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第十五話 会談

大同天境統合聖府からの使節が来日した翌日、睦貴は官邸に控えていた。

総理大臣応接室のソファに腰掛けた彼は、珍しく髪を整え、スーツにも皺ひとつない。

もっとも、その姿勢は相変わらずで、深く腰を落とし胡坐をかいている。


「室長…いや参事官殿、椅子に座る際は胡坐はおやめください」


「湊、どうせ相手方は恫喝しに来るんだ。そんなやつらに礼儀もクソもないだろう。これで十分さ」


この日のために睦貴に用意されたポストは、国家安全保障局参事官だった。

内閣総理大臣の須賀 猛に同席を強制された翌日、睦貴の名前が官報に載った。

無関係な者を同席させている疑念を、聖府側が抱かないための急造の措置だ。


「ここは国益を懸けた公式な会談の場です。個人の感情は切り離してください。室長が発言をすることはありませんが、表情ひとつにも細心の注意を払ってください」


「まったく、俺よりお前の方がよほど適任だと思うがね。しかしまあ、聖府の天(Tian)に直結された人間を間近で見るのも、悪くはないがな」


扉が開き、櫛田奈緒を伴い猛が入ってくる。

猛の顔には、聖府の使節になど会いたくないという本音が、隠しようもなく刻まれていた。


「『不愉快』という日本語は、今日のためにあるようなものだな。使節があの() 公祺(こうき)でなければ、私は会談など蹴っていたはずだ」


露骨に嫌悪を滲ませながら、猛も並んでソファーに腰を下ろす。


「見ただろう、睦貴。大使の来日が決まってから今日までの連中の動きを。聖府への迎合を、もはや隠そうともしない。我々は外に聖府、内に反体制派…常山の蛇を相手にしているようなものだ」


「常山の蛇」とは、中国の故事に由来する言葉だ。

頭を打てば尾に襲われ、尾を打てば頭に襲われ、胴を打てば頭と尾が共に襲ってくる。

つまり、全体が一体となって連携していることを意味する。


反体制派の勢力は日増しに膨張し、聖府の影がちらつく政治家の名も、枚挙に暇がない。






午前十時からの会談は、定刻通りに開始された。

外務大臣は入室時から相手の顔色を窺い続け、どちらの側か判然としない態度を崩さない。

会談は通訳を通す必要もなく、聖府側の出席者は全員よどみない日本語を操る。

言語を操ることなど、天(Tian)にとっては些末な技術だ。


一通りの儀礼的挨拶の後、大同天境統合聖府の大使である雨 広祺がおもむろに口を開く。


「昨夜は心尽くしの歓待、まことにありがとうございました。簡素にして雅、慎ましやかな華。その素晴らしさを言葉にする術を、私は持ちません」


「ほう、そこまで評価いただけたとは光栄です。主催した側として、これ以上の喜びはありませんな」


広祺は終始微笑を絶やさず、穏やかな視線を猛に向けている。



睦貴は公祺の表情を注意深く観察していた。

通常の人間とは違い、感情の起伏がない。

言葉の抑揚も、表情筋の動きも、常に一定だ。

高性能な自律機械が、人の形を借りて会話している。

そんな錯覚すら覚える。

失言はなく、応答は常に完璧。

用意された飲料を飲む所作も美しい。



「ええ、まさに最高の宴でした」


変わらぬ笑みを浮かべ、公祺がわずかに身を乗り出す。


「――時に須賀総理」


底の見えない瞳はじっと猛を捉え、外すことはない。


「宴というものは、早く席に着いた者が杯を配る側に回れる。遅れて来た客は、どんな名門でも大家でも、一方的に注がれ、それを受けるしかありません。総理は配る側と、待つ側…どちらが性に合いますでしょうか」


「私は若い頃から誰にも酌をせず、誰からの酌も受けず、ただそこにあるものを自分で片っ端から浴びるだけですからな。どちらも性に合わんでしょう。それは雨大使が一番ご存じのはずだ」


猛が豪快に笑う。

笑いが収まった猛の咬筋が熱を帯び、皮膚の下でぎり、と盛り上がる。


「そうでしたね。相変わらずの豪傑でいらっしゃる」


公祺は相変わらずの笑顔だ。


「注がれる側は楽なものです。杯を傾ける必要もなく、注がれる。ただ――」



公祺の瞳孔が、ピントを合わせ直すように、小刻みに開閉するのが見えた。



「何を注がれるかは、選ぶことができません」






会談は和やかな笑いに包まれて終わった。

外務大臣は歓待が成功だったと喜び、公祺たちを連れ立って応接室を後にした。

その後ろ姿は、どこまでも卑屈に見えた。



「睦貴、日本の主権譲渡を迫られた形になったな」


猛は落ち着いていた。

想定の範囲内だったのか、それとも彼の胆力が常人の域を超えているのか。

睦貴には測りかねたが、少なくとも、猛に動揺はなかった。


「早々に帰順せねば、盃に満たされるのは我々の赤い血液だと脅しやがる。日本は聖府の属国として富を享受しろ、その代わり手先になれ、といったところか」


「盃に血が注がれる前に、親父殿が大使を血祭に上げそうで、私は正直、肝を冷やしましたがね」


二人は視線を交わし、低く笑った。


「それで、このあとは非公式の文化施設視察だが…あとは外務省の担当がうまく運んでくれるだろう」


「ええ、こちらも対応できるよう、準備はしています。雨大使を観察する限り、天(Tian)の制御は完璧と言えます。その完璧さを見られただけでも、十分に収穫と言えるでしょう」






官邸を出たあと、使節が向かった先は明治神宮だった。

当初、聖府側より伊勢の神宮を視察先に希望してきたが、日程の都合を理由に断った。

実際には、それを聞いた猛が言語道断とばかりに憤激したからである。



明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祀るために建てられた神社である。

ここが特別なのは、それを包む広大な森にあった。

もとは原野だったこの地に、人々は全国から献木(けんぼく)を集め、未来を信じて一本ずつ植えたのだ。

人の一生より長い時間を見据え、完成を次の世代に託すという、祈りに近い意思とともに。


参道を進むにつれ、都会の音は薄れ、木々の呼吸と砂利を踏む音だけが残る。

明治神宮は、近代国家として歩み始めた日本の象徴であると同時に、時間をかけて育てられた「静けさ」そのものを祀る場所でもあるように感じる。



「雨大使、こちらが木造としては日本一を誇る、明神鳥居の大鳥居です。ここから先が境内となっております」


外務省アジア大洋州局長が、案内役として先に立つ。

睦貴は湊とともに、外務省担当官の一団に紛れ、一定の距離を保ちながら動向を観察していた。


公祺たち聖府関係者は、しばし足を止めて周囲を見渡していた。

巨大な鳥居と神秘的な木々。

日本文化を肌で感じ、その神秘性に心を動かされているように見える。

しかし睦貴には、公祺たちが五感で感じたデータを、天(Tian)が収集しているように思えた。


「湊。デバイスで記録した、大使の生体波動の解析結果は出たか?天(Tian)との送受信についても、何か掴めればいいが……さすがにそこまで甘くはないか」


「室長、アマノイワトより解析の結果が届いています。やはり人間のものとは明確な違いがあるようです。波形に乱れが一切なく、完璧に近い状態で安定状態。人間にはあり得ない波形のようです。送受信データは高度に暗号化されており、残念ながら八咫でも解析には相当な時間を要するそうです」


公祺から目を離さず、睦貴は頷く。


「完璧か。それだけ分かれば上出来だな。あとは俺の読みが当たるかどうかだな」


「準備は整っています。すでに配備も完了しているはずです」



局長に促され、公祺たちは大鳥居をくぐる。

一瞬、聖府関係者たちの動きが止まったように、睦貴は感じた。

時間が噛み合わず、映像が一瞬だけ引き延ばされたような感覚。

その違和感に気づいたのは、睦貴だけだった。



鳥居を抜け、しばらく進んだところで、公祺が不自然なほどゆっくりと腕を上げる。

おもむろに、遠くにはためく日本国旗を指し示した。


「あれに、聖府の…我が神の『天環旗(てんかんき)』を掲げよ。世界は神のためにある」


天環旗――大同天境統合聖府の国旗である。

白地の中央に描かれた切れ目のない円環。

それは始まりも終わりも持たない完全性の象徴。

歴史も、希望も、祈りも、感情すらも含まれない「秩序そのもの」を掲げる旗だった。


局長が冷静に、子供をあやすように口を挟む。


「ええ、いつかまた、雨大使が親善でお越しになられた際には、我が国の国旗とともに掲揚することを検討いたしましょう」


失言というにはあまりにも逸脱した、看過し得ない暴言である。

涼しく受け流した局長だが、内心は穏やかではないだろう。

天(Tian)の精密な演算に、何らかの誤差が生じていると睦貴は直感した。


「湊、南神門(みなみしんもん)まではもたないだろう。三の鳥居付近に配置を変えてくれ」


湊が静かに列を離れ、境内の奥へと向かっていく。



公祺たちは足取りもおぼつかない状態になっていた。

つい先ほどまで、歩様ひとつ取っても無駄のない所作を保っていた聖府関係者たちが、一斉に落ち着きを失い、視線を泳がせ、挙動不審に陥っている。

その異変に気づかぬふりをしたまま、局長は参道の奥へと案内を急がせる。



祓舎に辿り着く頃には、公祺を含む一行は完全に表情を失っていた。

笑みも言葉も消え、まるで魂を抜かれた屍のように歩いている。

そして三の鳥居を抜ける瞬間、公祺たちが支えを失った操り人形のように、身体を地面へ横たえた。


即座に、待機していた湊率いる救護班が動く。

手慣れた動きでブルーシートを広げ、即席のパーテーションを組み上げる。

平日で参拝客は少なく、警備もすでに誘導を開始していた。

混乱は、表に出ない。


「雨大使は速やかに調査室の『叢雲(むらくも)』に乗せてくれ。他は全員、緊急車両で病院に搬送だ。湊、調査室に受け入れ態勢を取るよう指示してくれ」


「杵築さん、ここまでは打ち合わせの通りでしたが、彼らは大丈夫なのでしょうか。下手をすれば、国際問題に発展しますよ」


担架に乗る公祺を見守りながら、睦貴は軽く笑って答える。


「この神域を出てしばらくすれば、全員の意識は戻るでしょう。ここでの記憶は無いでしょうけどね。雨大使は、帰国日までには戻します。それまでしばらくは、日本を満喫するために、雨大使ご本人の意思で所在不明になってしまった…ということにでもしておきましょう」


「拉致同然のことをして、そんな言い訳が通用するわけないでしょう」






頭を抱える局長をよそに、睦貴は静かに本殿を見つめながら、独り言のように呟いた。


「俺たち日本人が、古来から守り、受け継いできたもの。日本人らしさ、とでも言うべきか」


その呟きに応えるように、風が境内の木々をわずかに揺らす。


「演算では算出できない、不確定なゆらぎ。完璧であるがゆえに、天(Tian)はそれを理解できていない。だからこそ――エラーを起こす」


その声は、神域に溶けるように消えていった。


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