77.旅の終わり
翌日。
本当は走ればもう魔人のところに着くのだろう。
だが、せめて体力を回復させようと、ゆっくり進むことになった。
ガルカの背に揺られながら、俺はジャックに声をかけた。
「どうだ? 回復したか?」
「だいぶ体マシになったっす!」
ジャックが笑顔で答えた。
昨日よりも顔色がいい。
「リリィ嬢、助かったっす!」
「まだまだ! 休憩中も治癒漬けだからね!」
リリィが杖を構えたまま言った。
移動しながらも、淡い光がジャックの傷を包んでいる。
「あざっす!」
「ルシとかいうやつ倒したんだろ?」
俺はレオンハルトの方を見た。
「話聞かせろよ」
俺たちはたわいもない話をしながら、ゆっくり魔人への道を進んだ。
レオンハルトが盾を捨てて斬りかかった話。
フィオラの黒い魔法剣の話。
サラの聖域展開の話。
ジャックがサラを庇って撃たれた話。
聞きながら、俺は思った。
こいつら、本当にすげぇな。
⸻
夕暮れ時。
ある地点から、瘴気がふっと途切れた。
紫がかった靄が消え、視界が開ける。
見上げると、雲ひとつない空が広がっていた。
オレンジ色の夕焼けが、空を染めている。
「これは一体……」
フィオラが目を細めた。
「うーん、台風の目みたいな?」
リリィが首を傾げる。
「台風か……」
レオンハルトが空を見上げた。
「凄まじいスケールですが、魔人ならありえますね」
瘴気の嵐の、中心。
その目の中に、俺たちは入ったのだろう。
――
それから歩いた先に、絶好の野営場所を見つけた。
草木が茂り、緑が鮮やかだ。
近くには小さいながらも湖がある。
水面が夜空を映して、月が輝いていた。
「明日、この旅の終着点に着きます」
レオンハルトが静かに言った。
「本当に、楽しい旅だった」
「私も」
フィオラが頷いた。
「自分もっす!」
ジャックが元気よく答えた。
「……」
サラは、何も言わなかった。
少し間が空く。
「……はん?」
俺は鼻で笑った。
「馬鹿野郎、帰るまでが旅なんだよ」
沈黙。
レオンハルトが、ふっと笑った。
「……そうでしたね」
表情が和らぐ。
「各自、できる限り万全の態勢を整えること」
「っすね! リリィ嬢、ヒール頼むっす!」
ジャックが手を挙げた。
「オッケー、まかせて!」
リリィがジャックの傍に駆け寄る。
「フィオラ、私たちも傷を癒しましょう」
「ええ」
レオンハルトとフィオラが、少し離れた場所へ歩いていく。
お互いの治療を始めた。
いつもより、二人の距離が近いように感じる。
ここにいるのは無粋だな。
「おい、サラ」
俺は声をかけた。
「回復手伝ってやるよ」
「珍しく気が利くわね」
サラが立ち上がった。
「行きましょ」
⸻
俺たちは皆から離れ、湖の畔に来た。
サラは湖畔の平たい岩の上に座り、膝を抱えた。
空を見上げている。
星が瞬いていた。
瘴気がないせいか、いつもより鮮やかに見える。
俺も隣に座った。
「ほら、腕」
「……自分でできる」
そう言いながら、素直に腕を差し出してくる。
槍に裂かれた線が、何本も走っていた。
赤い傷跡が、白い肌に刻まれている。
薬を塗る。
サラの指が、わずかに跳ねた。
「染みる」
「我慢しろ」
「……うるさい」
いつものやり取り。
なのに、声が薄い。どこか抜けている。
沈黙が落ちた。
湖面が静かに揺れている。
星の光を映して、キラキラと光っていた。
「……剛くん」
サラが言った。
俺は手を止めた。
「……初めて名前で呼んでくれたな」
「……うるさい」
サラは膝を抱えたまま、空を見ている。
「なんだ」
「……昨日」
サラの声が小さくなる。
「ほんとに、怖かったの」
俺は黙って聞いていた。
「平気なフリしてたけど」
「ずっと、震えてた」
風が吹いた。
サラの緑の髪が揺れる。
「ジャックが倒れた瞬間……」
「胸、変になった」
「痛いとかじゃなくて……ぐちゃってなる感じ」
サラは唇を噛んだ。
声を整えようとしている。
「ヒーラーが弱音吐いたら、皆が不安になるから」
「わたしが折れたら、みんな崩れるかもしれないから」
「だから……ずっと口、閉じてた」
星が瞬く。
湖面に映る光が、揺れていた。
「でも」
「もう無理」
「明日、魔人と闘うんだもん」
笑って見せた。
でも、息が震えている。
「わたし、英雄じゃなくていい」
「特別な日なんていらない」
「ただ、明日起きて、おはようって言うの」
「みんなでご飯食べて」
「冒険して」
「今日も楽しかったねって言って」
「眠るの」
サラは膝を抱え直した。
「それだけ」
「それだけでいいのになあ」
喉の奥を押しつぶすように、言葉を続けた。
「十年後」
「また皆で、流れ星見たい」
そこで――声が途切れた。
サラは、堪えようとした。
いつもみたいに、睨んで、強がって、終わらせようとした。
でも、無理だった。
唇が震えた。
目が潤んで、溜まって、こぼれそうになる。
「……剛くん」
息が詰まる。
「わたし……死にたくない」
「死にたくないよ……」
その瞬間、頬を伝って涙が落ちた。
止まらない。
サラは顔を袖で拭った。
乱暴に。何度も。
怒った顔のまま、泣きながら拭く。
「……見てないでよ」
サラの声が震える。
「最悪……ほんと最悪……」
俺は短く言った。
「死なせねぇよ」
サラが睨む。
泣きながら睨む。
「……根拠は」
「ねぇ」
「……ばか」
俺は回復薬を握り直して、視線を逸らした。
湖面に映る星が、静かに揺れている。
「薬、塗るぞ」
サラは鼻をすすって、悔しそうに頷いた。
「……うん」
風が吹いた。
湖の水面が揺れ、星の光が散らばっていく。
明日、魔人と戦う。
だが、今夜だけは。
この静けさの中で、傷を癒す。
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