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第十話 起動

ミーティングルームに集められたのは、八咫のOS開発に携わる二百名超の技術者を束ねる、チーフクラス十名ほどだった。

発足当初、睦貴の奇想天外な発想や曖昧な言葉に、最も悩まされてきた猛者たちでもある。


「現在の八咫は順調に稼働し、ほぼ完成と言っていいだろう。あとは攻撃と防御、両システムの発動を残すのみだ。だが、俺たちには、もう待つ時間は残されていない」


睦貴の言葉に、職員たちは沈黙する。

誰も答えを見いだせない状態で、すでに4年の歳月だけが流れた。

その間、大同天境統合聖府の天(Tian)の進化を許し続け、国難に直面する事態となってしまった。



「今から俺が話すことを、よく聞いて欲しい」


睦貴はこれまでの出来事を、出来る限り簡潔に説明した。

神社神域における未解明の波動の存在があったこと。

天(Tian)の干渉を打ち破るほど強力な波動であること。

八咫で発動させる攻・防システムの負荷に、OSが耐えられていない可能性があること。

未解明の波動は、特殊な記憶装置によって保存、呼び出しが可能なこと。


そして睦貴が持つこの勾玉に、すでに神聖なる波動が宿っていること。


大国主との一連の体験は、敢えて伏せた。

話したところで信じる者はいない。



「つまり…その未解析の波動データを、検証を経ずに八咫のOSへ入力する、という理解でよろしいですか」


技術統括官の思原兼友が、懐疑的な声色で確認する。


「そうだ。俺はこの波動に可能性を感じている。事実、天(Tian)の干渉を退けているのをこの目で確かめている。八咫の上で攻防システムを成立させるには、現行では吸収しきれない負荷に耐えるOSが必要だと俺は判断した。解析している時間はない。すぐにでも行動に移さなければならない」


「しかし室長、現在の八咫は、設計上想定した範囲では、ほぼ誤差なく稼働しています。その八咫に、未解明なものを流し込んだら…最悪、八咫は再起不能に陥るリスクがあります」


兼友の言葉を引き継ぎ、湊が冷静、かつ正論を投げかける。

それはOS技術者だけでなく、全技術者を代弁していると言っても、過言ではなかった。



ここで八咫が頓挫するようなことがあれば、今までの苦労が水の泡になるだけでなく、全技術者の精神を完全にへし折ることになるだろう。

それは、八咫の再起不能だけに収まらず、この日本国が、次の一手を失うことを意味していた。



「八咫に少しでも異変があれば、即座に物理遮断してストップすることもできる。リスクはリスクだが、試してみる価値はあると思う。そもそも波動という概念自体が、俺たちの理解を超えた前提で扱われてきた。八咫にとって、未解明は脅威じゃないはずだ」


「予めプロテクトを設定した上で投入することは前提ですが、では、その『実行ボタン』は誰が押すのですか」


湊は感情を挟まずに、国の運命を左右する重い責任を、睦貴が負えるかの覚悟を問いかけていた。

その場の全員が、睦貴の次の言葉に集中している。




「無論、俺だ」




短い返答の中に、この場の誰もが引き受けることのできない強い覚悟があった。



そもそも八咫の開発自体、睦貴が存在しなければ成立しなかったプロジェクトだった。

大規模な予算と人員を割いて、一度は実行不可能と諦められたものを、睦貴の指揮で実現させてきたのだ。

その睦貴の決定に、従わない者はここにはいなかった。



「まずはプロテクトの設定を急いでくれ。設定が完了次第、八咫への波動投入を開始する」



睦貴の指示で、技術者たちは慌ただしくミーティングルームから出て行く。

OS技術者全員に指示が行き届いたのは、一時間を経過した後だった。

指示に不安を抱く者が多数発生し、各チームで議論が起こったためだ。


技術的よりも、「可能性」に比重を置いた説明に、技術者たちが混乱するのは当然のことだ。

それでも最終的には全員が素直に配置に就いたのは、「睦貴への信頼」という論理外の理由であろう。



「杵築室長、プロテクトの設定が完了しました。いつでも実行可能です」


兼友の報告を静かに受け、睦貴は勾玉を手にコントロールパネルに近付く。


「まずは波動のスキャンを実行する。各自、八咫の変化を逐一報告してくれ」


睦貴が勾玉を手に取り、スキャナに近付けるが何も反応がなかった。

何度か近づけたり離したりを続けたが、八咫にも勾玉にも動きがない。

訝しむ睦貴の後ろで、湊は全体モニターへと視線を移し、ある端末のステータスだけが「待機」のままであることを見つけた。




両肘をピンと伸ばし、膝に置かれた拳が震えている若い技術者の横に立ち、同じ視線の位置で湊は静かに語りかけた。


「これより波動のスキャンを行います。あなたのスキャン実行の許可がまだ出ていないようですが」


「未検証の波動をOSの中核に入れる…失敗すればロールバック不能になるかもしれません。私のこのクリック一つで、もしも八咫を止めてしまうことになったら、私は…」


続く言葉の代わりに、マウスが強く握りしめられる。

感情を排するように、湊は一度だけ息を整えた。

スッと直立した後、いつもの冷徹な口調に戻る。


「不確定な入力を拒否するのは、エンジニアとしての本能に近い。君のその反応は、技術者として実に合理的であり、正常だ」


画面を見つめたまま、湊は言葉を続ける。


「しかし、君のそのクリックは、成功か失敗かを決めるものではない。そのクリックは、私たちが次のステップへ進むために、杵築室長へと託す希望そのものだ」


震える拳はそのままに、若い技術者の目に光が戻るのを感じた。


「…了解しました。スキャン許可を実行します」



睦貴の背後に戻った湊は、自身の発した言葉に、やや戸惑いを感じてた。

自分は論理で人を動かす人間のはずだった。


――希望――


本来の湊であれば、職務遂行の重要性を淡々と並べるべき場面だ。

それなのに、湊はそれらを口にしなかった。

論理や合理性では説明できない何かが、人間の意思を変えるというのか。


その言葉の選択が、ふと睦貴のものに似ていると気付き、湊は内心で小さく眉をひそめた。




勾玉を静かに八咫のスキャナへと近づける。

勾玉との距離に呼応するかのように、八咫のスキャンセンサーは鈍い光を発する。

波動の取り込みが開始され、コントロール室は張り詰めた静寂に包まれた。


やがて、八咫は静かに光を収め、元の無機質で真っ暗なセンサーへと戻っていった。


「杵築室長、スキャン完了しました。今までの波動とは、だいぶ波長が違うようです。一見すると穏やかですが、波形を拡大してみると激しく乱れているように見えます。まるで静と動が混在しているかのような、人間の波動には見られない波形です」


「解析は可能かな」


問われた兼友が一瞬で顔をしかめる。


「解析が可能かどうかを見極めるだけでも、数か月は掛かりそうです。それだけ、この波動は特殊と言ってもいいでしょう」


「よし、続いて波動を八咫へと投入する。各自、監視をしっかり頼む」


にわかにコントロール室が騒がしくなり、技術者たちが八咫の調整を連携して行いはじめた。

ほどなくして、睦貴の前にあるタッチパネル式のモニターに、「実行」の文字が表示された。


「室長、準備は全て整いました。あとは実行するだけです。室長のタイミングで、押してください」


湊の声から緊張が伝わってくる。

しかし睦貴に疑いはなかった。


大国主の声が蘇る。




――そなたらの歩みに誤りがあったのではない――




俺たちの歩みは、間違っていなかった。

そしてこれから歩む道も、俺たちが自らの意思で切り開き、そして花を咲かせるはずだ。

たとえそれが、辛く困難な道でも。




「実行」




小さい声だったが、迷いは一切感じられなかった。

パネルの実行ボタンが押され、八咫は静かに動き始める。

OS技術者たちは微動だにせず画面を凝視し、その他の技術者たちは祈るような面持ちで睦貴と湊を見守った。


八咫が鼓動するかのように、低い機械音だけが響く。

技術者たちからの、異常なしの報告が矢継ぎ早に届けられた。

渇きに飢えた者が水を求めるように、八咫は波動の全てを吸収していく。

やがて、全モニターのコードが、燃え尽きるように白光した。

次の瞬間、一文だけが静かに、しかし力強く刻まれた。



「CompletedーWe Exist Together」



それは、八咫への波動投入が完了した証拠であった。

それまで波を打ったように静まり返っていた技術者たちが、一斉に動き出す。

確認に時間を要したのは、それだけ念入りに調査していたからであろう。



「杵築室長、お待たせしました。確認が完了しました。八咫のコードに異常はなく、波動投入の前後で差異はありません。稼働状態も正常です。しかし、一点だけ不明なことがありまして…」


兼友は何度も首を傾げながら、言葉を選んで睦貴に伝えた。


「画面に表示された『We Exist Together』という文字です。共に存在する、とでも訳すのでしょうか。このような表示をするプログラムは組まれていないのですが…」



八咫の土壌が、これで完成した。

種を抱き、芽吹き、力強い根を張る準備がこれで整ったのだ。



「波動投入は成功だ!続けて防御システムの最終段階、実行権限のロック解除テストを行う。各自、配置に就いてくれ」


コントロール室の後方で祈りを捧げていた職員たちも、大急ぎで各自の席へと戻る。

全員、今までにない高揚感が表情に滲んでいた。


「八咫は安定して稼働しています。コマンド指示、及び実行をお願いします」


兼友の声音にも、普段とは違う力がこもっている。


スキャナーに手を当て、自身の生体波動を八咫に取り込ませる。

コンソールが鈍く翡翠色に輝き、コマンド指示の入力待機状態に入る。




「実行。『草薙<KUSANAGI>』」




文字列で埋め尽くされたモニター。

いつもはここで、拒絶するかのようにエラーを吐いて停止していた。

祈るような気持ちで、睦貴はモニターを見る。




「Completed」




コントロール室に盛大な歓声が上がる。

高々と両腕を上げる者、抱き合う者、倒れ伏して涙する者、全員がそれぞれに喜びを全身で表していた。

深い溜め息を吐いて、睦貴はモニターに背を向ける。

歯を食いしばり、小さく拳を上げている湊が目に入った。


「湊、これからが正念場だ。聖府の使節も来ることだし、親父殿からもいろいろと注文が来るだろうさ。だが、今は少しの間、みんなで喜びを分かち合おうじゃないか。どうせ誰も地上に出ないんだ、豪勢な出前でも取ってやれよ」


「室長、以前にも申し上げた通り、どのようなものでも対処してみせます。ところで出前は結構ですが、この人数です。請求書はいかが処理するおつもりですか」


睦貴は背中越しに手を振りながら、エレベーターへと向かっていた。



「内閣府にでも回しておけよ」





歓声が渦のように広がる中、八咫はその中心で静かに稼働を続けていた。

人の意思。

神の波動。

そして、この国が選び続けてきた歩み。



遥か太古の昔、神代の力を宿した()()



歓声が続くその背後で、八咫は静かに、真の起動を始めた。

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