78.魔人
朝、目を覚ました。
魔人の膝下とは思えないような快晴だ。
日差しが眩しい。
空は青く澄み渡り、雲ひとつない。
みんな、もう起きていた。
サラも目を覚ました。
俺の隣で、ゆっくりと身を起こす。
「おはよう」
俺は言った。
「二人とも起きたっすか?おはよっす!」
ジャックが手を振った。
昨日より顔色がいい。傷もだいぶ塞がったようだ。
「おはよー!」
リリィが明るく声をかける。
「おはよう」
フィオラが静かに頷いた。
「おはよう」
レオンハルトが穏やかに微笑んだ。
「……おはよう」
サラが、小さく答えた。
昨夜の涙の跡は、もう見えない。
いつもの強がりの顔に戻っている。
いつも通りの日常が流れた。
軽く飯を食って、顔を洗って、装備を整える。
気持ちのいい朝だ。
こんな日が、ずっと続けばいいのに。
そんなことを、ふと思った。
「さて、皆準備はいいですか?」
レオンハルトが立ち上がった。
「はーい!」
「っす!」
「ええ」
「はい」
「おう」
全員が返事をした。
魔人の元へと、歩き出した。
⸻
「作戦どうする?」
俺は歩きながら聞いた。
「そうですね」
レオンハルトが前を向いたまま答える。
「可能なら、まずは対話を試みましょう」
「対話?」
俺は眉をひそめた。
「もっとこう、奇襲とかじゃなくてか?」
「何せ世界を滅ぼしうる未知の化け物ですからね」
レオンハルトが淡々と言った。
「少しでも時間を作って、情報を取るんです」
「なるほど、そういうことか」
「私が先頭に立ちます」
レオンハルトが振り返った。
「皆は一塊に。鬼塚さんとリリィさんは、魔人をしっかり観察してください」
「わかった」
「了解!」
リリィと俺が同時に答えた。
「お前らは調子どうよ」
俺は後ろを振り返った。
「結構休めたんで、戦えるっすよ!」
ジャックが拳を握った。
「私もいけるわ」
フィオラが頷く。
「私も!」
サラが力強く答えた。
「よっしゃ」
俺は前を向いた。
「んじゃ、蹴りつけにいこうぜ」
⸻
一時間ほど歩いた頃だった。
空の色が変わり始めた。
青かった空が、少しずつ濁っていく。
灰色が混じり、やがて紫がかった色に染まっていった。
「戻ってきたっすね、この空」
ジャックが見上げながら言った。
瘴気の領域に、再び入ったのだ。
だが、前とは違う。
静かすぎる。
道を譲られているような、そんな感覚だった。
⸻
さらに数時間。
辺りは完全に暗くなっていた。
まだ昼のはずだ。
だが空は薄暗く、紫がかった闇が重く垂れ込めている。
太陽がどこにあるのかもわからない。
光が届かない場所に来てしまったような、そんな感覚。
気味の悪い場所だ。
生温い風が肌を撫でる。
瘴気とは違う、もっと根源的な何かが空気に溶けている。
呼吸するたびに、肺が重くなる気がした。
「もう少しです」
レオンハルトの声が硬い。
額に冷や汗が浮かんでいた。
「リリィさん、具体的な距離はわかりますか?」
「このペースだと……」
リリィの声が震えている。
「もう三十分進めば、魔力の発生地点に着くよ」
リリィの顔は青ざめていた。
杖を握る手が小刻みに揺れる。
魔力を感じ取れる者には、この場所はさぞ地獄だろう。
沈黙が落ちた。
足音だけが響く。
六人分の足音。
それ以外、何も聞こえない。
虫の声もない。
風の音もない。
生き物の気配が、完全に消えていた。
生温い風だけが、時折頬を撫でていく。
まるで、何かの吐息のように。
「……絶対」
サラが口を開いた。
「絶対、みんなで生きて帰ろうね!」
声が響いた。
薄暗い空に吸い込まれ、消えていく。
みんなが微笑んだ。
「そうですね」
レオンハルトが頷いた。
その目に、いつもの穏やかな光が戻る。
「ええ、もちろんよ」
フィオラが静かに答えた。
琥珀色の瞳が、サラを見つめている。
「当然っす!」
ジャックが拳を突き上げた。
傷だらけの腕で、それでも力強く。
「あ、あたた、あたりまえ!」
リリィが噛みながら叫んだ。
震えながらも、笑顔を作ろうとしている。
「あたりめぇだ」
俺は笑った。
⸻
それからしばらく歩いた時だった。
「……見えるっすか、あれ」
ジャックが前方を指差した。
闇の中に、光が浮かんでいた。
炎だ。
青白い炎が、左右に浮かんでいる。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
いくつも連なり、道を作っていた。
闇の中に、一本の道が浮かび上がっている。
「迷子の心配かよ」
俺は鼻で笑った。
「親切っすね」
ジャックも苦笑する。
だが、誰も足を止めなかった。
炎の道を進む。
青白い光が、左右から俺たちを照らしていた。
影が長く伸び、地面に揺らめいている。
炎は音もなく燃えていた。
熱も感じない。
ただ光だけが、そこにある。
まるで、冥府への道標のようだった。
地面が変わった。
草がなくなり、土がなくなり、黒い岩肌が剥き出しになっていく。
荒野だ。
何も生えていない、死んだ大地。
足を踏み出すたび、硬い音が響いた。
生温い風が止んだ。
空気が動かなくなった。
重く、濃く、まとわりつくような空気。
音が消えた。
足音すら、遠くなっていく。
自分の呼吸だけが、やけに大きく聞こえた。
そして――見えた。
荒野の中央。
黒い岩肌の上に、それはあった。
椅子だ。
豪華な椅子。
玉座のような、白い椅子。
骨だ。
人骨で編まれ、背もたれには頭蓋骨がいくつも埋め込まれている。
そこに、座っている。
人の形をしていた。
二本の腕、二本の足、ひとつの頭。
構造だけ見れば、人間と変わらない。
だが、人ではない。
肌は灰色がかった白。
血の気というものが、まるで感じられない。
長い黒髪が、肩を越えて垂れている。
風もないのに、微かに揺らめいていた。
目は閉じられている。
眠っているように見えた。
だが、眠ってなどいない。
わかる。
空気が違う。
重力が違う。
存在の密度が、違う。
この場にいる全員の命を、指先ひとつで消せる。
そういう存在が、そこに座っていた。
世界を終わらせる化け物。
厄災。
魔人。
俺たちは、その前に立った。
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