83.聖堂にて
療養棟の寝台は、妙に柔らかかった。
白い天蓋。
薄い香の匂い。
天井に魔法陣のような複雑な紋様が刻まれていて、淡い光が壁を伝い床まで脈みたいに流れている。
「これが高位治癒陣ね」
リリィが天井を見上げて言った。
「薄く、長く。人間の体を治していくの」
「へえ、便利だな」
俺は寝台に横たわったまま答えた。
「これ、めちゃくちゃお金かかるんだよ…英雄の特権ね」
隣の寝台から、ジャックが手を振ってくる。
「天国っすねぇ……寝てるだけで治るっす……」
「うるせぇ、寝ろ」
「寝てるっすよ、今から!」
サラは布団を鼻先まで引き上げて、目だけでこっちを睨んでいた。
「……騒がないで。集中できない」
「お前も寝ろ」
「寝るし……」
フィオラはもう目を閉じている。
レオンハルトも、静かに両手を組んでいた。
こいつら、こういうの慣れてるな。
俺も目を閉じた。
少しだけ眠ったつもりだった。
⸻
目を覚ますと、リリィの腹が鳴っていた。
「ほらね」
リリィが得意げに言う。
「副作用。体が栄養を求めるの」
療養棟の修道士が運んできたのは、山みたいなパンと肉とスープだった。
「こんな食えるかよ……」
俺は皿を見て呟いた。
「食えるよ」
リリィがあっさり言う。
「食えるっす」
ジャックはもう食っている。
サラも黙ってパンをちぎった。
口に入れた瞬間、顔が少し緩んだ。
俺は自分の拳を見た。
腫れは少し引いてきたか。
でも痛みは残っている。
「剛くん、手」
リリィが当然みたいに俺の手を取ろうとした。
そこにサラが割り込んできた。
「ちょっと、それ私の仕事」
「回復薬塗るくらいあたしにもできるし!」
リリィが譲らない。
「いいから任せて!」
サラも引かない。
バチバチ。
俺はため息を吐いた。
「……お前ら、俺の拳で遊ぶな」
「遊んでない!」
「遊んでないよ!」
また同時だ。
レオンハルトが咳払いをした。
「……療養棟では静かに」
穏やかに言っているのに、妙に圧がある。
二人が同時に背筋を伸ばした。
「はい……」
「はーい……」
フィオラが小さく笑った。
「元気ね。いいことだわ」
平和だ。
⸻
二日目の朝。
ジャックが寝台から跳ね起きた。
「治ったっす!!俺、跳べるっす!!」
「静かにしなさい」
レオンハルトが窘める。
「はいっす……」
サラは寝台から降りて、杖を軽く回してみせた。
足取りが安定している。
「……うん、完璧」
小さく頷いた。
フィオラは剣を一度だけ抜いた。
風が裂ける。
鈍りはない。
レオンハルトは盾を持ち上げ、剣を握り直した。
全快だ。
リリィが俺の周りをぐるぐる回る。
「剛くんはー?」
「俺は痛ぇ」
「うん知ってる。剛くんは魔法受けられないもんね」
サラが俺の拳を見て、鼻を鳴らした。
「……今日は私が塗る」
「は?」
有無を言わさず、サラが俺の手を取った。小さい指が、妙に強い。
「昨日はそっちが塗ったでしょ」
サラはリリィを睨む。
リリィが肩をすくめた。
「むー……しゃあなし。今日はサラちゃんに譲るよ」
口ではそう言いながら、目は俺の拳に張り付いてる。
薬が塗られる。
ひんやりして、次の瞬間じわっと熱い。
俺が眉を動かすと、サラがすぐに顔を上げた。
「痛いの?」
「平気だ」
リリィが横から覗き込む。
「サラちゃん、意外と手つき丁寧だね」
「当たり前でしょ。ヒーラーだし」
「へー。剛くんだからじゃなくて?」
「……違う!」
サラは赤くなったまま、薬を塗る手だけは止めない。
ジャックが肩を揺らして笑っている。
「平和っすねぇ」
「ああ、平和だ」
レオンハルトが窓の外を見ながら言った。
一瞬だけ目を閉じる。
「今のうちに休もう。今日は街が待っている」
外では鐘が鳴っていた。
昨日より明るい音だ。
カルドナ全体が、祝勝会の準備をしている。
空気が浮かれているのが、壁越しに伝わってくる。
「よーし、外で騒がれる準備できた!」
リリィが両手を広げた。
「準備ってなんだよ」
「気持ちよ!凱旋ムードの準備!」
サラがぼそっと言った。
「……私、騒がれるのは嫌」
一拍置いて、
「……でも、ちょっとだけなら、見たい」
リリィが即座に指差した。
「出た、本音!」
「出てない!」
サラが顔を赤くして否定する。
俺はため息を吐いて寝返りを打った。
「……静かにしろ」
窓の外から、街の喧騒が聞こえてくる。
祝勝会が、始まろうとしていた。




