お兄ちゃん大好企画 お兄ちゃんと朱音さん
お兄ちゃん大好企画への参加小説です。
「――どうした?」
花の金曜日、時間は深夜十二時の少し手前。あたしのかけた電話に出たのは彼氏……ではなくて、実の兄だ。お兄ちゃんはこんな時間に妹からかかってきた電話に怪訝そうな声で出たが、その声は寝ていた声じゃないことにほっと安心する。
しかし、今日は金曜日。二年ほど前に彼女が出来た兄は彼女と一緒にいるかもと期待が薄かったのだが、この様子であればそうでなかったのかもしれない。
「あ!電話に出た!お兄ちゃん、今日はデートじゃないの?」
「朱音さんなら実家で法事だから、今日から帰ってるよ」
なるほど。朱音さんは実家に帰っているらしい。ということは、今日の作戦は成功する道しか見えないというわけである。
朱音さんはお兄ちゃんの同じ職場の先輩でお兄ちゃんの彼女だ。あたしも背が大きい方なのだけれど、朱音さんはあたしよりも背が大きい。その身長ですっと背筋を伸ばしてヒールで歩く姿はキャリアウーマンって感じで格好良い女の人だ。静かなタイプのお兄ちゃんとは正反対の明るいお姉さんで、だからこそお兄ちゃんと合うのかもしれない。結構長く続いてるっていうのは、多分そういうことなんだろう。
「そうなんだ。じゃあ、あのさぁ。終電逃しちゃったの!お兄ちゃんの最寄り駅までしか来れなかったから泊めて!」
「美咲……」
電話越しにお兄ちゃんのため息が聞こえる。だけど、そこへあたしは押しの一手を使う。
「もうお母さんにはお兄ちゃんのとこ泊まるって言っちゃったもん。お願い!」
「ったく。仕方ないな。お前はまだ二十歳なんだから――」
「ごめん、分かった!じゃあ、今から部屋に行くから!」
少し年の離れた兄であるお兄ちゃんは、ただの兄妹というよりも少しだけ父親みたいだ。放って置けば、このまま説教を始めるに違いない。あたしは慌ててお兄ちゃんの言葉を遮るように言い放つ。
「迎えに行くから駅で待ってろ」
「はぁい。お兄ちゃん、大好き!」
「お前は調子が良いんだから」
お兄ちゃんは呆れたようにそう言って、だけど小さく笑って電話を切った。
***
「――美咲」
「お兄ちゃん、ありがと!」
駅で待つこと少し、そこに現れたのはジーンズにケーブル編みのニットをさらりと着たお兄ちゃんである。背が高くてスタイルも良くて決して素材が悪いわけじゃないのに服には興味がなくて、いつも適当なものばかり着ていて、なんだか野暮ったい印象が強かった。でも、朱音さんと付き合い始めてからは服装にも気を付けるようになって、今では自慢の兄である。きっと前までのお兄ちゃんだったら、今もスウェットで現れたに違いない。
「いっつもこんな時間まで遊んでるんじゃないだろうな?」
「たまたまだよ。お兄ちゃんに電話したの初めてでしょ」
「まぁ、そうだな」
「なら、そういうこと!お邪魔しまーす」
あたしは話を打ち切るように言い切って話を終わらせて、さっさと部屋へ体を押し込んだ。すっかり寒くなって、朝や夜はコートを羽織らなければ寒い季節である。お兄ちゃんがさっきまで部屋にいたおかげで、部屋の中は暖まったままだ。
「なんか飲むか?」
「うーん、お茶ある?」
「ほうじ茶のティーパックならあるけど」
「それが良いな」
「分かった」
お兄ちゃんはそう言うと、お湯を沸かしながらマグカップを用意している。独身男性の一人暮らし、どうやら湯飲みはないようだ。むしろ、コーヒー党のお兄ちゃんの部屋にほうじ茶があったことに驚きである。これも朱音さんの影響なのかなぁ。
「お兄ちゃんと朱音さんってもうどのくらい付き合ってるんだっけ?」
「二年と少し」
お兄ちゃんは完結に答えながらあたしの近くにあったテーブルにお茶の入った赤のマグカップを置いた。淹れたてのそれはほかほかと湯気が立っていて、それを両手で持って冷え切った手先を温める。
「もう結構長いんだねー。結婚するの?」
「あー……実は今度挨拶に行く」
「え!挨拶って、『お嬢さんをください!』ってやつ?」
「なんだよ、それ。だけど、まぁ。そういうやつ」
何気ない会話のつもりだった。大人のカップルが二年も付き合っていれば、結婚するのかなーなんて何の気なしに聞いただけだったのに、あたしの質問のタイミングはばっちりだったらしい。
お兄ちゃんは照れた顔を見られるのが嫌だったのか、顔を背けてテレビを点けた。深夜のバラエティが賑やかに流れているけれど、それの内容は全然耳に入って来ない。だって、結婚するのだ。このお兄ちゃんが。
「そっかぁ。朱音さん、お姉ちゃんになるんだ。……ねぇ、お姉ちゃんって呼んでも良いかなぁ?」
「嫌がらないとは思うけど」
「だよね。ずっとお姉ちゃんが欲しかったんだよね。お姉ちゃん、かぁ」
「実際、籍を入れるのはまだ先だけどな」
朱音さんにお姉ちゃんと呼びかけることを想像していると、横でお兄ちゃんがおかしそうに笑った。そして、まだコーヒーの残っているカップをテーブルに置いて立ち上がる。
「風呂にお湯溜める?」
「んー、シャワーで良いよ。借りるね」
「これ、着れば」
「ありがと」
お兄ちゃんにスウェットを借りて、来る途中のコンビニで買った基礎化粧品のお泊りセットを持ってバスルームに向かう。お茶を飲んで少し温まったおかげで、シャワーでもそんなに辛くない。それでも短時間で済ませると、大きなスウェットを着てバスルームを出た。
「ベッド使って良いよ」
「えー、悪いよ」
「美咲が風邪引いたら、俺が母さんに怒られるからな」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
あたしはあっさりと引いて、お兄ちゃんのベッドに潜り込む。お兄ちゃんはソファで寝るらしく、ゴロりとソファに横になってこちらを見た。
「電気消すぞ」
「うん」
だけど、電気は豆電球だけが点いたまま。お兄ちゃんは真っ暗じゃないと眠れないはずなのに、完全に暗くなると眠れないあたしの癖を覚えていたのだろう。一緒に寝たのなんて、あたしが子供だったころの十年以上は前の話なのに。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「おめでとう」
「ありがとう」
今まではあたしが思い立ったときにお兄ちゃんに甘えることができたけれど、お兄ちゃんはもう別の誰かのものなんだ。新しいお姉ちゃんができるのはとっても嬉しい。それなのに不思議と少し寂しい気がしたのを見ないフリをして、目を瞑って眠気に体を委ねた。