった。



雷霆は入口に立ったまま、微動だにしない。

その視線だけが、居並ぶ大臣たちを舐めるように巡った。


185cmは優に超えているであろう巨躯。

軍服の上からでも隠しきれない、異様に発達した筋肉が布地を押し上げている。

見開かれた双眸は鋭く、まばたきひとつしない。

長い黒髪が無造作に肩へ落ち、その輪郭をいっそう荒々しく縁取っていた。



人の姿をしている。

だがそこに宿る気配は、人ではない。


鬼神――


その言葉が、誰の胸にも同時に浮かんだ。



明仁が深く息を吐き、今にも踏み込まんばかりの、剥き出しの戦意をその眼に宿して雷霆を射抜く。

だが、雷霆は明仁の視線を意に介する様子もなく、重厚な足取りで、自身の席へ向かう。


その左手には、一振りの刀剣。

無造作に刀を抜き放つと、鞘走る金属音が、室内の空気を裂く。


会談の場に武器の持ち込みが許されるはずはない。

だが現に、誰一人としてそれを制止できない。


明仁が無言で立ち上がったが、猛が視線だけでそれを制した。

座ったまま腕組みをして、猛は微動だにせず雷霆を見据える。

睦貴も湊も、その様子を固唾を飲んで見守ることしかできなかった。



雷霆は抜き身の刀身をゆっくりと天へと掲げる。

天井の照明を受け、白刃が冷たく光を返した。


次の瞬間、刀の柄を、眼前の重厚な机へ叩きつける。

分厚い天板に柄が深く食い込み、刃先を天へ向けたまま直立する。

総理大臣の眼前に、「威嚇の象徴」が突き立てられた。


雷霆はなお座らない。

仁王立ちのまま、猛の獰猛な視線を真正面から受け止める。


やがて、その胸の奥から響く声が発せられた。

雷鳴のように低く、室内の空気を震わせる声。




「――国を譲れ」




誰も声を発しない。

静寂が、会場を完全に支配していた。


記録係の手が宙で止まる。

ペン先は紙に触れたまま、わずかに震えている。

いまの言葉を記すべきか…その逡巡がありありと伝わった。


その中で、猛が口を開いた。


「今の私は、すこぶる機嫌が悪い」


声に揺らぎはない。

普段と変わらぬ、低く抑えた響き。


「貴殿を見ていると、若かりし頃の未熟だった自分を思い出すのでな」


威圧は、雷霆のものとは質が違う。

押し潰す力ではない。

踏みとどまらせる重みだった。



「具体的な要求を聞こうではないか」


猛が吐き捨てる。

雷霆は、わずかに顎を引いた。



「一つ。防衛条約の締結。この国は我が神の武威のもとに守護される」


その条約が意味するものは明白だった。

聖府軍の常駐と、安全保障の全面委任。

日本が、自身を守る剣を放棄することを意味していた。


「二つ。聖府による資本注入。この国の産業は、聖府の資本によってさらなる栄華を得よう」


美辞麗句の裏にあるのは資本支配だ。

基幹産業、重要インフラ…国家の血流を握られれば、政策の自由は失われる。

そして資本注入は、日本の重要企業である三峯グループにも及ぶだろう。


「三つ。外交主権の移譲。今後、この国の舵取りは我が神の采配により、最も合理的な道を歩む」


他国との軍事協定も、対抗の連携も許されない。

国際法上は独立国家だが、実体は完全に自主権を喪失することになる。



「四つ――」



ここまで言いかけて、雷霆は言葉を止めた。

顔は猛に向けたまま、眼球だけが横に滑る。

遅れて首を動かし、その視線が睦貴を射抜く。


「ほう。貴公が杵築睦貴か」


「冴えない私をご存じとは、なんとも光栄なことですね。その武御雷大神のコスプレ、なかなかお似合いですよ。ただ…少々迫力には欠けていますがね」


威圧を正面から受けながら、睦貴は肩をすくめた。

足を組み、両手を後頭に回し、露骨なまでの軽視を雷霆に向ける。

大国主大神や武御雷大神の神威と比べれば、この程度の圧など風にも等しい。


雷霆の表情からは、感情が動いたようには見えない。

瞳が、わずかに細まるのが見えた。


「タケミカヅチか。使えそうな素材ではある」


雷霆の言葉が終わると同時に、睦貴が椅子からゆらりと立ち上がる。

睦貴から発せられる気配に、湊が目を見開き驚きを隠せない様子でいる。

湊が今まで見たことはない、殺気とも怒気とも違う――。


もっと純度の高い、拒絶の気配だった。



「なるほど。『使えそう』…か」


睦貴の声は、低い。


「だが断言しよう。天(Tian)よ。お前に神の力が何たるかを、理解することはできない」


睦貴に天(Tian)と名指しされ、雷霆の瞳孔が開閉するのが見えた。


「神の力か」



そして雷霆は不敵な笑いを浮かべ、言い放つ。




「神の力とは――使役するものである」






この瞬間、世界は分岐した。


この存在と並び立つ未来はない。


睦貴は、魂の底で不可逆の拒絶を刻んだ。

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