第十四話 演習
護衛艦「守屋」は横須賀基地を出港し、浦賀水道を抜けて伊豆諸島周辺の太平洋へと進出していた。
沿岸航行を終え、外洋に出た艦は速力と針路を一定に保ち、演習海域へ向かう。
周囲に民間船の影はなく、海と空だけが広がっている。
睦貴は艦橋に立ち、防衛システム「草薙」の作動テストに立ち会っていた。
伊豆諸島周辺は、対潜・対水上訓練に適した海域として知られる。
実戦を想定した条件下で、システムや管制装置が設計通りの性能を発揮するかが試される。
粛々と職務を遂行する艦内の自衛官たちとは裏腹に、睦貴には緊張感が張り詰めている。
システムが機能するか否か――その評価は、この太平洋の中で下される。
「どうだ杵築、この『守屋』の乗り心地は。見渡す限りの大海原が、まるで自分だけのものに感じるだろう」
やや青ざめた表情の睦貴の背を豪快に叩き、諏訪部明仁が闊達に笑う。
今年で47歳になる明仁は、海上自衛隊の海将補である。
生まれ持った並外れた膂力と胆力を、185cmを超える偉丈夫の体躯が支えていた。
徒手、ナイフ、銃器併用――格闘訓練において、明仁に並ぶ者はいない。
明仁自身の戦闘力も驚異的だったが、艦隊運動の指揮もまた、卓越していた。
前進と決めたら破竹の勢いで艦隊を進め、退くべき場面では冷静な判断の元、一糸乱れぬ統制で粛々と退却させる。
部下の面倒見は良く、上官からの信任も厚い。
防衛大学卒業後、最速で海将補にまで抜擢されたのは、彼の適正や実績、そして将来性を高く評価されてのことだった。
「諏訪部さん、テスト日程を早めていただき、ありがとうございました。それにしても、船はどうも…昔から弱くて、この大海原を楽しむ余裕がありません」
「それは残念だ。しかしそれもすぐ慣れるぞ。どうだ、俺と一緒にインド洋あたりまで遠洋訓練航海に行かないか。帰ってくるころには、陸にいるより艦に乗っている方が楽になるぞ」
情けないやつだ、と言わんばかりの表情を浮かべ、明仁はまた豪快に笑う。
それにつられて、艦内の隊員たちからも朗らかな笑いが起こる。
湊は出港してすぐに、バケツを抱えて座り込んでしまった。
今は医務室へ担ぎ込まれ、ベッドで横になっている。
「他に先駆けて、『守屋』に防衛システムが配備されるのだ。概要はもらった資料で確認したが、イージス戦闘システムにこいつが加われば、まさに鬼に金棒だな」
艦隊司令たる明仁が座乗する旗艦「守屋」は、イージス艦級の大型護衛艦だった。
イージス戦闘システムは、周囲の空と海を余すところなく捉え、数百の目標を同時に追尾する。
その情報は僚艦と即座に共有され、艦隊全体が一つの戦闘単位として機能する。
静まり返る水平線。
しかし、この海域に「守屋」がいる限り、その静けさは常に監視され、計算され、制御されているのである。
明仁に幕僚から報告が届く。
「司令、第2護衛隊より。時刻一〇四五、目標地点到着との報告です」
「了解。各艦、演習態勢に移行せよ」
明仁の指示とともに、旗艦「守屋」を基準に護衛隊群が隊形を変え始めた。
各僚艦は間隔を広げながら、それぞれ所定の位置へと静かに動く。
複数の艦が同時に針路を調整する様子は、睦貴の目には、獲物を囲い込む獣が息を潜めて距離を詰めていくように映った。
大きく弧を描くように旋回しながら距離を取ると、左右の艦隊が同時に艦首を「守屋」に向ける。
まるで左右両翼が「守屋」を挟撃しているかのような格好だ。
「ほう、こうして至近距離で艦砲を向けられると、いかに演習とはいえ肝が冷えるものですな」
いつの間にか艦橋に戻っていた金屋和彦が、背後から感慨深そうに呟く。
日本の国防を支える装備のほとんどが、三峯グループで製造されている。
当然、この「守屋」もグループ会社である三峯造船が手掛けていた。
和彦は睦貴たちとともに乗船した後、各ポジションを視察して回っていたようだ。
「それでは諏訪部さん、波動をスキャンして、『草薙』の起動をお願いします」
睦貴に促された明仁は、司令席前の戦術表示卓の隣に配置されたスキャナに手を置き、自身の波動を読み込ませる。
波動の取り込みと同時に、スキャナが鈍い機械音と光を発する。
波動を取り込み終えると、光が収まり、モニターに文字が浮かぶ。
『Command?』
あとは音声で指示をすれば完了する。
「実行――」
艦内に、明仁の号令が轟く。
「草薙<KUSANAGI>」
艦橋上部に設置された、扇状に展開された極小の多層アレイアンテナ群。
このアンテナから、高出力マイクロ波の立体フィールドが瞬時に構築された。
他の護衛艦からは、半透明の壁が突如として現れたように見えるだろう。
このマイクロ波フィールドは、その内部で極めて高密度の非平衡プラズマを瞬間的に生成・制御する。
プラズマ層は、フィールド内に突入する弾頭を分子レベルでの分解を誘発し、目標到達前に自壊させる。
比較的小質量な弾丸や砲弾は、電磁反発力によって弾道が逸らされ、跳ね返される。
シールド展開と同時に、広帯域のスマート妨害電波を対象区域に射出する。
巡航ミサイルやドローンなどの自律航行システムに対し、 航路改変や自爆を誘発する。
さらに、リアルタイムで八咫が脅威を分析し、「草薙」を制御する。
敵のミサイルや砲弾の飛翔角度、速度、材質、レーザー追尾信号などをミリ秒単位で感知し、それに合わせて防御フィールドの範囲、角度、厚み、プラズマ密度、周波数帯を自動的に最適化する。
これにより、いかなる多角的な攻撃に対しても、最大限の防御効率を発揮する。
「各艦、艦砲射撃用意。目標は旗艦、『守屋』」
続く明仁の言葉に、睦貴が驚きのあまり飛び上がる。
あくまでシールドが正常に展開されるか、安定した出力を維持するかを確認するテストだ。
最悪、イージス艦を沈めることになったら、責任の取りようがない。
「諏訪部さん、待ってください。実弾でのテストは確かに必要ですが、すでに各種砲弾などの物理攻撃はもちろん、パルスやナノマシンを使用したテストも三峯精機で実施済みです。ここで行うことはありません。それに、こんな形で実弾を使用したら上層部が黙ってませんよ」
「杵築、127mm砲を雨あられの如く浴びてみたくはないか?きっと爽快だぞ」
明仁はいたずらっ子のような笑いを浮かべ、心底楽しそうだ。
幕僚たちも、それが当然かのように動いている。
命は諏訪部明仁ただ一人に預けてある、と言わんばかりだ。
それは、攻撃の指示を受けた隊員も同じだろう。
このあり得ない実弾テストも、許可が下りているのだろう。
イージス艦と隊員たちの命。
そして日本の存亡を賭けた八咫の完成度。
その両方を天秤に掛け、八咫の完成度を確かめる方が重いとした防衛省の決断に、睦貴の背筋に冷たいものが走る。
それだけ、睦貴たちが背負うものは重かったのだ。
「自分で造ったものに命を奪われるかもしれない。本望と言うべきかな」
カラカラと、和彦も子供のように笑う。
恐らく和彦は、自身が開発してきたシステムに絶大な自信を抱いている。
むしろ、より高い負荷を掛け、システムの限界を知りたいという好奇心が強いのだろう。
各艦の砲塔が旋回し、一斉に「守屋」に向け照準を合わせてくる。
その砲塔の動きに合わせ、「守屋」を守るシールドが、位置や大きさを微調整しているのが見える。
全艦隊の砲塔が「守屋」に固定され、砲身がずらりと睦貴たちを捉えた。
「各艦、艦砲射撃開始」
明仁の号令により、速射砲による一斉射撃が始まる。
これだけの至近距離で、全方位への一斉射撃を受けることなど、実際の戦場でも無いだろう。
砲弾は音よりも速く海面を切り裂き、全弾「守屋」へ命中したかに見えた。
しかし、すべての砲弾はシールドに到達すると同時に、激しく発光しながら弾道を変え、すべて無力化された。
各セクションから、「船体・機関ともに損傷なし」の報告が矢継ぎ早に入る。
「プラズマ層はうまく機能していますね。八咫との連携も完璧だ。これだけの砲弾を浴びせることは、会社では予算的にも設備的にも難しい。実際に見られて、良いデータになりそうだ。」
「せっかく乗艦してもらったのだ、土産の一つや二つは持って帰ってもらいたい」
冗談なのか本気なのか、生きた心地のしない睦貴には判断がつかなかった。
「各艦、対艦射撃用意。目標は同じく、旗艦『守屋』」
明仁はミサイルも撃たせるつもりだ。
「各艦、対艦射撃開始」
40式艦対艦誘導弾は白い噴炎を引き、艦をかすめるようにして海へ躍り出る。
現在のところ、世界でもトップクラスのステルス性を持ち、電子妨害にも強い。
海上自衛隊が持つ切り札でもある。
高度を落とし、波頭すれすれを滑るように飛翔してくる。
一瞬の閃光が走り、遅れて衝撃波が激しく海面を揺らす。
ほとんどのミサイルが、シールドに到達する手前で航路を変えて海面に着水した。
シールドに到達できたわずかなミサイルも、細かく粉砕されたように自壊していき、「守屋」の甲板にパラパラと破片を落とすのみとなった。
嬉しそうに和彦が口を開く。
「プラズマ層も妨害電波も、全て想定以上の仕上がりです。杵築さんの特殊な波動がなければ、ここまでの成果は出ていなかったでしょう。いつか、その波動を詳しく調査してみたいものです」
満足げな表情で、明仁が号令をかける。
「各艦、これをもって演習を終了する」
明仁を始め、幕僚たちが一斉に睦貴たちに敬礼を捧げた。
気恥ずかしそうに敬礼を返す睦貴に、今度は万雷の拍手が送られる。
元の隊列に戻る各僚艦からも、隊員たちが帽子を振って祝福しているのが見える。
包囲され、迫りくる火力を薙ぎ払い、退ける。
「草薙」のテストは成功した。
睦貴は次の防衛システムについて、想いを馳せた。
万雷の拍手の中、幽霊のように青白い顔をして、バケツを抱えた湊が艦橋に戻ってきたが、状況を理解する体力も思考力もなさそうだった。




