79.格の違い
荒野の中央に、玉座があった。
白い。
塗装じゃない。
骨だ。
人骨で編まれている。
背もたれには頭蓋骨がいくつも埋め込まれ、虚ろな眼窩がこちらを見つめていた。
この場所に似合いすぎていて、逆に吐き気がした。
その骨の玉座に、そいつは座っていた。
レオンハルトが半歩前へ出た。
盾は下げない。
剣先も向けない。
それでも、その一歩が重い。
レオンハルトは静かに頭を下げた。
「……失礼する。私はレオンハルト。王国冒険者ギルド所属、S級第一位だ」
魔人が目を開けた。
深い闇の色をした瞳。
視線が合った瞬間、胃の奥が冷たくなる。
虫を観察するような、無感情な目だ。
「そしてこちらは仲間だ。貴殿が魔人と呼ばれる存在であると、我々は判断している」
魔人は答えない。
ただ、こちらを見ている。
「だが――今この瞬間、こちらから先に手を出す意図はない」
レオンハルトの声は揺らがない。
「まず確認したい。貴殿は、この地で何をしている」
沈黙が落ちた。
やがて、魔人が口を開いた。
「よい」
低く、深い声だった。
「最後の話し相手であろう」
玉座の肘掛けに指を置いたまま、淡々と言った。
「……我は、貴様らを滅ぼす準備をしていた」
空気が沈む。
サラの息が一瞬止まったのが、背中越しにわかった。
「準備が整い、いよいよ出向こうと思った矢先――貴様らが来た。
ゆえに待った。それだけだ」
レオンハルトは表情を崩さない。
「滅ぼすとは、王国だけではないのだな」
「小さき括りに意味はない」
魔人が首を傾げた。
「人の営みごと、いずれ消える」
世界ごと殺す気だ。
「確認させてほしい。貴殿の言う準備とは何だ。
兵か、術式か、それとも貴殿自身か」
魔人はゆっくりと笑った。
笑みというには冷たすぎる、ただの形だった。
「準備とは、貴様らを壊すための形だ。
兵でも術でもない」
玉座の肘掛けを、指先で軽く叩いた。
「我が、そう在るための整えだ」
レオンハルトは深追いしない。
「理由を聞かせてほしい。
憎しみか。使命か。飢えか」
魔人は、骨の玉座を軽く叩いた。
乾いた音が鳴る。
「最初は衝動であった。
虫を踏み潰したくなるのと同じだ。
人間とは、我にとってそういうものだった」
俺の奥歯が軋む。
「だが、変わった」
魔人の目が、僅かに細くなった。
「生まれては貴様らに殺される。
その繰り返しが、衝動を憎しみに育てた」
レオンハルトの声が、少しだけ硬くなる。
「……生まれては、殺される。
繰り返しだと?」
魔人は静かに頷いた。
「我は我だ。
我が死ねば、長い時を経て――我が意思で、再び我として生まれる。
何百年かかろうとな」
背筋がぞっとする。
こいつにとって死は、終わりじゃない。
ただの中断だ。
人間がどれだけ命を懸けて倒しても、いつかまた現れる。
「では快適な世界とは何だ。
人がいない世界か。
人が支配される世界か」
魔人は玉座の骨に指を滑らせた。
「快楽は瞬間。
快適は継続。
……我にとって不快の根は、人間そのものだ」
レオンハルトの視線が、骨の玉座へ落ちる。
「その玉座……これは、何だ」
魔人は、まるで価値ある芸術品を語るように言った。
「ここに我が初めて生まれた時、村があった」
指が、頭蓋骨のひとつを撫でた。
「……その者らの骨だ。
試みに組んだ」
村人の骨。
材料扱いだ。
胃の奥から、何かがせり上がってくる。
魔人は、こちらを見下ろして言った。
「さて。
言葉は尽きたか」
玉座から、身を起こす気配。
「――我はこれから殺す。
何か、最後に聞きたいことはあるか」
レオンハルトは即答した。
「ある」
一歩も退かない。
「昨夜、我々は貴殿の従者――ルシと戦った」
魔人の瞳が、ほんの僅かに揺れた。
「ルシ、か」
レオンハルトは一拍置いた。
「ひとつ確かめたい。
あれは貴殿にとって失ったことになるのか。
それとも……最初から、捨て駒か」
魔人は、口元だけで笑った。
「まさか」
嘲りとも憐れみともつかない、冷たい笑み。
「……怒りなど抱かぬ」
骨の玉座に肘をつき、こちらを見下ろす。
「見るがよい」
指が鳴った。
パチン。
乾いた音が響いた瞬間――瘴気が裂けた。
荒野のあちこちに紫の裂け目が開く。
そこから人影が這い出してくる。
一体、二体、三体。
十。
十五。
二十。
ルシだ。
同じ銀がかった白髪。
同じ黒いローブ。
同じ薄い青灰色の瞳。
必死で倒した相手が、二十体いる。
二十の薄い青灰色の瞳が、いっせいにこちらを見る。
二十体が、同時に腕を掲げた。
頭上に瘴気が集まり始める。
黒紫の靄が凝固し、槍の形を成していく。
あの瘴気葬槍。
それが、二十個分。
「ひっ……!」
サラの肩が跳ねた。
小柄な身体が、それでも半歩前に出る。
「聖域展開!!」
杖を掲げた。
先端に光が集まり、足元に白い魔法陣が浮かび上がる。
光の半球が、全員を包み込んだ。
「慌てるな」
魔人が、面倒くさそうに言った。
その手が、軽く動く。
ただ、指先で何かを弾くみたいに。
パチン。
乾いた音がした。
サラの鉄壁の半球がひび割れた。
光がほどけ、霧みたいに散っていく。
「……え?」
サラが固まる。
杖を握る手が震えた。
何が起きたのか、理解が追いついていない。
魔人は、興味もなさそうに続けた。
「見るがよい。
貴様らの守りなど、我には玩具と同じだ」
そして掌を開いた。
黒い点が生まれる。
小さな、小さな点。
だがその点は、光を食った。
音を引き伸ばした。
点が球になり、膨らんでいく。
空間が歪む。
視界がきしむ。
砂埃が逆流し、岩が軋み、空気が悲鳴を上げた。
ルシたちが槍雨を放った。
紫の雨が降り注ぐ。
だが、途中で軌道が曲がった。
槍が、黒い球に吸い込まれていく。
そして、ルシたちも。
二十体のルシが、同時に潰れた。
折り畳まれるように縮み、引き伸ばされ、捻じれていく。
叫び声すら出せずに、黒い球へ吸い込まれていった。
黒い球が、パチンと消えた。
遅れて衝撃波が頬を叩く。
息が詰まる。
後には、何も残っていなかった。
「これが格だ」
魔人が、ゆっくりとこちらを見た。
「……貴様らは、どこまで持つ」




