86.凶報
まだ空が白みきらない時間だった。
聖堂の廊下を、靴音が走った。
ドン、ドン、と扉が叩かれる。
「レオンハルト様はおられますか!至急です!」
眠気が一瞬で飛んだ。
レオンハルトが先に起き上がり、扉を開ける。
外には鎧の衛兵が立っていた。
息を切らしている。顔が青い。
「伝令です」
衛兵は唾を飲んだ。
「王都で異変。凶悪犯罪が発生しています。至急、帰還要請が出ました」
その一言で、空気が凍った。
昨日までの祭りの余韻が、嘘みたいに消えていく。
フィオラが寝台から身を起こした。
サラも目を覚ましている。
ジャックが眉をひそめ、リリィが俺の方を見た。
全員が、黙って衛兵を見つめていた。
「内容は」
レオンハルトの声が低くなった。
衛兵は一度深く息を吸い、報告を始めた。
「王都で連続殺人が発生しており、被害が止まりません。」
「目撃情報は同一人物に集中しています。若い男、一人。共犯の有無は不明」
「騎士団でも止められないのか」
レオンハルトが問う。
衛兵の顔が歪んだ。
「拘束が効きません。結界も破られます。現場で止める手段がない状態です」
声が震えている。
「それで、S級パーティへの帰還要請が出ました」
空気が重くなった。
俺は腕を組んだまま、黙って聞いていた。
レオンハルトの目が細くなった。
「瘴気反応は。魔人案件の兆候はあるか」
「いえ」
衛兵が首を振った。
「魔人の兆候は報告されていません。人間による犯行と見られています」
人間。
一人の人間が、騎士団を相手に暴れ回っている。
「……わかった」
レオンハルトは短く頷いた。
「すぐに出発の準備をする。」
「はっ!」
衛兵が敬礼し、走り去っていった。
扉が閉まる。
レオンハルトが振り返った。
その顔に、昨日までの穏やかさはなかった。
「王都で凶悪事件が発生しています。至急帰還しなければなりません」
全員の顔が引き締まる。
「……申し訳ありません、鬼塚さん、リリィさん」
レオンハルトが俺たちを見た。
「我々は全速で帰還します。お二人と同行するのは難しそうです」
「いいって。早く帰ってやれよ」
俺は手を振った。
リリィが頷く。
「仕方ないね、しばらくここでお世話になろっか」
「いえ」
レオンハルトが首を振った。
「ジャック」
「はいっす!」
「君は残りなさい。鬼塚さんとリリィさんをカルドナから安全に王都まで送り届けてくれ」
リリィが目を丸くした。
「え、いいの? 四人で戻った方がよくない?」
「ジャックはまだ完治していません」
レオンハルトの声が静かに落ちた。
「全速についてくるのは無理だ」
ジャックの表情が、一瞬だけ強張った。
悔しさを噛み殺すような顔。
だがすぐに、いつものように笑ってみせた。
「了解っす。……任せてください」
「頼む」
レオンハルトが頷く。
「フィオラ、サラ。準備は」
「いつでも」
フィオラは淡々と答えた。
「……行ける」
サラも頷いた。
声は硬い。
⸻
聖堂の外。
まだ朝靄が薄く漂っている。
息が白い。空気が冷たい。
レオンハルトが外套を纏った。フィオラも続く。
サラは一瞬だけ、立ち止まった。
俺の方へ歩いてくる。
近づいて。
目は合わせない。
「……剛くん」
「なんだ」
サラは早口になった。
逃げるみたいに言葉を投げる。
「戻ったら、すぐ来て」
「……私、今度こそちゃんとお礼するから」
胸元に手を当てた。
ローブの奥を、ぎゅっと握っている。
「いい?」
念押しみたいに、短く。
俺は鼻で息を吐いた。
「……わかったよ」
サラの耳が、赤くなった。
「……約束だから」
それだけ言って、サラは踵を返した。
リリィが横で口を尖らせる。
「なにそれ。私、聞いてないんだけど」
「今はいい」
サラは振り返らずに吐き捨てた。
レオンハルトが最後に、ジャックを見た。
「ジャック。鬼塚さんとリリィさんを、必ず無事に」
「任せてくださいっす」
ジャックが胸を叩いた。
レオンハルトの視線が、俺に移る。
一瞬だけ、いつもの穏やかさが混じった。
「鬼塚さん。本当にありがとうございました」
静かに、だが確かな声で言った。
「また王都で、食事でもご馳走させてください」
「おう。楽しみにしてるぜ」
レオンハルトは小さく笑った。
すぐに表情を切り替える。
「行くぞ!」
地面を蹴る音。
朝の冷たい空気が、風になって裂けた。
土煙が舞い上がり、足音が遠ざかっていく。
三人の背中が、街道の先へ消えていった。
残ったのは、俺とリリィとジャックだけだった。
リリィがぽつりと呟いた。
「連続殺人か……怖いね」
「まあ、人間ならレオンハルトに絞められて即お縄だろ」
俺は肩をすくめた。
「っすね」
ジャックが頷いた。
「まあ気になるんで、俺たちもボチボチ出発するっす!」
「だな」
俺は聖堂を振り返った。
「荷物まとめるか」
「うん」
リリィが頷いた。
空が少しずつ明るくなっていく。
祭りの余韻はもうどこにもない。
王都で何かが起きている。
ただそれだけが確かだった。




