82.帰路
魔人のいた荒野を背にして、俺たちは歩き出した。
骨の玉座だけが、荒野にぽつんと残されている。
誰も、振り返らなかった。
しばらく歩いて、拳がじわじわと痛み出した。
殴った瞬間は熱かっただけなのに、今になって遅れてくる。
見ると、皮が剥けて腫れ上がっていた。
「……ほら、見せて」
リリィが俺の横に並び、当たり前みたいに手を伸ばしてきた。
「平気だっつの」
俺が手を引こうとした瞬間。
「待ちなさい!」
サラが噛みつくみたいに割り込んできた。
杖を持っていない方の手で、俺の拳をつかむ。
「それ、私の仕事!
怪我してんのに平気とか言うな!」
「仕事って……」
リリィが眉を上げる。
「ヒーラーでしょ、ほら見せて」
「剛くんは魔法が効かないよーん」
「あ……意味わかんない!」
二人の視線が、バチバチと火花を散らした。
俺は、ため息を吐いた。
「お前ら、道の真ん中で喧嘩すんな」
「喧嘩じゃない!」
「喧嘩じゃないよ!」
同時に言いやがった。
ジャックが、ニヤニヤしながら後ろを歩いている。
「相変わらず仲良いっすねぇ」
「仲良くない!!」
また同時だ。
レオンハルトが前を向いたまま、穏やかに言った。
「……ですが、良いことです」
振り返らない。
だが、声が柔らかかった。
「声が出るのは、生きている証拠ですから」
フィオラも、小さく頷いた。
「勝利の後に笑えるのは、強い」
その言葉で、少しだけ肩の力が抜けた。
途中、待機していたガルカに乗り、カルドナまでの残りの道を辿った。
しばらくすると、遠くに山が見えてきた。
その向こうに、カルドナがある。
リリィが俺の拳を見て、急に真面目な顔になった。
「……ねえ剛くん」
「なんだ」
「カルドナ着いたら、ちゃんと休んで」
サラが、横から睨んできた。
「……手当て、優先」
俺は鼻で笑った。
「うるせぇ。全部終わったら考えてやる」
「……約束ね!」
「約束!!」
また同時だ。
俺は頭を掻いて、前を向いた。
「……帰るぞ」
青い空の下、足音が続いていく。
⸻
カルドナの門が見えた。
門の見張りが、俺たちに気づいた。
最初は、ぽかんとしていた。
次に、顔色が変わった。
「……レオンハルト様……?」
信じられないものを見る目だった。
俺たちが門へ近づくたび、見張りの目が確信に変わっていく。
そして。
「戻ったぞ!!」
誰かが叫んだ。
その一声で、街が割れた。
人が走る。
足音が増える。
門の向こうから、雪崩みたいに群衆が押し寄せてくる。
「生きて帰った……!」
「本当に行った連中が……!」
「空が戻ったのはやはり……!」
俺たちは門をくぐった。
その瞬間、歓声が爆発した。
「うおおおおおお!!」
「英雄だ!!」
「魔人を倒したのか!?」
最初は信じられないという目。
でも次の瞬間には、涙に変わっている。
見送りをしていた顔も混じっていた。
宿屋の女将が、半泣きで走ってくる。
門の衛兵が、膝から崩れそうになっていた。
「……よかった……!」
「戻った……戻ったぁ……!」
俺は正直、居心地が悪かった。
「うるせぇ……押すな」
言っても聞こえていない。
押し寄せる熱に、逆に押し流されそうだ。
その横で、リリィが完全に調子に乗っていた。
「みんな聞いて!!
剛が!剛が魔人を殴ったの!!」
「おい!!」
「ほんとだよ!拳でぶん殴って!
瘴気が晴れて!魔法が止まって!」
余計なこと言うなと言いたいのに、もう遅い。
群衆の目が、一斉に俺へ向いた。
「拳で……?」
「な、なにそれ……」
ジャックがニヤニヤしながら腕を振り上げた。
「マジっす!剛くん、拳で世界ひっくり返したっす!」
「お前も黙れ!!」
俺は顔を真っ赤にして怒鳴った。
その横でサラが叫ぶ。
「声大きい!剛くんが困るでしょバカ!!」
ジャックがニヤニヤする。
「あれ?いつの間に剛くんって呼んでるっすか?」
「うるさい!!」
サラは顔を真っ赤にして叫んだ。
フィオラは静かに頭を下げた。
レオンハルトも同じだ。
歓声に応えるというより、祈りみたいな礼だった。
その姿に、群衆の熱がさらに上がる。
花が飛ぶ。
パンが飛ぶ。
酒袋まで飛んできた。
「飲め!!」
「食え!!」
「生きて帰った祝いだ!!」
俺の脚に誰かがぶつかった。
「拳の英雄さま!!」
子どもが叫びながら、俺の真似をして殴るポーズを取っている。
やめろ。
照れるだろ。
俺は咳払いして、ぶっきらぼうに言った。
「……勝手に真似すんな。拳痛めるぞ」
子どもが目を輝かせた。
「今、喋った!!」
「英雄だ!!」
「拳の英雄が喋ったぞ!!」
「……うるせぇ」
顔が熱い。
レオンハルトが一歩前に出た。
穏やかな声が、群衆を割る。
「皆さん。お気持ちはありがたい」
そこで一瞬、声が硬くなった。
「ですが――
我々はまだ万全ではありません。
治療を優先させてください」
その言葉に、群衆がはっとした。
誰かが叫ぶ。
「そうだ!聖堂へ!」
「療養棟を開けろ!」
「英雄を倒すな!!」
一気に流れが変わった。
道が開く。
群衆が、自分たちで道を作っていく。
誰かが鐘を鳴らした。
カン、カン、カン……。
澄んだ音が街に響く。
その音に合わせるみたいに、
聖堂の方から白装束の人間が駆けてきた。
「英雄の皆様方!」
「療養棟を開けます!すぐに!」
リリィが俺の肘をつついた。
「剛くん、拳の英雄だね」
「うるせぇ」
俺たちはそのまま、聖堂へ押し込まれた。
⸻
白い廊下。
香の匂い。
静かな空気。
外の喧騒が、嘘みたいに遠い。
「集中療養に入ります」
白装束の女が、真面目な顔で言った。
「高位治癒を薄く、長く流します。」
「重症でなければ二日で戦線復帰できるでしょう」
リリィが目を輝かせた。
「二日で……全快!?」
「はい。魔力も回復しますよ。」
「代わりに、強い眠気と空腹が来ます。
皆さん、しばらくは寝ていてください」
ジャックが安堵の息を吐いた。
「寝るだけでいいっすか……最高っす」
サラが小さく頷いた。
「……寝る」
フィオラも淡々としている。
「従いましょう」
レオンハルトが、一度だけ俺を見た。
「鬼塚さんも」
「……俺は無理だろ」
俺は言った。
リリィが口を尖らせた。
「うん。剛くんは別メニューだね」
「別メニューってなんだよ」
「包帯と回復薬。あと私が監視」
「監視すんな」
サラが横から睨んできた。
「……私が見る」
「え、サラちゃんも?」
「ヒーラーだから!」
「喧嘩すんな」
俺が言うと、二人が同時に叫んだ。
「喧嘩じゃない!」
……もういい。
⸻
聖堂の寝台に押し込まれて、天井を見上げる。
白い。
静かだ。
外ではまだ歓声が聞こえる。
遠くで鐘が鳴っている。
勝った。
生きて帰った。
その実感が、ようやく胸の奥で形になった。
瞼が重くなる。
……少しだけ、眠るか。
カルドナの凱旋は、ここから始まる。




