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第一話 召喚

――大日本新聞 2046年4月15日――


『神域での狼藉 目的は』

4月13日未明、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮本殿に男が侵入しているのを警備員が発見し、警察に通報した。男は駆け付けた警察官に取り押さえられ、建造物侵入の現行犯で逮捕された。


警察によると、本殿東側の壁板に穴が開いており、男は何らかの方法で穴を開けて侵入したとみられる。本殿内には神具などが置かれていたが、触れられた形跡はなく、壁の損壊以外に被害は確認されていない。神社関係者は「目的が分からない」と話している。


逮捕された男は身元を示す所持品を持っておらず、警察は動機や侵入経路などを詳しく調べている。






「大方、この日本には『神』など存在しないと証明したい、反体制派の仕業だろうな」



環境省の一室を間借りした「内閣官房環境情報調査室」。

その室長席に胡坐をかいて座りながら、新聞の三面記事に目を通して杵築睦貴(きつきむつき)は呟いた。



仰々しい名称とは裏腹に、入口の表札は手書きのメモ一枚。


本来なら永田町の内閣府に置かれて然るべき部署だが、実際は霞が関の環境省ビルの空き部屋に押し込められている。

その扱い自体が、この部署の得体の知れなさを物語っていた。



周囲の官僚からは、嘲笑と憐憫の入り混じった視線を向けられている。

ひっそりと、しかし確実に隔離された部署、それが環境情報調査室だった。



「窓際部署?結構結構。陽当たりのいい窓際の室長席は、誰にも譲らんぞ」



肝心の睦貴はどれだけ蔑まれてもどこ吹く風、何かを気にする様子は微塵もなかった。

実際、睦貴が嫌々ながら初めてこの部屋に着任した時、この陽当たりの良さを見て機嫌を直したほどだった。



環境情報調査室の業務は、環境省各課から送られてくる資料を印刷し、保管するだけ。

俗に言う「追い出し部屋」と呼ばれても仕方のない内容だった。

しかも、保管資料を閲覧しに来た者は、これまで一人もいないという虚しさを極めた。




今年で45歳になる若き室長、と言えば聞こえはいいが、睦貴は身だしなみに一切気を使わないどころか、インテリジェンスを感じさせる官僚らしい雰囲気も振る舞いもなかった。


身長176cmの痩身。

整えればそれなりに映える顔立ちをしているが、本人は身なりに無頓着だった。

髪は数か月に一度、誰かに指摘されてようやく切る程度。

無精ひげは常態化し、スーツはどこかくたびれている。

ヨレたズボンのポケットに手を突っ込み、猫背で歩く姿は、どう見ても冴えない中間管理職だ。


誰の目にも、うだつの上がらない中年男。

誰にも知られぬ部屋で、誰の役に立っているのかもわからぬ仕事を、今日も淡々とこなしている。




「またそんな格好で…室長らしくしてくれとは言いませんが、せめて髪くらい整えたらどうですか。ネクタイも締め直してください。曲がり方が尋常ではありません」


内閣府から戻ってきた比留間(ひるま) (みなと)は、ため息交じりに睦貴を嗜める。



睦貴とは対照的に、湊は絵に描いたような官僚だった。

財務省出身のエリートで、本来なら順当に幹部コースを歩んでいたはずの男である。

それが、睦貴の「俺のところに来いよ」という、飲みの誘いのような一言で異動してきた。

常識では考えにくい人事だった。


財務省時代に築いた人脈を駆使し、各省庁との折衝や調整を一手に引き受け、この得体の知れない部署を機能する組織にしている立役者でもあった。



睦貴と同じくらいの体格だが、纏う空気は正反対だ。

皺ひとつないスーツを完璧に着こなし、背筋を伸ばして歩く姿は隙がない。

切れ長の目に細縁の眼鏡。

感情をあまり表に出さない端整な顔立ちは、いかにも切れ者といった風情で、省庁内の女性職員からの人気も高い。


今年で38歳。

若きエリートでありながら、浮いた噂は皆無。

表情が変わることも滅多にない。


そのため一部では、「実は政府が試験運用している高性能アンドロイドなのではないか」などという冗談めいた噂まで流れている。




今日は内閣府から急な呼び出しがあった。

だが睦貴は「内閣府は空気が重い」という身も蓋もない理由で出向こうとせず、やむなく湊が名代として赴いていた。


「それで?内閣府は我が栄光の調査室に、いかなる大任をお与えくださると?」


おどけた口調で問う睦貴だったが、湊は笑わない。

口元どころか、表情筋ひとつ動かなかった。


「詳細は一切、明かされませんでした」


淡々とした声色が、かえって重い。


「室長が自ら出向いてこい、それだけです。加えて、これは総理大臣命令である、と」


「…あの親父殿が?」


睦貴の声から、軽薄さが消えた。


「あの人が直々に俺を呼びつけるなんて、よほどのことだぞ」


須賀 猛――現職の内閣総理大臣。

そして、睦貴の義父でもある男だ。


室内に、わずかな沈黙が落ちる。


「室長」


湊が静かに口を開いた。


「もう少し周囲の目を気にされてはいかがですが。総理の親族というだけで、皆、室長を警戒しています」


「分かってるさ」


睦貴は椅子の背にもたれ、面倒くさそうに天井を仰ぐ。


「上と太いパイプがある。それだけでこの界隈では十分すぎる武器だ。嫉妬も猜疑も当然だろうな」


そして小さく息を吐いた。


「だがな、俺は今まで、自分を官僚だと思ったことは一度もないさ」




無職の風来坊であった睦貴を、義父であり、総理大臣である猛に、否応なしにこの部署へ放り込まれたのが五年前だ。


前身は「日本防衛研究所」。

各国の軍事力や日本の防衛体制を分析する機関だったが、発足直後から「軍国化への布石だ」と世論の激しい反発を受け、あえなく閉鎖へ追い込まれた。

メディアやSNSは「平和の勝利」と沸き立った。


だが、その騒動の裏に周到な反体制勢力の工作があったことを、睦貴は疑っていない。


研究所解体後、猛は名称と所在地を変え、形だけを整えた新部署を用意した。

それが、今の「内閣官房環境情報調査室」である。

睦貴のために猛が名称と場所を変えて、働き口を用意したという格好になっている。




「総理としての親父殿から呼び出しとあらば、無視はできないか」


睦貴は頭を掻き、苦々しく笑う。


「本当に嫌なんだよなあ、親父殿に会うのは…。何を言われることやら」


「室長」


湊が静かに割って入る。


「その『嫌だ』、という今の感覚。果たしていつも抱く『嫌だ』と同じ感覚でしょうか」


鋭い指摘だった。

睦貴は一瞬だけ目を細め、やがて小さく笑う。


「さすが俺が心底信頼している男だ。鋭い洞察力と言えるな」


おそらく湊は、内閣府のわずかな言い回しや空気の変化から、何かを感じ取ったのだろう。

彼は言葉の裏だけでなく、心の機微といった、その温度や行間までも読む。

財務省時代は数字を扱うことを主としていたが、彼の本領は言葉を操ることにあることを睦貴は知っている。


「そうだな、同じではないだろうな。湊、ご苦労だった。鬼が出るか蛇が出るか。ムカデが出るかもしれないな」


「室長、くれぐれも」


珍しく、湊の視線にわずかな憂慮が滲む。


「ああ、行ってくる。鬼か蛇かムカデかは分からないが、お前には退治の手伝いを頼むよ」


「分かっています。室長が何を持ち帰ってきても、必ず対処してみせます」


睦貴は湊の肩を軽く叩き、背を向けたまま片手をひらひらと上げる。

いつもの気怠げな足取りで、しかしどこか覚悟を秘めて廊下へ向かう。




「ああ、そうだ室長」


背後から湊の声が飛ぶ。






「せめてネクタイは直して行って下さい」




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