91.勇者捕縛作戦開始
夜明け前。
王都中央広場に、騎士団が集結していた。
松明の灯りが、無数の鎧を照らしている。
息を潜めた空気が、広場を覆っていた。
私は広場の端に立ち、その光景を見渡した。
壮観だった。
広場を埋め尽くす騎士の群れ。
重装騎士が前列に並び、その後ろに魔法騎士が控える。
弓兵が建物の屋上に配置され、街路には伏兵が潜んでいる。
二千を超える兵力。
王国騎士団の総力だ。
これだけの軍勢が、たった一人の人間を相手に動員されている。
「すごい数……」
サラが息を呑んだ。
「信じられない」
フィオラが静かに言った。
「レオンハルト」
声がした。
振り返ると、クラウディアさんが歩いてきた。
白銀の鎧が、松明の灯りを反射している。
「配置を説明する」
クラウディアさんが、広場の端に設けられた指揮台へ歩いた。
地図が広げられている。
「斥候の報告では、勇者は現在、東区の廃倉庫街にいる。夜襲で追い込んだ」
指が、地図の一点を示した。
「まず八百名で包囲網を敷く。逃走経路を全て塞ぐ」
指が動く。
「次に、五百名の突入部隊で圧力をかける。魔法騎士三百名が支援射撃」
「残りは予備戦力として待機。崩れた箇所を即座に補填する」
二千の兵を、緻密に配置していく。
一切の無駄がない。
さすがは騎士団隊長だ。
「私とライナーが、突入部隊の先頭に立つ」
クラウディアさんの声が、少しだけ硬くなった。
「今度こそ、捕える」
そして、私の目を見た。
「レオンハルト……見ていてくれ」
その言葉には、様々な意味が込められていた。
――
クラウディアさんが指揮台に上がった。
広場を埋め尽くす騎士たちが、一斉に姿勢を正す。
二千の視線が、一点に集まった。
「諸君」
クラウディアさんの声が、広場に響いた。
凛とした声だ。
張り上げているわけではない。
だが、隅々まで届く。
「今日、我々は勇者・神崎ハルトを捕縛する」
沈黙が、広場を支配した。
誰一人、身じろぎしない。
「諸君の中には、仲間を失った者も多いだろう」
クラウディアさんの蒼い瞳が、騎士たちを見渡した。
「昨日までの戦いで、我々は多くの血を流した」
声が、僅かに低くなる。
「だが、今日で終わらせる」
拳が、胸の前で握られた。
「相手は一人だ。我々は二千」
一拍、間を置いた。
「恐れるな。怯むな。隣の仲間を信じろ」
声が、力を帯びていく。
「包囲を崩すな。連携を切らすな。一人で英雄になろうとするな」
クラウディアさんが、剣の柄に手をかけた。
「我々は王国の盾だ。民を守る剣だ」
抜いた。
白刃が、松明の灯りを反射する。
「今日、この手で秩序を取り戻す!」
剣が、天を指した。
「王国騎士団、全軍――前へ!」
二千の咆哮が、夜明けの空を震わせた。
――
圧巻だ。
つい数週間前まで、Aランク依頼すら満足にこなせなかった勇者神崎。
その男が、この軍勢を相手にどう立ち回ると言うのか。
突撃部隊の先頭には、クラウディアさんが立つ。
総勢二千を超える騎士団を束ねる女騎士。
その実力は、Sランク冒険者と比しても最上位に位置する。
それに副隊長のライナーもいる。
あの屈強な男が、隊長の隣で盾となる。
負ける姿が、想像できない。
だが――
『勝てる確証がない』
あの言葉が、頭から離れない。
「レオンハルト殿かな」
背後から、声がかけられた。
振り返る。
後ろでまとめた長い銀髪が、朝の風に揺れている。
青い瞳が、こちらを見ていた。
「アルヴィンさん……!?」
王立魔法学園の大魔導士。
この国の魔法の頂点といっても過言ではない男。
だが、その姿は――やつれていた。
頬がこけ、目の下には深い影がある。
元より鋭い眼光が、さらに険しくなっていた。
「一体どうして、こんなところに」
私は驚きを隠せなかった。
「それに……」
言葉が詰まる。
あまりにも、消耗して見える。
「私も作戦に参加させてもらう」
アルヴィンさんが、静かに言った。
参加。
大魔導士が、戦線に出ると言っている。
「何か理由がありそうですね」
私は慎重に尋ねた。
「ああ」
アルヴィンさんの声が、低くなった。
「許せないのだ、神崎が」
許せない。
その言葉に、普段の冷静さがない。
憎悪だ。
「私は奴の本性を知っている」
アルヴィンさんの青い瞳が、暗く沈んだ。
「あれは勇者などではない。ただのクズだ。人間の出来損ないだ」
「ええ、どんな理由があろうと、人を殺めるなど――」
「そうではない」
私の言葉を、アルヴィンさんが遮った。
強い声だった。
「奴は私の生徒を殺めた」
息が、止まった。
「巻き込まれた、ということですか?」
アルヴィンさんは、静かに首を振った。
「文字通りだ」
声が、さらに低くなる。
「殺人だよ」
私は言葉を失った。
「最初は、偶然奴を目撃してしまった生徒がいてね」
アルヴィンさんの視線が、遠くを見た。
「一瞬だったよ。私は近くにいたのに……なんと不甲斐ない」
拳が、震えていた。
「そんな……子供まで殺めているのか」
「それから私は、なるべく生徒を守るために通学路を巡回していた」
アルヴィンさんが、息を吐いた。
「そして、また悲劇が起こった」
声が、僅かに途切れた。
「大勢の生徒が奴と交戦していた、急いで私は駆けつけた。」
アルヴィンさんの目が、私を見た。
「奴はどんな顔をしたと思う?」
私は答えられなかった。
「怯えていたよ」
アルヴィンさんの声に、冷たい怒りが滲んだ。
「それまで勇ましく戦う勇者のような顔つきで、生徒を殺めていた。その顔が――怯えに歪んだのだ」
怯え。
大魔導士を見て、怖気づいた。
つまり――
「走り逃げる背中を見て、私は確信した」
アルヴィンさんの声が、低く響いた。
「奴は下劣なクズだと」
勝てる相手にだけ強い。
自分より弱い者にだけ、牙を剥く。
それが、勇者の正体だった?
「私のたくさんの大事な生徒達が、死んでいった」
アルヴィンさんの声が、震えた。
「無念だったろうに……」
「サイテー……」
サラが、小さく呟いた。
その声も、震えていた。
「私は捕縛などというくだらん作戦に乗るつもりはない」
アルヴィンさんが、私の目を見た。
「止めてくれるな」
その目に、決意があった。
殺す、という決意が。
どれほどの子供達が、犠牲になったのだろう。
王立魔法学園の生徒は優秀だ。
将来有望な、国の宝だ。
その命が、理由もなく奪われた。
アルヴィンさんの張り詰めた顔を見て、私は何も言葉が出なかった。
騎士たちが、配置に移動を始めた。
整然と、しかし素早く。
二千の足音が、夜明けの王都に響いていく。
始まるのか。
勇者の捕縛が。
私は空を見上げた。
東の空が、僅かに白み始めていた。




