第十八話 遭遇
大同天境統合聖府は、日本政府に対し、以下を最終要求として通告する。
・貴国による我が国大使隔離措置の全記録を即時提出せよ。
・当該措置の決定責任者を明示せよ。
・大使の安全を損なった疑義について、国家責任を前提とした公式回答を提出せよ。
上記事項が完全履行されない場合、我が国は国家主権を守るため、必要と認めるあらゆる措置を直ちに実行に移す。
以上。
雨 公祇が帰国して一月ほど経ったある日、聖府からの通達が届いた。
内容は有無を言わせぬもので、ほとんど宣戦布告に等しいものだった。
「国家主権を守るため」とはあるが、国民への言及は一切ない。
その冷淡さこそ、聖府らしかった。
使節団の体調悪化、さらには拉致同然の連行――
いずれも事実である以上、日本政府の回答は平身低頭を極めるものとなった。
無論、「アマノイワト」の存在は伏せられたままだ。
天(Tian)は感情で動く存在ではない。
通達は表向きこそ儀礼的形式を保っていたが、日本統合への進展を示唆する意思表示にも受け取れる。
この通達に込められた聖府の意図を読み切れず、日本政府の警戒は必然的に強まった。
環境情報調査室で、睦貴は思案に沈んでいた。
聖府からの通達を受け、総理である須賀 猛より指示が下されていた。
防衛システムだけでなく、攻勢反転を可能にする、攻撃システムの完成。
防衛網はすでに整いつつある。
「草薙」をはじめ、主要システムは完成間近だ。
都市部を中心に設置される「事代<KOTOSHIRO>」は、増幅させた波動を広範拡散し、敵国からのハッキングや妨害パルスなどを遮断する。
侵入を検知すれば、防御と同時に偽情報を逆流させる対抗機能も備えていた。
これにより、日本国内のインフラを聖府が管掌することを阻止する。
三峯精機の驚異的な製造力により、配備は予定通り完了目前にある。
「室長。三峯精機の視察から戻りました。神域波動投入後、初の試験でしたが…結果は想定以上です。金屋部長の落胆ぶりからも、システムの性能の高さが伺えます」
「事代」のテストを終え、湊が三峯精機から戻ってきた。
表情には出ていないが、その声のわずかな熱を睦貴は感じた。
「『事代』の防衛力は群を抜いています。三峯精機で開発中のAIで検証を重ねましたが、そのAIですら突破不能でした。しかも偽情報を真と判定する。いかなる言語コードも、『事代』の前では無力です。まさに『言葉の神』です」
「波動なしでも、他国の追随を許さないほどの性能だからな。とはいえ、天(Tian)の底が知れない以上、万全とは言い切れない。そこが厄介だ」
天(Tian)に対抗するため、三峯精機は金屋和彦を中心に総力を挙げAI開発に没頭している。
その進化速度は凄まじく、ごく近い将来に、性能は現在の天(Tian)に肩を並べると予測されていた。
彼らを動かすのは愛国ではない。
技術が劣るという事実そのものを拒絶する。
それが、三峯精機という集団の本能だった。
自慢のAIが「事代」を突破できなかっただけでなく、逆に送りこまれた偽情報を見抜けなかった。
和彦の落胆ぶりが目に浮かび、睦貴はにやりと笑った。
もっとも、当の天(Tian)が大人しく足踏みしているとは、誰も思っていない。
「ところで室長。神域波動の保存任務ですが…私ではなく、別の者を向かわせていただけませんか。正直、私には荷が重く感じられます。神威を前にすると、立っていることさえできず、気づけば平伏してしまうのです。参拝客の目も気になります」
「なあに。傍から見れば、熱心な信者にしか映らんさ」
表情が曇る湊とは対照的に、睦貴は愉快そうに笑う。
「レーダー探知システムの『天之御中』についてですが、複数の神域を巡って波動を投入していますが、適合と呼べるものがまだ見つかっていません。三峯精機の試作戦闘機でテストを行いましたが、波動干渉と見られる影響で、性能は想定を下回りました。八咫との連携も数度、遮断エラーが発生しています」
中枢監視網「天之御中<AMENOMINAKA>」は、空間同時把握型レーダーとして配備する予定だ。
あらゆる遮蔽や妨害を無効化し、対象の位置や状態を特定する超広域探知網である。
探知範囲は海域と空域に及び、八咫との連携により取得情報は瞬時に解析統合される。
この網に捉えられた時――「天」そのものに見据えられたかのような錯覚を覚えるだろう。
「天之御中主神は造化三神のうちの一柱で、天地開闢で最初に現れた至高の存在とも言われている。古事記ではその名のみ記載があるだけで、謎の多い神だ。当面は波動なしで運用するしかなさそうだな。適合するまで、引き続きお前には伏拝を続けてもらおう」
湊は一瞬目を泳がせた後、話題を切り替えた。
「ところで、防衛システムの配備は順調です。これまでは防衛を優先してきましたが…そろそろ攻撃系の波動にも着手すべき頃合いかと思います」
胡坐を解いて立ち上がりながら、睦貴は珍しく険しい表情になる。
「攻撃システムに関しては、親父殿から矢の催促が飛んできている。だが一部のシステムに関して、つい先ほど金屋部長から連絡があった。『どうしても不可能』だそうだ。攻撃と防御を兼ね揃えた、国を守る要になる装置だ。後日、直接話を聞いてくる」
あの金屋和彦が不可能と断定したほどの兵器。
湊はにわかに信じられないといった表情を見せる。
「他の攻撃システムは、波動さえ投入できれば試験段階に入れる。保存は俺が行く」
「私も同行しますか」
湊の申し出に、睦貴は首を振る。
「いや。今回は俺一人でいい。伏拝どころか、意識を保てるかどうかも分からないからな」
湊は表情を変えず、しかしわずかに息を呑んだ。
「…それほどですか」
睦貴は、ゆっくりと息を吸った。
どこか覚悟を決めたようでいて、拭い切れない怯えがその表情の奥に沈んでいる。
理性は前へ行けと命じているのに、本能は足を止めようとしている。
そんな相反する衝動が、睦貴の内側でせめぎ合っていた。
「ああ。なにせ相手は――」
やがて、絞り出すように答えた。
「『武神』だからな」
常陸の東端。
荒海で知られる鹿島灘の記憶を背負い、鹿島神宮は大地そのものの重みを宿して鎮座していた。
境内に足を踏み入れた瞬間、空気はひんやりと重くなる。
目には見えぬ威圧に、押し鎮められたような静寂だけが満ちる。
ここは祈る場所であると同時に、畏れる場所だと睦貴は感じた。
拝殿は飾り気を退けた端正な姿でありながら、前に立つ者の背筋を無言で正させる「威」を放つ。
さらに奥、本殿は人の視線も思念も寄せつけぬ、絶対の「静」を湛えていた。
そこに祀られる武御雷大神の神威は、ただ神域に満ちるだけではない。
遠く関東地方の地脈をも押さえつけ、地震すら起き上がることを許さぬと伝えられるほどの力が、この社の奥底から絶えず地へ注がれている。
葦原の地を巡る神話――「国譲り」。
その中で武御雷は、高天原の使者として地上に降り立った。
抗うという発想そのものを、存在ごと刈り取ってしまうほどの神威。
それこそが、日本随一と謳われる武神、武御雷である。
重厚な大鳥居をくぐり、楼門を抜けた瞬間、視界がひらけた。
張りつめていた空気がさらに澄み、境内そのものが一つの結界であるかのように感じられる。
すぐ右手の鳥居の奥に、武御雷を祀る拝殿と本殿が鎮座し、その間を幣殿と石の間が静かにつないでいる。
権現造りの社殿の背後には、四十メートルに及ぶ巨木が、まるで守護者のように本殿を抱くようにそびえていた。
枝葉は天を覆い、影は地を鎮め、訪れる者すべてを無言のうちに見守っている。
睦貴はしばらく授与所の前に立ち境内の様子を窺う。
参拝客が途絶える様子はなく、睦貴は拝殿に立つのを諦め、本殿の裏手へと静かに回り込んだ。
この武威が満ちる波動を保存するなら、あまり人目につかない場所がよいと判断した。
張りつめた面持ちのまま、睦貴は勾玉を捧げて本殿へ深く拝礼した。
額を下げたその瞬間、かつて味わった感覚が、何の前触れもなく全身を満たす。
やがてそれが引いたあとに残ったのは、研ぎ澄まされた清浄と、逃れようのない圧だった。
出雲大社で大国主と邂逅した時のそれとも違う。
あの時が「満たされる圧」だとするなら、今は――
否。
これは、圧などという生易しいものではない。
全身の重力が、突如として数倍に跳ね上がったかのようだった。
自身の意志を無視するかのように、本能が膝を折り頭を地に伏せることを望んでいる。
耐えきれず、睦貴の片膝が地面へと折れた。
頭は上げられない。
上げてはならないと、まるで睦貴の魂が激しく警鐘を鳴らしているようだった。
だが同時に、確信した。
――武神が、今、目の前に在る、と。




