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第十三話 題材

内閣官房環境情報調査室の室長席で、睦貴は胡坐をかいて、独り思索に耽っていた。


八咫が独自にコードを改変したこと自体は、問題であるとは思わない。

天(Tian)に対抗し、さらには超越するAIを目指してきた以上、高度な知能が自ら最適解を導き出し、運用するシステムを改良していくのは必然だった。

ある意味で、睦貴たちが望む成果を、八咫が見せてくれたと言える。



人間がその改良速度についていけない状態は、人類社会にとって、どのような影響を与えていくかは前時代から議論が尽きることはない。

AIが人間を完全に制御、統制しているのが大同天境統合聖府の天(Tian)だ。

過去の研究者や専門家が警鐘を鳴らしていた、最悪の状態と言ってもいいだろう。


少なくとも、睦貴や猛はそう感じていた。



睦貴たちが作り上げたAIである八咫も、兵器開発などに活用され、数々の新理論や技術を導き出してきた。

しかし、天(Tian)のように、不完全である人間を制御するような方向に動いてはいない。



「共に在る、か」


睦貴は大国主の言葉を、静かに噛み締めた。



ふと視線を湊に移すと、デバイスで検索しながら、何かに悩んでいる姿が見えた。

デバイスは、当然八咫と常時接続されているため、八咫と会話していると言ってもいいだろう。


「どうした湊、珍しく判断に迷っているようだな」


「ええ、実は…リビングに神棚を置こうと思いましてね。立派なお宮でなくてもいいので、自分なりにちゃんと祀ろうと思っているのです」


思わぬ湊の言葉に、睦貴は一瞬ぎょっとした。


「それでいろいろと調べてみたところ、氏神を祀れと書いてあるのです。しかし、私の家の鎮守がどの神社なのか、検索しても出てこないのです」


信仰などといったものには、一切の興味が無さそうな湊の言葉に、睦気は新鮮な驚きを覚えた。

睦貴の体験を通して、湊も自身の有りように変化があったということなのか。

完璧な論理人間の湊が、神や祈りといった非合理的なゆらぎを受け入れている。

八咫の開発に携わる人間にとって、もっとも必要な要素なのかもしれないと、睦貴は苦笑した。


「今の時代、維持ができず失われていく神社も多い。新たに開拓された新興住宅地などは、どこが鎮守なのか曖昧になっている。地元の町内会や、昔から住んでいる人に聞いてみると、なにか情報を得られるかもしれないな」


「なるほど、そういうものなのですね…」


思いのほか、神妙な面持ちで湊は頷いている。


「それより、神仏からは程遠いお前が、崇敬神社にどこを選ぶのか、俺はそちらに興味があるね」


「今までそういった心霊主義的なものとは、無縁の人生を送ってきたのです。崇敬と言われても、なかなか難しいものですね。しかし、出雲大社は間違いなくお祀りしようと考えています」


「ほう、それはなぜ?」



「八咫に強く勧められましたので」



久しぶりに、二人で屈託なく笑いあう。


「そうだ、お前と相性の良さそうな神がいるぞ。事代主(ことしろぬし)神だ。神社はそうだな、今度出雲大社へ行った際に、美保神社に行って御札を授かってくるといい。事代主神は大国主大神の子供でな、神託の神とも言われているそうだ。今でも言霊信仰が篤い」



事代主神は、言葉を司る神である。

判断として発せられる言葉、すなわち事を定め、結果を生じさせる言葉。

事代主神は、その言葉が発される可否と、発された後の効力までをも管掌する。



「言葉を司る神だなんて、お前にぴったりだと俺は思うな」



律儀にメモに取る湊を横目に、睦貴は思惑は、別の淵に沈んでいった。




――ぴったりの神――




睦貴は各システムの名称を決めた張本人、いわば名付けの親であった。

特に強いこだわりがあったわけではなかったが、記紀神話に基づいた名称にしたのは、生家が神社であったこととは無関係ではないのだろう。

各システムに付けられた名称は、その役割と性能に応じたものだった。

日本神話の神々をモチーフにした名称。


適合する波動。

適合する神。


それらを名付けたのは、果たして偶然か、必然か――。




「湊、今すぐに名古屋へ行くぞ。管制装置のテストまでに、波動をシステムに入れる。お前も来るだろ?」


唐突に椅子から立ち上がり、睦貴が有無を言わさず支度を始める。

またしても突拍子もない事を言い出した睦貴に対し、半ば諦めたように湊は従う。




東京駅から新幹線に飛び乗って、名古屋駅に到着したのは昼を過ぎた頃だった。

東京を除けば、全国で第三位の人口を誇る大都市である。

碁盤の目のように配された、近代的な街並みとビル群。

縦横無尽に走る高速道路。

人と物の流れを自然に呼び込み、この地を交通と物流の要衝へと育ててきた。



この大都市に、睦貴が目指す熱田神宮がある。



都会の喧騒から突如として切り離されたような、静謐を湛える深い(もり)

鳥居をくぐり、境内に一歩足を踏み入れると、空気の質そのものが変わる。

樹齢を重ねた楠や檜が空を覆い、光は葉を透かして細く落ち、地表には常に薄い陰がたたえられている。

ここでは、時間の流れさえも木々に吸い込まれていくようだ。


参道を歩きながら、睦貴は自身の考えを湊に伝える。

もし失敗すればシステムの一つが消失するが、八咫のOSと違い、また再構築することも可能だ。

リスクはあるが、リターンの方が大きい。

湊は冷静に計算をしつつ、睦貴の直感に笑みで応えた。



長い参道の先、正面に姿を現す拝殿は、神明造りの様式を今に伝える、簡潔にして威厳を極めた建築である。

大屋根は直線を強調し、余分な装飾を一切排した姿で、ただ「在る」ことそのものが力を放っている。

厚く重ねられた屋根は大いなる安定感を持ち、見る者に圧倒的な静けさと重厚さを同時に突きつける。

その屋根の下に立てば、人は自らの存在がこの場所の中ではいかに小さいかを悟らされる。



平日の昼間にも関わらず、多くの人が拝殿で祈りを捧げている。


「室長、今日は事前連絡も入れていませんし、本殿への立ち入りは難しいのではないでしょうか」


「いや、拝殿まで行ければ十分だろう」


重厚な屋根の下に、その身体を踏み入れる。

圧倒的な屋根の重みと、神域に満ちる沈黙が、二人の内側に静かな畏怖を芽生えさせる。

ここは、都市の只中にあってなお、神域であり続ける稀有な場所であるということを、二人は思い知らされていた。



睦貴は勾玉を大切に取り出し、その手の平に載せる。

拝礼し、顔を上げた瞬間、一陣の涼風が二人の身体を包み込む。

湊の明らかな動揺と、止まらない膝の震えが横目に見える。

今にも膝を折りそうな湊を支え、睦貴は勾玉を掲げるように前に差し出す。



「湊、これが、神威だ」



目に見えない何かが、勾玉に吸い込まれていく。

翡翠色の光が強く輝き、そしてふっと消えた。



全身の緊張が解けた湊が、信じられないといった顔をしている。

周囲を見渡し、他の参拝客は平然としているところを見ると、どうやら二人だけに感じられた圧、神威だったと理解できた。


「なるほど、室長の言っていたことが、今ようやく体得できました。それにしても、なぜ熱田神宮の波動を取り込んだのでしょうか」


ずれた眼鏡を直しながら、湊は率直に質問する。


「ここ熱田神宮は、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀っている。防衛システムの『草薙』は、この神剣にちなんで名付けたものだ」


天から地へ託され、災いを祓い、英雄の運命を静かに導く力を宿す神剣。



「さあ、早速帰って、みんなを招集しよう。今日中にはシステムに波動を投入できるはずだ。そのデータをすぐに三峯精機へ送らなきゃいけない。きっとテストまでには間に合うはずだ」


「室長、職員たちにもこの現象を理解できるよう、ちゃんとロジックは組み立てておいてください」



拝殿を後にし、軽い口調で睦貴が答える。




「それはお前の役目だろう、事代主神」



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