85.サラのお礼
今夜のカルドナは、別の街みたいだった。
篝火が揺れて、笛の音が飛び、焼いた肉と甘い菓子の匂いが混ざっている。
笑い声が絶えない。酒の瓶がぶつかる音まで、どこか明るく響いていた。
俺は聖堂の裏口を出たところで、腕を組んで立ち止まった。
「……で?なんで俺だけ呼び出した」
横に立つサラが、鼻を鳴らす。
「……たまたま」
「たまたまで、こんなとこ連れ出すかよ」
「いいでしょ、どうせ暇なんだから!」
顔を赤くして言い返してくる。
白いローブの上に薄い羽織を着ている。
祭りの光に照らされると、妙に目立った。
俺は肩をすくめて歩き出した。
サラが半歩遅れてついてくる。
人混みの端を選んで歩く。
なるべく目立たない場所を探しているのに、街全体が浮かれていて、隠れる場所がない。
「……で、用件は」
「……お礼」
サラが小さく言った。
「いっぱい助けたでしょ」
「別に」
「別にじゃない!」
噛みつく勢いで言ってから、サラは一瞬黙った。
視線を逸らして、早口で続ける。
「……剛くんがいなかったら、死んでた。私も、団長も、みんな」
言葉が詰まった。
「だから……その……」
俺は正面を見たまま言った。
「じゃあ生きてりゃ十分だろ」
「……そういうの、ムカつく」
「何が」
「……何でもない」
サラは頬を膨らませた。
屋台が並ぶ通りに出た。
串焼き、焼き菓子、木彫りの人形、護符、薬草、石細工。
子どもが走り回って、親が怒鳴って、でも笑っている。
サラが俺の横で言った。
「ほら。欲しいものとか、ないの」
「ねえよ」
「嘘。祭りだよ? 普通、何か見るでしょ」
「見てるだろ」
「……じゃあ、何でもいい。買ってあげる」
「は?」
俺が足を止めると、サラも止まった。
睨んでくる。
「お礼って言ったでしょ! 受け取りなさいよ!」
「いや、金とかいらねえし」
「金じゃない!」
サラの声が少し大きくなって、慌てて口を押さえた。
「……声、出しすぎた」
「なに興奮してんだよ」
「うるさい」
サラはぷいっと前を向いて、屋台の間を歩き出した。
俺は仕方なくついていく。
「これとか。甘いの」
「甘いの食う歳じゃねえ」
「歳とか関係ないし」
「関係ある」
「……じゃあ、これ。肉」
「さっき食った」
「……じゃあ、何が欲しいの」
サラが本気で困った顔になった。
珍しい。
俺は答えずに、屋台の奥を見ていた。
光が、ひっそり綺麗な場所があった。
石の屋台だ。
透明でも宝石でもない、乳白色の石が並んでいる。
篝火の光を受けて、雪みたいに淡く光って見える。
俺の目が、その中の一つに止まった。
小さなペンダント。
琥珀みたいな色だが、ただの黄色じゃない。
白い灯が中に閉じ込められているみたいで、落ち着いた光を放っている。
「……」
俺が黙って見ていると、サラがすぐ横で止まった。
「……なに見てんの」
「いや、気にすんな」
「気にするわよ。あれでしょ」
サラの指が、俺の視線の先を指す。
屋台の親父が笑う。
「お、兄ちゃん、目がいいな。北の雪灯だ」
「雪灯?」
俺が聞き返すと、サラがすかさず口を挟んだ。
「雪灯の琥珀。北の雪原で採れるやつ」
俺から目を逸らしたまま、ぶっきらぼうに続ける。
「夜にだけ、ちょっと光る。だから雪灯って呼ぶの」
親父が頷く。
「そうそう。狩りに出る連中がよく持つ。縁起物だ」
「縁起?」
俺が眉をひそめると、サラが、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……春待ちの灯」
「は?」
「……北じゃ、そう言うの。冬が長いから」
そこまで言ってから、サラは俺の方を見ないまま、早口になった。
「意味は――『灯の下で、また隣に』」
俺が黙ると、サラは慌てて付け足した。
「……灯を辿って、ちゃんと帰ってこいってこと。
帰ってきたら……その、また隣にいるって」
「……」
「べ、別に変な意味じゃない! 縁起担ぎ! 変な想像するな!」
変な想像はしてない。
してないが。
俺はもう一度ペンダントを見た。
確かに、綺麗だった。
派手じゃないのに、目に残る。
サラが小さく咳払いする。
「……それ、欲しいなら買う」
「欲しいとか言ってねえ」
「でも見てたじゃん。気になったんでしょ」
「まあ」
サラは屋台の親父に向き直った。
「これ、ください」
親父が革紐を手に取った。
「じゃあ、包――」
「……あっ」
その瞬間。
背後から、子どもの声がした。
振り返ると、屋台の影から小さな男の子が覗いていた。
目が丸い。
次の瞬間、その子の顔がぱっと明るくなった。
「……拳王?」
俺の心臓が嫌な音を立てた。
「ねえ、拳王だよね!? かっこいいー!」
「ちが――」
俺が否定しきる前に、子どもは走り出した。
「お母さーん!! 拳王がいる!!」
終わった。
サラの顔色が変わる。
「ちょ……ちょっと!」
親父も目を丸くしている。周りの客が振り向く。
「拳王?」
「……あの?」
「本物か!?」
ざわめきが一気に膨らんだ。
サラが俺の袖を掴んだ。
「……撤退!」
「わかってる!」
俺はサラの手を引いて、人混みの隙間へ滑り込んだ。
後ろで声が跳ねる。
「拳王さまだ!!」
「見た!? 拳王いた!!」
「英雄がいるって!!」
足音が増える。
追ってくる。
サラが走りながら叫んだ。
「だから目立つなって言ったのに!!」
「お前が買うって言い出したんだろ!」
「買うのはいいの! ばか!!」
俺たちは裏路地へ飛び込んだ。
篝火の光が遠のく。
喧騒が壁の向こうに残る。
息が切れた。
サラが壁に手をついて、息をついてる。
頬が赤い。怒っているのか、それとも走ったせい…はないか。
俺は息を整えながら言った。
「ま、いいって。石はちょっと綺麗だから見てただけだ」
サラは悔しそうに唇を噛んだ。
それから、小さく、早口で言った。
「……でも、約束」
「今度?」
「……今度、ちゃんとお礼する。約束ね」
サラは俺を見ないまま言った。
「……帰る! 聖堂! 今すぐ!」
「おう」
サラが先に歩き出す。
俺は路地の奥を見た。
まだ遠くで、人の声が探すみたいに揺れている。
祭りは続いている。
俺たちはもう戻れない。
でも。
さっきの言葉だけが、妙に耳に残っていた。
――灯の下で、また隣に、か。
悪くない響きだった。




