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神代基層(じんだいきそう)  作者: 久遠 玲
第三章 満ちる祈り
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第二十二話 調律

並み居る大臣の中にあって、睦貴はごく自然な姿勢で立っていた。

余分な力みは一切ない。

表情からは感情らしいものが削ぎ落され、ただ静かに武 雷霆を見つめていた。

その静けさは、湊には覆しようのない断絶に感じられた。


やがて睦貴は、いつものように乱雑に腰を下ろす。

そして先ほどと変わらぬ、どこか相手を軽視するかのような態度を雷霆へ向けた。



「杵築睦貴。貴公に問う。国を譲るか、否か」



総理大臣である須賀 猛に投げかけたのと同じ問いを、雷霆は改めて睦貴へ突きつける。

睦貴は、あごに手を当てながら大げさに考えるふりをして、やがて答えた。


「さあ。なぜそんな大事を俺に訊ねるのか分かりませんね。私一人で仕事をしているわけでも、私一人が日本国民でもありませんよ。他の人にもお尋ねになったらいかがです」


「ほう、ならばそうしよう」


雷霆は睦貴から視線を外し、ゆっくりと湊へ移す。

その目は、刃のように冷たい。

湊はその視線を、さらに冷徹な目で受け止めた。


「杵築睦貴の支柱たる比留間 湊。貴公に問う」


「私への質問は結構。回答を拒否いたします。官僚が聞くべき内容でもありません。分不相応ですので、私はこれで失礼いたします」


言い終わると同時に、湊は音もなく立ち上がり、応接室を出て行ってしまった。

扉を出ていく湊に、睦貴はひらひらと軽く手を振った。



扉の閉まる音が、重く室内に沈んだ。

雷霆の視線は、すでに諏訪部明仁へと向いている。


明仁は立ち上がっていた。

二人の間には、目に見えぬ嵐がうねっているかのようだった。


テーブルを挟んで対峙する巨躯の二人。

大臣たちは声を挟むこともできず、ただ息を詰める。


「神器を操る者、諏訪部明仁。貴公にも問う。国を譲るか」


低く、雷鳴の底を思わせる声が響く。

明仁は鼻で笑った。


「政治のような、複雑なことはよく分からん。だが、拳での決着なら単純明快。俺の大好物だ」


言うが早いか、明仁はゆっくりとテーブルを回り込む。

雷霆は動かない。

仁王のごとく立ち、明仁の殺気を真正面から受ける。

挑発的な目で雷霆を睨みつけながら、互いの息が掛かる距離まで詰める。

固く握られた拳には幾筋もの太い血管が浮き上がっていた。


二人の肉体は、人でありながら、すでに「武」そのものだった。



応接室の扉が勢いよく開き、総理秘書官の櫛田奈緒が飛び込んでくる。

明仁と雷霆の、会談とは思えぬ緊迫した光景に一瞬だけ目を見張る。

だが次の瞬間には表情を引き締め、まっすぐ須賀 猛のもとへ歩み寄ると、その耳元で短く囁いた。


猛は微かに頷く。


「なるほど。この会談とも呼べぬ代物に、相応の準備を整えていたということか」


低く呟き、ゆっくりと立ち上がる。


「ならばこちらも、儀礼をもって応じるしかあるまいな」


猛が手を打ち、乾いた音が室内に響いた。

それは制止でも威嚇でもない。

場の主導権を取り戻す合図だった。


対峙する二頭の猛獣が、同時にわずかに視線を動かす。


明仁は鼻を鳴らし、半歩、後ずさる。

そして何事もなかったかのように、静かに席へ戻った。


雷霆は動かない。

ただ、静かに猛を見据えている。



「武大使。大変申し訳ないが、野暮用ができたので今回の会談はここまでにしたい。大使の要求は一旦預かり、後日に返答するとしよう」


「しばらくは日本に滞在する予定である。監視でも拘束でも、好きにするがよい」


「監視はさせてもらおう。我が国の文化財に、再び風穴を開けられても困るのでな」






応接室から雷霆が退出した瞬間、室内の空気が一斉にほどけた。

大臣たちは、まるで長い潜水から浮上したかのように深く息を吸い込む。


奈緒に続き、秘書官たちが次々と出入りし、各大臣の耳元へ矢継ぎ早に情報を流し込んでいく。

紙片が渡され、低い囁きが交錯する。


現実が、雪崩れ込んできた。

須賀 猛は立ったまま、低く告げる。


「聞いた通りだ。聖府の高圧的な外交の裏で、軍が動いておった。すでに日本の領海内に侵入し、現在は南大東島の南、約200キロに位置している」


一瞬、室内が静まり返る。


「現在も北上を続けており、このままの進路であれば東京を目指していると推察される。具体的な隻数、艦種は未確認だが、確認されている展開規模は、通常の演習を明らかに逸脱している。少なくとも、軍事訓練の範疇ではない」


言葉を区切り、視線を巡らせる。


「戦争状態にある、と判断せざるを得ん」


重い沈黙。


一方的な主権譲渡の勧告と、時を同じくする軍事展開。

もはや交渉という言葉に、現実的な意味は残されていなかった。

日本と聖府の間に横たわるのは、和平ではない。

この場にいる全員が、同じ現実を見据えていた。






全員が重い足取りで退出した後、応接室には睦貴と猛だけが残った。

互いに言葉は発しない。

だが、沈黙そのものが現在の重圧を物語っていた。

机上の資料も、閉じられた扉も、すべてが戦時の気配を帯びている。


「防衛は、諏訪部の隊が主軸となるだろう。他の部隊にもシステムの配備を急がせてはいるが、これが現時点での限界のようだ」


睦貴はわずかに視線を落とす。


「三峯の金屋部長には、最大限の努力をお願いしています」


それでも足りない、と言外に滲む。

睦貴は唇を噛んだ。


「八咫の完成がもっと早ければ、 今ごろは海上自衛隊の大半に配備できていたはずです。そうなっていれば、日本の進む道の選択肢は、もっと残されていたはずだ…」


未完の神器。

それは技術であると同時に、国家の「時間」そのものだった。


「今さら言っても、詮無きことだ」


叱責でもなく、慰めでもない。

ましてや諦めでもない。


ただ、現実をそのまま受け止める者の声音だった。

沈黙が再び落ちる。



「ところで、だ。お前たちの『おもちゃ』は、あのAIにどう立ち向かうのだ」


猛の背中には、国家の命運を背負う重圧が滲んでいた。


「天(Tian)の演算は、完璧な楽譜のようなものです。『ド』を弾けば必ず『レ』が続く。一対一の美しい対称性こそが彼らの理屈です。超高度なAIとの戦いは、始まる前にすでに詰んでいます。所詮は『終わった盤面をなぞる作業』に過ぎません」


「それでは到底、太刀打ちできんだろう」


猛は立ち上がり、窓の外を行き交う群衆を見つめた。

平和な日常が、演算一つで崩れ去ろうとしている。


「だからこそ、八咫は盤面をひっくり返す『ルール外の調律』を行います。システムに流し込むのは、計算不可能なノイズ。人間の非合理なゆらぎです」


睦貴も立ち上がり、猛の下へ歩みを進めた。


「八咫を始め各システムは、発動者の生体波動を直接入力します。感情によって形を変える不安定な波形を、増幅して機能に組み込みます。本来、『十の威圧』を注げば、出力される結果も『十の停滞』であるはずです。ですが、我々は『百の突破力』へと変換することもある」


「今日の会談での、お前たちのようにか?」


猛が肩を震わせ、静かに笑った。

つられて睦貴の口元も緩む。


「ええ。理屈で説明のつかない飛躍こそが、俺たちの勝機です。入力と出力が釣り合わない…この非対称なバグを、天(Tian)は処理できません」



睦貴は力強く顔を上げた。


「武 雷霆は言いました。神域の波動を『使えそう』だと。これは明確に、いまだ技術として取り込めていないことを意味しています」


睦貴はさらに続ける。


「今の八咫には、神の意志さえ宿っている。いかなる超高度AIといえど、八百万の神々が描く非合理なゆらぎまで演算することは、不可能です」




睦貴の言葉を最後まで聞き届け、猛はゆっくりと眼を閉じた。

再び開かれたその瞳には、一国のリーダーとしての苛烈な闘志と、父としての静かな慈愛が混ざり合っていた。


「よくぞ、この父の最後の頼みを叶えてくれたな」


「親父殿。以前も申し上げたはずです。これを最後にするつもりはない、と」


睦貴が向けた怒気を含む視線に、猛はふっと目尻を下げた。


「もはや聖府との和平は望めまい。私の不徳ゆえ、この国を未曾有の危機に引きずり込んでしまった。この事態が収束した暁には、私は議員を辞するつもりだ。もっとも、穏便な隠居が許されるかは分からんがな」


猛は自嘲気味に、低く喉を鳴らした。



「場合によっては、軍事裁判の被告席が…私の終着駅かもしれん」




二人はそれ以上言葉を交わさず、窓の外に広がる街並みを見つめた。

西日に照らされ、家路を急ぐ人々の影が長く伸びている。


その日常を守るために、彼らは非合理な奇跡に、すべてを賭けた。




長い一日が、ようやく終わろうとしていた。

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