102.本物の勇者
ドゴッ!
「ぶぉっ!」
ドスッ!
「お゛っ!」
夢中で拳を叩きつけていた。
顔面。
腹。
脇腹。
また顔面。
考えなんかなかった。
ただ、殴った。
なんで。
なんでこんなに弱ぇんだよ。
ふざけんなよ。
レベル999だ?
最強勇者だ?
こんなもんか。
こんなもんなのかよ。
こんな奴に
こんな奴に——
サラが殺された。
フィオラが殺された。
レオンハルトが殺された。
こんな、クソみてぇに弱い奴に。
「くそおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」
俺は叫んだ。
拳を振り上げた。
神崎の顔が、もう原型を留めていなかった。
腫れ上がり、裂け、血まみれで。
それでも、まだ息をしている。
ヒュー……ヒュー……
かすかな呼吸音。
殺せる。
今、この拳を振り下ろせば。
こいつの頭蓋骨を砕いて、脳みそをぶちまけて、終わらせられる。
拳を振り下ろそうとした。
その瞬間——
あまりにも弱すぎて。
あまりにも惨めすぎて。
俺は、少しだけ冷静になれた。
「ざけんなッ!!!!」
拳を振り抜いた。
だが——顔面ではなく、わずかに横を。
ドゴンッ!!
地面が砕けた。
神崎の顔の横に、拳がめり込んでいた。
数センチ、ずれていた。
多分——もう殺すところだった。
ヒュー……ヒュー……
顔面の原型をとどめていない肉塊が、かすかに口で呼吸していた。
ピクリとも動かない。
意識はないようだった。
俺は立ち上がった。
周りを見た。
なんだこれ。
金網で囲まれている。
八角形の檻。
まるで——俺の世界の闘技場みたいだ。
金網の向こうに、人が集まっていた。
ジャックが叫んでいる。
「剛くん入れて!! 俺が殺す!!」
泣いていた。
涙を流しながら、金網を掴んで揺すっていた。
その隣に、見覚えのある顔。
あれは……アルヴィン?
武闘会で戦った、大魔導士。
「殺せ!! 拳王よ殺してくれ!!」
叫んでいた。
知らない奴らもいる。
騎士たちが、大勢囲んでいた。
ボロボロの鎧。
血まみれの顔。
それでも、全員が金網の中を見つめていた。
殺せ。
殺せ。
殺してくれ。
その声が、視線が、俺に向けられていた。
いいか。
もういいよな。
こいつを殺しても、誰も文句は言わねぇ。
むしろ、望まれている。
サラ。
フィオラ。
レオンハルト。
お前らの仇は——俺が取る。
拳を構えた。
振り上げた。
その時——
「ダメ!!!!」
リリィの声が響いた。
金網の向こう。
リリィが立っていた。
騎士に肩を貸している。
淡い金髪に、青い瞳。
白銀の鎧が血に染まっている。
「剛くんダメ!」
リリィが叫んだ。
「みんなで裁かないと、納得できない人がたくさんいる!」
裁く。
「こんなとこで楽にさせちゃダメ!!」
楽に。
確かに——殺したら、それで終わりだ。
こいつは、苦しまずに済む。
「いいや殺してくれ!」
アルヴィンが叫んだ。
「また覚醒して逃げられたらどうするんだ!」
その言葉に、周囲がざわめいた。
確かに、その可能性はあるかもと。
今は動けなくても、また——
「逃さない」
声が聞こえた。
静かだが、確かな声。
ジャックだった。
泣きながら、言った。
「剛くんは勇者だから——逃さない」
勇者。
その言葉が、空気を変えた。
ざわめきが、大きくなった。
「勇者……?」
「拳王が……勇者様……?」
アルヴィンが、目を見開いた。
「拳王……勇者様であられたか」
リリィに支えられてる騎士が、口を開いた。
「勇者様」
声は弱々しかったが、芯があった。
「そいつは、何万人もの罪なき民を殺した大罪人です」
何万人。
その数字が、重く響いた。
「どうか——国の皆で裁く権利をいただけないでしょうか」
裁く権利。
俺は、拳を下ろした。
神崎を——いや、この肉塊を見下ろした。
殺したい。
今すぐ殺したい。
こいつの首を引きちぎって、内臓をぶちまけて、骨を砕いて、二度と立ち上がれないようにしてやりたい。
だが——
リリィの言葉が、頭に残っていた。
『みんなで裁かないと、納得できない人がたくさんいる』
そうだ。
こいつに殺されたのは、サラやフィオラだけじゃない。
何万人もの——誰かの家族が、友人が、恋人が殺された。
その全員が、こいつを憎んでいる。
俺一人で殺したら——その全員の怒りは、どこに向かう。
「……あぁ」
俺は言った。
「わかったよ」
拳を、完全に下ろした。
ふと、気づいた。
てか——こいつ神崎じゃねぇのか?
顔が変わった。
誰だ。
最初の一発を入れる前。
ペラペラ喋ってる時。
神崎の顔が別人に変わった。
地味な、冴えない顔。
声も、性格も神崎だった。
でも、顔が違う。
ヤバい奴が化けてんのか。
それとも——
わからない。
今は、わからない。
「勇者様」
リリィに支えられてる騎士が言った。
「申し訳ありませんが——この者の連行をお願いします」
「ああ」
俺は頷いた。
その瞬間——金網が、透明になって消えた。
跡形もなく。
最初からなかったかのように。
なんだったんだ。
誰が出した。
俺か?
わからない。
わからないが——
殺し損ねちまった。
肉塊を見下ろした。
まだ息をしている。
かすかに、胸が上下している。
殴り足りねぇ。
全然殴り足りねぇよ。
こんなんじゃ、全然足りねぇ。
サラの分も。
フィオラの分も。
レオンハルトの分も。
全然——足りねぇんだよ……。
俺は拳を握りしめた。
血が滴っていた。
こいつの血か。
俺の血か。
わからなかった。
リリィが、ゆっくりと近づいてきた。
騎士を支えながら。
「剛くん」
リリィが、俺の顔を見上げた。
泣いていた。
「おかえり」
その言葉が——不思議と、胸に沁みた。
「……ああ」
俺は言った。
「ただいま」
空を見上げた。
赤い光が、王都を照らしていた。
瓦礫の山を。
血に染まった地面を。
倒れた騎士たちを。
全てを——赤く、染めていた。
失ったものは、戻らない。
サラ。
フィオラ。
レオンハルト。
お前ら——見てたか。
俺は、間に合わなかった。
間に合わなかったんだよ。
ごめんな。
本当に——ごめんな。
拳を、握りしめた。
爪が、掌に食い込んだ。
血が、また滴った。
俺は——泣かなかった。
泣けなかった。




