第十一話 覚悟
睦貴が湊を伴って環境情報調査室を出たのは、午前三時を少し回った頃だった。
八咫の本格稼働を報告すべく、二人は環境省の公用車を借り、内閣総理大臣公邸へと向かった。
「そろそろ…実家にお戻りになった際に、何があったのか明かしてはいただけませんか」
ハンドルを握りながら湊が口を開く。
「神に会ってきた」
睦貴は思いついた言葉を、そのまま口にした。
運転席の湊は、相変わらず正面を向いたまま表情を変えない。
アクセルを踏む力が緩んだのか、速度が少し落ちる。
湊は無反応だった。
「そう呆れなさんな。最近、お前の表情が豊かだということに気付いてきたよ」
睦貴は順を追って説明した。
神社神域には、人間が発する波動とは明らかに質の異なるなものが満ちていること。
その発生源が当然存在すること。
その存在こそが、人々が「神」と呼んできたものだということ。
そして、造られた神である天(Tian)を凌駕する、圧倒的な力があることを。
「では、八咫のOSに波動を入れる時、室長はそれが技術として成り立つという確信がないまま、実行を命じたということですか」
「正直に言えば、そうなるな。技術的にも理論的にも、何もなかった」
湊は深い溜め息を吐きながら、髪をかき上げ眉間に皺を寄せた。
だが、それは決して不快な感情ではなかった。
睦貴が、自分の論理の外側に立っている人間だという事実を、改めて突きつけられる。
「合理性も論理性もない。演算では導き出せない非合理なゆらぎの中だからこそ、みんなが同じ方向を向いた。八咫は非合理を許容する。その八咫を作ってきたみんなだ。お前も含めて、全員が俺に従ってくれる。その確信だけは揺らがなかったさ」
――希望――
祈りに近い、その非合理なゆらぎが、人を同じ方向へと向かわせた。
湊は珍しく笑みがこぼれた。
「今後のスケジュールですが…製造ラインと配備状況の確認、それに――八咫とのリンクテストです」
「システムが完成しても、配備されなければただの箱だからな。親父殿を通して、防衛省に確認を入れてもらおう。リンクテストは早い方がいいだろう。テスト可能な設備は、どこかにないかな」
湊が音声で携帯デバイスへ指示を出し、モニターに結果を映す。
「海上自衛隊の護衛艦『守屋』に、『草薙』がすでに配備済みです」
「諏訪部さんの艦か。ちょうどいい、それでいこうか」
総理公邸に到着し、守衛で身分確認を受ける。
守衛は内線でどこかへ連絡したあと、睦貴たちを中へ通した。
深夜にもかかわらず、東京の高層ビル群が放つ光に包まれた公邸内では、警備員たちが絶え間なく動き続けていた。
そこに眠りの気配はなく、不夜城という言葉がふさわしい光景だった。
「親父殿に奇襲をかけにきたつもりだったが、こうもすんなり通されると拍子抜けするな」
通された部屋には、すでに内閣総理大臣の須賀 猛が待っていた。
格好こそ寝間着のままであったが、その表情は寝起きではなかった。
隣にはいつもの通り、総理秘書官の櫛田奈緒が控えている。
睦貴と入れ替わりに、静かに奈緒は退室していった。
「どうした、こんな時間に。夜遊びもほどほどにしておかんといかんぞ」
窘める口調であったが、猛は上機嫌であることがその笑顔からも伺える。
「親父殿こそ、こんな時間まで起きていられるほど若くはないでしょう。奈緒さんがここにいた、ということは、私がここに来る必要もなかったということでしょうか」
「然るべき人物から、然るべき言葉を聞きたい。父親として当然のことだろう」
猛はすでに、奈緒からすべてを聞いているのだろう。
にもかかわらず、睦貴本人からの報告をこうして待っていた。
「では…報告します。八咫の発動ロック解除は成功しました。システムへのリンクと、実際の設備動作の確認を残すのみです」
「つまり、どういうことだ」
睦貴は背筋を伸ばし、視線を上げて真っ直ぐに猛を見た。
猛も睦貴を見据えている。
長い時を、待たせてしまった。
今ようやく、内閣総理大臣が、義父が待ち続けた言葉を、睦貴は送る。
「『おもちゃ』が完成しました」
「でかした」
その一言は、睦貴にとって何物にも代えがたい、重い一言だった。
「お前の創った強大なシステムの完成。それは国家が引き金に指をかけた…ということになる」
視線を天井に送り、猛は独り言のように呟く。
しばらく思考したあと、猛は決意を込めたように、力強く宣言する。
「それでも、お前がここまで成し遂げてくれた。私はお前の力を信じ、この国を守る。それが、総理としての判断だ」
そして、今で見せたことのない、柔和な表情を睦貴に向ける。
「それは――父としての覚悟でもある」
睦貴はどこかくすぐったいような、居心地の悪さを隠すように視線を逸らした。
この義父から、このような言葉を聞くことになろうとは、五年前には想像もできなかった。
いや、もしかしたら、この言葉を聞きたいが故に、ここまで八咫の開発を急いだのかもしれない。
ようやく天(Tian)への対抗策が構築できた。
あとは、内閣総理大臣である猛の手腕に懸かっている。
「ところで、だ。聖府からの使節のことだが、来月半ばに来日することになりそうだ。やつらのAIが組み込まれた人間に会うのは気が進まんが…これも職務だと割り切って、会ってやることにする」
一瞬、猛は考え込み、何かを閃いたかのように睦貴に命じた。
「AIがどんなものか、お前も直接その目で確かめた方がいいだろう。誰が使節として来るかは未定だが、お前も私と同席するがいい。当日までに、それらしいポストは用意しておいてやる」
先ほどとは一転、いつもの強引な猛に戻っていた。
こうなると、もはやどれだけ言葉を尽くしても覆らないことは、睦貴はよく知っていた。
「…わかりました。それまでに八咫の各テストは終わらせておきます。私は製造の進捗を確認しておきますので、親父殿には、各システムの配備状況の確認をお願いします」
「うむ、では工場の視察申請を内閣府から出しておく。単独で動くよりは、いくらか楽になるだろう」
部屋から出ると、廊下には湊と奈緒が静かに待機していた。
同じ場所に二人が言葉もなく並んでいる様子は、睦貴には空気がひりついているように感じる。
少しは雑談でもしていてくれれば不要な緊張を強いられずに済むのだが、どうやら二人に慣れ合いは必要なさそうだった。
「奈緒さん、親父殿のこと、よろしくお願いします」
奈緒は島根県にある鼈甲細工の職人の家に生まれた。
職人としての実績を積み、商才も備えていた両親の元で、経済的にも恵まれ何不自由なく育てられた。
そんな中、「海外への日本文化発信のため」として、とあるイベント団体から作品の提供を求められる。
誇り高く誠実な父は、技術の保存や文化の発信のために労力を厭わず、コスト度外視で作品を多数提供した。
自分の技が国境を越え、誰かの目に触れ、静かに息づく。
それは職人にとって、これ以上ない名誉だったからだ。
後になって知ったことだが、父の名義で作られた品は、展示も寄贈もされていなかった。
希少な鼈甲を、金の流れを隠すための道具にされていたのだ。
自身が暴力団による不法行為に加担していると知った父は、すぐに手を引いた。
だが、莫大な「違約金支払い」を名目に、激しい嫌がらせの日々が始まったのである。
工房の戸を激しく叩く音が、日に何度も鳴るようになった。
父も自身が不法行為に手を貸した負い目があるため、警察への相談を躊躇することを理解した上での強要だった。
時には、「娘の臓器を売り飛ばす」と、脅迫はエスカレートする一方だった。
両親の笑顔も少なくなり、以前のような家族団欒もなくなった頃に、奈緒は近所の神社へ一人で出向き、財布に入っていた小銭をすべて賽銭箱へ入れて、熱心に祈った。
子供が捧げるには、あまりにも重く長い祈りに、神社の宮司が声を掛ける。
「よう、がんばってお祈りしたがねえ。神さんも、きっと喜んでおられるわ」
そう語りかけられたことが嬉しかったのか、奈緒は無邪気に、宮司に家の有様を語った。
黙って奈緒の話に耳を傾けていた宮司は、多くを語らなかった。
「神さんが、きっと助けてくださるけん、心配せんでええよ。安心して、家へ帰りなさい。」
その夜、奈緒の家に一人の大男が突如として現れ、雷のような大声で父親に告げた。
金輪際、暴力団との関わりは一切ないこと。
今まで渡してきた金銭は全額戻ること。
父親は単なる利用された第三者であり、幇助や共犯ではないこと。
大男の言った通り、その日を境に暴力団が訪れることもなくなり、家族に笑顔が戻った。
奈緒は大男が神様の使いであり、願いを聞き届けてくれたと喜んだ。
のちに、その大男が須賀 猛であることを知る。
恩人である猛に恩返しがしたい。
その一心で勉学に励み、日本最高峰の大学へと進み、そして猛の秘書というポジションを勝ち取った。
以来、猛の傍を片時も離れず支え続けてきたのだった。
「ご安心ください。総理は、私にとって神も同然の存在です。たとえ私の身に何が起ころうとも、その歩みを支えることを、私は決してやめません」
穏やかな瞳の中に、底知れぬ執念のようなものを感じ、睦貴はほんの少したじろいだ。
ほぼ徹夜状態にもかかわらず、奈緒に疲れや身なりの乱れは一切ない。
奈緒が支えている限り、政局で失脚することはないだろう。
しばらく雑談を交わし、睦貴と湊は公邸を後にした。
環境省に戻る車内で、睦貴は疑問に思っていることを湊に投げかける。
「なあ、調査室の職員のうち、何人くらいが奈緒さんのスパイなんだろう?」
「さあ?アマノイワトに在籍している職員は、日本屈指の技術者で揃えられています。あれだけのメンバーを短期間で集めた中心人物は誰か、ということを思い出してみればご理解いただけるかと思いますが」
しばしの沈黙の後、睦貴が脱力したようにシートに沈む。
「奈緒さんか……」
湊は相変わらず無表情だった。




