87.王都の異変
七日後。
俺たちは王都の門の前に立っていた。
「いやー、やっと着いたっすね!」
ジャックが伸びをした。
「団長たち、もう片付けてるかな」
「だろうな」
俺は欠伸を噛み殺した。
人間一人だ。あいつらが負けるわけがない。
「サラちゃんに会えるね、剛くん」
リリィがニヤニヤしている。
「うるせぇ」
約束、とか言ってたな。
まあ、メシでも奢らせるか。
門が近づく。
だが、様子がおかしかった。
「すいませーん! 開けてくださーい!」
ジャックが門に向かって叫んだ。
返事がない。
「……あれ、門番さんいないっすか?」
「おいおい、サボってんのか」
俺は門を見上げた。
「そんなまさか、トイレじゃない?」
リリィが笑う。
しばらく待った。
門番は現れなかった。
「なんか……静かだね」
リリィの声が、少しだけ小さくなった。
「ながいな。待てねえぞ」
「ま、いっか! 飛び越えちゃいましょ!」
ジャックが俺とリリィを両脇に抱えた。
軽く跳躍する。
高い北門を、軽々と飛び越えた。
着地した瞬間、俺は息を呑んだ。
視界に映ったのは、かつての王都ではなかった。
やけに閑散としている。
人がいない。
それだけじゃない。
ところどころ家の壁が崩れている。
街道の石畳が抉れている。
焦げた跡がある。
「え……」
ジャックが固まった。
「なんだ、これ」
俺は周囲を見回した。
「え、待って、あれ!」
リリィが指差した。
その先に、兵士が倒れていた。
俺たちは駆け寄った。
「大丈夫っすか!」
ジャックがうつ伏せの兵士を起こす。
リリィが息を呑んだ。
腹に、穴が空いていた。
既に絶命している。
目は虚ろに開いたままだ。
「この傷跡……魔法っすかね……」
ジャックが呟いた。
「まじかよ……」
例の殺人事件の件か。
いや、それにしても死体を放置するってどういう状況だ。
「あっちにも! 見て!」
リリィが叫んだ。
そこには三人の騎士が倒れていた。
鎧が砕けている。
血が石畳に広がっている。
状態を確認するまでもない。
死んでいる。
「待って……待ってくださいっす」
ジャックの声が震えた。
「なんかやばいっす。離れないように行動しましょ」
俺とリリィは頷いた。
警戒しながら、王都の中心へ進む。
点々と死体が転がっている。
兵士。
騎士。
民間人もいる。
なんだ、この地獄みたいなありさまは。
そして、俺はその中に見知った顔を見つけてしまった。
「エドガー……」
「うそ……」
リリィが口を押さえた。
闘技場で戦った相手だ。
王国騎士団の剣士。
あの時、正々堂々と打ち合った男。
腹を裂かれ、絶命していた。
俺は無性に怒りが湧いて、拳を握りしめた。
ジャックが近くに落ちていたマントを拾い、エドガーにかけた。
「……進みましょう。気をつけて」
俺たちは、死体が転がる崩壊した街道を慎重に進んだ。
「なんか遠くで……魔力が入り乱れてるような……」
ジャックが呟いた。
「ほんとだ。人の魔力っぽいかな……?」
リリィが目を細める。
「じゃあやっぱ、やべえ殺人鬼が暴れてんのか」
俺は舌打ちした。
「でも、団長たちは少なくとも三日前には到着してるはずっす」
ジャックが眉をひそめた。
「そんなに団長たちから逃げ切れるかな……」
俺も同じことを考えていた。
レオンハルトがいる。
フィオラがいる。
サラがいる。
あいつらが三日も手こずる相手なんて、いるのか。
そして。
広場に出る手前の路地で、俺たちは足を止めた。
心が、冷えていく。
よく見知った少女が、力なく壁に寄りかかって座っていた。
白いローブ。
緑の癖毛。
俯いている。
いつもみたいに生意気な顔をしていない。
口も閉じたまま。
ジャックが走り出した。
「サラちゃん……?」
少女の前で膝を落とす。
肩に触れた瞬間、ジャックの動きが止まった。
胸に、大きな穴が空いていた。
白いローブが、赤黒く染まっている。
「そんな……」
声が震えていた。
俺は一歩遅れて、立ち尽くしていた。
近づけないわけじゃない。
近づいたら、終わる気がした。
サラの首元で、淡い灯が滲んでいた。
乳白色の、優しい光。
闇に溶けるみたいに、揺れている。
一瞬、俺の胸が跳ねた。
まだ、生きて――
次の瞬間、頭の奥で声が鳴った。
サラの、少し照れた早口。
『夜にだけ、ちょっと光る』
『北の雪灯』
『春待ちの灯』
俺は息を吐いた。
喉が引きつった。
「……違う。暗いだけだ」
自分に言い聞かせるみたいに呟く。
暗いから光る。
ただ、それだけ。
なのに。
そのただそれだけが、胸を締め付ける。
ここが暗い。
ここが、暗すぎる。
ジャックが唇を噛んで、サラの体に布をかけようとしていた。
手が震えて、うまく畳めない。
「……俺が……っ」
言葉が続かない。
守れなかったが喉に詰まって、出てこない。
俺はしゃがみこんだ。
サラのローブのポケットが、淡く光りが滲んでる。
手を入れた。
指先が、硬いものに当たる。
取り出す。
冷たい。
ペンダント。
雪灯の琥珀。
俺の動きが止まった。
止まったのは一瞬だけなのに、時間が伸びたみたいだった。
ああ。
『今度、ちゃんとお礼する』
『約束ね』
それが、これだったのか。
あの夜、買えなかったペンダント。
約束って、こういうことだったのか。
二つ。
俺の分と、自分の分。
俺は何も言わなかった。
言ったら、崩れる。
代わりに、布を掴んでペンダントを包んだ。
強く握った。
握り潰すほど。
「……剛くん」
リリィの声が小さい。
慰めじゃない。
現実に繋ぎ止める声だった。
「……まだ、終わってない。…いこう」
俺は頷いた。
頷くしかなかった。
ジャックが顔を上げる。
目が赤い。
でも泣いている暇を、自分に許していない顔だった。
「……進まなきゃ」
ジャックが立ち上がった。
自分の体を盾にするみたいに、前に出る。
「ここ、長居できないっす」
俺はサラの顔に、そっと布をかけた。
それが、自分にできる全部だった。
布の下で、光がほんの少しだけ滲んだ。
暗いと光る。
ただ、それだけ。
だけど俺には、その灯が。
隣にいるはずだったものの証明に見えた。
俺は立ち上がった。
拳の中で、布越しの冷たさを確かめる。
「……行くぞ」
声は低い。
怒りは熱くない。
冷たいまま、固まっている。
ジャックが頷いた。
リリィが俺の隣に並んだ。
俺たちは歩き出した。
背後で、首元の灯がまた滲んだ。
それが最後の見送りみたいで。
振り返れなかった。




