84.英雄誕生
夕方、領主が聖堂を訪ねてきた。
白髪の老人が、恭しく頭を下げる。
「こんばんは、皆さん。体調はいかがですか」
「これは領主様」
レオンハルトが寝台から立ち上がり、礼を返した。
「お陰様で、身体は無事回復しました」
「ジャックは傷が深かったので、まだ少しかかりそうですが」
ジャックが横で跳んでみせた。
「充分動けるっす!」
「それはよかった……」
領主が安堵の息を吐いた。
「ところで……」
声が少し震えた。
「魔人は、どうなりましたか?」
「無事、討伐しましたよ」
レオンハルトが静かに答えた。
「ああ、よかった……!」
領主が胸を押さえた。
「本当に、よかった……!」
目に涙が滲んでいる。
「なんとすごい、勇者抜きで魔人を討ったなど私は前例を知りません…!」
「いや、実は……」
レオンハルトが俺を見た。
おい、やめろ。
まあ、魔人まで倒せちまったんだ。
勇者かもしれねえが、柄じゃねえ。
俺はやめてくれと手を横に振った。
「そうですね……」
レオンハルトが困った顔をしている。
あいつの性格上、手前らの手柄にはしたくないんだろう。
なんかうまく言えねえかと悩んでいる。
「いるよ!!」
リリィが叫んだ。
は?
しまった。こいつの口を封じてなかった。
「なんと今年の武闘会優勝者、拳王――鬼塚剛よ!」
俺を指差した。
最悪だ。
「なんと!!」
領主が目を見開いた。
「あの噂の拳王が、同行されていたとは!」
「いや俺は殴っただけで、あとはこいつらがシメたんだよ」
「殴った……?」
領主が呆然と呟いた。
「魔人を……殴った……?」
「さすが拳王様……」
「様とかやめてくれ!」
「と、とりあえず」
レオンハルトが慌てて割り込んだ。
「魔人討伐の件は、街の皆にも正式に伝えなければなりませんね」
「そうです、その件で」
領主が姿勢を正した。
「今日は街で盛大にお祭りをしておりますので、そこで報告しましょう」
「人混みに揉まれてしまいますから、うちのバルコニーから発表するのはいかがでしょう?」
「皆さんの姿も、街の皆によく見えます」
「ええ、わかりました」
レオンハルトが頷いた。
「では衛兵を遣わせますので、裏口からこっそりいらしてください」
領主は深く頭を下げ、出ていった。
扉が閉まった瞬間、俺はリリィを睨んだ。
「おいリリィ、てめぇ……」
「いいじゃん、実際勇者なんだし!」
リリィが悪びれもせずに笑う。
「いいじゃないすか!」
ジャックが拳を突き上げた。
「どれもこれも剛くんのおかげっすよ!」
「魔人はあなたが倒したのよ」
フィオラが静かに言った。
「見事な一撃だった」
「……あんたがいなかったら、私たち死んでたし」
サラがそっぽを向いたまま呟いた。
「感謝してるとか、そういうんじゃないけど……まあ、認めてあげる」
「ったく……」
俺は頭を掻いた。
こいつらを困らせるわけにもいかねえしな。
仕方ねえか。
⸻
夜。
俺たちは衛兵に連れられ、領主邸へ向かった。
街は祭りで賑わっていた。
篝火が揺れ、笑い声が響き、酒の匂いが漂っている。
前まで魔人の脅威に怯えていたとは思えない熱気だった。
裏口から屋敷に入り、三階のバルコニー手前の部屋で待機する。
窓の外から、祭りの喧騒が聞こえてくる。
俺は腕を組んだまま、レオンハルトを見た。
「レオンハルト。ひとつ頼みがある」
レオンハルトが目を向ける。
「……何でしょう」
俺は顎で外を示した。
篝火の明かりと、人々のざわめきが漏れ聞こえてくる。
「発表するなら、勇者だの選ばれただのは言うな」
「鬼塚さん……」
「俺は殴っただけだ。看板にするなら、拳王で十分だろ」
一拍置いて、俺は低く続けた。
「勇者なんて札、貼られたら面倒が増える。街を安心させられりゃそれでいいだろ?」
レオンハルトは黙って聞いていた。
やがて、静かに頷いた。
「承知しました。拳王・鬼塚剛として功績を伝えます」
穏やかに、だが確かな声で言った。
「言葉は私が選びましょう」
「ささ、皆さん、バルコニーの方へ!」
領主が手招きする。
俺たちはバルコニーに出た。
眼下に広場が広がっている。
篝火に照らされた群衆が、こちらを見上げていた。
ざわめきが広がる。
「レオンハルト様だ!」
「英雄たちだ!」
領主が手を上げた。
「皆さん、これから重大な報告をします。お静かに!」
群衆が静まる。
数千の目が、バルコニーに集中した。
レオンハルトが一歩前に出た。
「皆さん、聞いてください」
声が、夜空に響く。
「黒い空が消えたのは、偶然ではありません」
「我々は、魔人を討ち取りました」
一瞬ざわめきが起きた。
だがレオンハルトは続ける。
「勝利を決定づけたのは、今年の武闘会優勝者――拳王、鬼塚剛の一撃です」
群衆の視線が、俺に集まった。
「そして我々は、その一撃が開いた道を繋いで、魔人を討ち果たした」
レオンハルトの声が、静かに、だが力強く響いた。
「この街を守ったのは、選ばれし誰か一人ではありません。ここにいる全員の力です」
広場を見渡す。
「生きて、明日を迎えた力です」
最後に、レオンハルトは微かに笑った。
「今夜は祝いましょう。そして明日からも、生きましょう」
一瞬の静寂。
そして、広場が爆発した。
歓声が夜空を揺らした。
怒号のような喜びの声が、波になって押し寄せてくる。
誰かが泣いている。誰かが抱き合っている。帽子が宙を舞い、酒樽が割られる音がした。
「皆さん、前に出て、しっかり街の皆に姿を見せてやってください」
領主が俺たちを促した。
ジャックが真っ先に飛び出した。
「みんな!!やったぞー!!!」
バルコニーの縁に身を乗り出し、両手を振る。
群衆がさらに沸いた。
フィオラも穏やかに手を振っている。
サラも照れくさそうに、でも笑顔で手を上げていた。
「そして!」
ジャックが俺の右隣に来た。
俺の腕を掴み、拳を高く突き上げる。
「こちらが拳王、鬼塚剛さんだー!!」
広場が、再び爆発した。
「拳王ー!」
「拳王ありがとう!」
「鬼塚さんありがとう!」
何千という声が、俺の名を叫んでいる。
リリィが左から俺の腕を組んで、満面の笑みでピースしている。
「剛くん、英雄だね!」
「うるせぇ」
レオンハルトが静かに拍手していた。
フィオラも、サラも。
俺は夜空を見上げた。
星が見えた。
少し前まで瘴気に覆われていた遠い空に、星が瞬いている。
別に英雄じゃねえよ…。
まあ、いいか。
こいつらが笑ってんならそれでいい。




