第二十話 非情
環境情報調査室の空気は、肌にまとわりつくような緊張を帯びていた。
緊張の原因は、鹿島神宮本殿への侵入事件。
その犯人の、逮捕後の足取りである。
「室長、犯人の動きが判明しました。結論から申し上げれば、犯人は外国籍、大同天境統合聖府です」
報告書を差し出す湊の声は、冷静さの奥に硬さがあった。
聖府の名を聞いた瞬間、睦貴の眉間がわずかに寄った。
「やはりそうか…」
否定を期待していたわけではない。
むしろ予測通りだ。
だが、事態は深刻だという現実が、胸の奥に鈍い重みを残す。
武御雷の示唆通り、渡来の者――外から来た者だった。
「それで、犯人は現在どうしている」
「残念ながら、すでに不起訴処分になり、入管の判断で退去強制処分になっています。検察庁へ送致後から、犯人の人格が豹変したそうです」
その報告は、睦貴には銃声よりも鋭く響いた。
「そうか」
追跡線が断ち切られたことへの理解と、どうにもならない現実への苛立ちが滲んでいた。
国外へ出た以上、直接の拘束も尋問も不可能。
つまり、もうこちらの手は届かないことを意味していた。
神域から採取された波動情報も、すでに天(Tian)へ渡った可能性が高い。
そうなれば解析も再現も時間の問題だ。
「人格を豹変させ、精神障害による裁判不能を狙ったか」
「ええ。その可能性は高いと思われます。記録では、逮捕から送致までは従順だったそうですが、急に『我は神なり』など意味不明なことを話すようになり、意思疎通不能と判断されたようです。犯人は自身を『武 雷霆』と名乗ったそうです」
睦貴は驚きと嫌悪感を隠さず、デスクに拳を叩きつけた。
人間から波動が発せられるなら、逆もあり得る。
人間に波動を流し込み、「器」にすることも。
天(Tian)は波動を記録媒体を使って保存するのではなく、人間そのものを巨大なメモリとして使用したというのか。
だがそれは、あまりに危険な賭けだった。
波長は個体ごとに微妙に違う。
臓器移植でさえ拒絶反応が起こるのに、異質な波動が精神へ侵入すればどうなるか。
最悪、人格崩壊どころか廃人化もあり得る。
成功率は低く、倫理性も皆無。
普通の組織なら、試す前に却下される発想だ。
――それでも実行する。
そこに、聖府という存在の異常さがあった。
「どれだけ犠牲を出したんだ…」
吐き捨てるように睦貴は呟いた。
「何人壊せば、『器』なんてものが完成する」
脳裏に浮かぶのは、記録にも残らない失敗例の山。
声も名も失った被験者たちの影が、暗闇の底からこちらを見上げているような錯覚に陥る。
睦貴は目を閉じ、短く息を吐いた。
「俺たちにはできない。あまりにも、非情すぎる」
睦貴の言葉に、調査室を暗い空気が包む。
神域の波動を、天(Tian)がどのように技術に組み込むか、その全容はまだ掴めていない。
現在のところ、神域の波動を何かに使用された痕跡はない。
――定められし者にこそ応ずるもの――
今は武御雷の言葉を信じるしかなかった。
垂れ込めた濃い霧を振り払うように、湊が口を開く。
「鹿島神宮の波動データに関し、三峯精機の金屋部長より連絡が入っています。攻撃システムは順調に作動し、すぐにでもテスト可能の状態のようです。どうなさいますか」
睦貴は一瞬考え、肩の力を抜いた。
「そうだな、早い方がいい。湊、金屋部長にアポを取っておいてくれ。善は急げだ。今から行く」
湊はその声に思わず苦笑した。
こういう決断と行動の速さは、義父である須賀 猛にそっくりである。
睦貴の突然の訪問を、金屋和彦は快く迎え入れた。
部屋には緊張もあったが、どこか楽しげな期待が漂う。
「杵築さん、この攻撃システムの破壊力は凄まじい。これが戦場に投入されれば、戦争の形を一変させるでしょうな。自然の雷を人間が操ることは不可能です。しかし、それを可能にしてしまった」
和彦は目を輝かせ、図面を指し示しながら続けた。
「エネルギーを極限まで圧縮することで、低出力でも莫大な電力を瞬間的に発生させます。ここまではどの国でも実現可能な技術です。攻撃システムの凄まじさは、発射された電撃を雷光のように自在に操れる点にあります。従来なら制御不可能な電力を、波動によって精密にコントロールするのです」
睦貴は図面に視線を落としながら、各攻防システムと八咫の連携、そして波動が技術に組み込まれている様子を思い描いた。
謎が多い技術だが、三峯精機は着実に現実のシステムとして落とし込んでいた。
「射出された電撃は、一本の細い針のように見えるでしょう。それが対象の中枢機能を瞬時に破壊する。攻撃を受けた側は何が起きたか認識すらできず、まさに雷に打たれたかのような一瞬で無力化されてしまう。爆発や火災を伴わず、周囲への被害…特に戦艦などの乗務員への被害を最小化できる。本来であれば、探知システムの『天之御中』と連携させれば、精密射撃が可能になり完璧ですが…」
武御雷の「雷」と「断」、そして「威」。
睦貴は攻撃システムとしての完成度に満足した。
「ところで金屋さん、例の…迎撃システムの進展はどうですか」
睦貴の質問に、和彦は珍しく眉間に皺を寄せて難色を示した。
睦貴はその表情を見て、八咫の開発初期に和彦が同じ顔をしていたのを思い出し、思わず苦笑した。
「杵築さんが提唱する迎撃システムですが、これは二つの視点から不可能だと断定しました。まず一つ目は圧倒的に資材が足りません。これは設置型システムですが、万全を期すなら日本全土を囲う必要があります。現実的に移動や運用は不可能です」
迎撃システムは、侵攻してきた外敵に対しての防御だけでなく、排除も同時に行うことを想定している。
侵攻経路が不明な状況で、ピンポイントの設置では意味をなさないと和彦は説明する。
「二つ目は、最も重要な点です。他のシステムと同様、波動を投入する余白はあります。しかし、このシステムは波動に制御を移譲すると、システムも八咫も全制御を波動側に委ねてしまい、連携不能になってしまう。発動すれば制御が完全に離れ、戻ってこない。制御不能のリスクがあるのです」
和彦は慎重に言葉を選び、睦貴にその危険性を伝えた。
攻防一体の迎撃システムは理論上魅力的だが、現実の運用に耐えうる設計ではなかった。
「当面は、防御の『草薙』と攻撃システムが主力となりそうですな。まあ、それだけでも他国とは比較にならんレベルの軍備でしょう。迎撃システムは、引き続き実現に向けて試行錯誤をしてみましょう」
「ありがとうございます。攻撃システムのテストが完了次第、すぐに量産に入れるよう各所に話を通しておきます。迎撃システムの波動は、すでに八咫への投入を完了しています。データが揃いましたら、すぐにお送りします」
和彦は、いつもの柔らかく人懐こい笑顔を睦貴に向けた。
それは、技術の話に熱中する彼の表情とはまた違う、信頼と安心を伝える笑みだった。
睦貴も自然と肩の力が抜け、少しだけ微笑みを返す。
二人の間には、仕事の緊張とともに確かな連携の感覚が流れていた。




