第3話 微熱
「は~、仕事疲れた……」
「わっ」
帰ってくるなり、蒼生くんは私の膝に倒れ込んだ。
ソファに座っていた私は、突然の推しの接近に驚く。
「母さん、少しだけ……」
私の膝を枕にして、そのまま眠ってしまった。
猫みたいだなと思いながら、私は彼の頭を撫でる。
「蒼生は、春乃さんの前だと甘えん坊だね」
正嗣さんはおかしそうに笑っていた。
しかし、そのまま寝かせてしまったのがよくなかったかもしれない。
翌日、蒼生くんは顔が赤く、熱があることが分かった。
「仕事……行かなきゃ」
「ダメです。こんな状態で行ってもいい仕事はできないでしょ」
彼のその日の予定をすべてキャンセルさせ、私も仕事を休むことにする。
正嗣さんはパン屋さんの営業で動けない。
「ごめんね、春乃さん。蒼生のこと、任せてもいいかな」
「もちろんです。母としてきっちりこなしてみせます!」
正嗣さんは申し訳なさそうにしていたが、彼は何も悪くない。
私は胸を張って看病にいそしむと決めた。
私が冷却シートを額に貼ると、蒼生くんは気持ちよさそうに目を細める。
「なにか食べたいものある?」
「春乃さん……」
「よし、おかゆとゼリーね」
蒼生くんの世迷い言をスルーして、キッチンに立った。
炊飯器でおかゆを炊いて、ゼリーを容器にあける。
みかん入りのゼリーを持っていくと、彼は喜んでいた。
「懐かしいな……風邪ひいたときに、母さんがよく食べさせてくれた……」
その言葉に、少しだけ胸が痛む。
――蒼生くんの実のお母さんは、彼が幼いときに急逝した。
交通事故だったらしい。
蒼生くんが眠り込んだ後、私は独りごちる。
「……私はもう『ただのファン』でも、『ただの母親代わり』でもいられないんだろうな」
それが、ひどく寂しい。
おかゆを片付けようかと立ち上がると、不意に手首を握られた。
「えっ、わっ」
強い力ではなかったけれど、不意を突かれてベッドの中に引きずり込まれる。
「ちょ、蒼生くん!?」
「行かないで……春乃さん……」
熱い吐息。
推しのご尊顔をゼロ距離で見てしまった。
美の暴力……!
心臓の鼓動が頭の中でバクバクと、うるさく鳴り響いている。
熱で潤んだ目で訴えられてしまっては、どうすることもできず。
彼が本当に寝入るまで、時間を要したのだった。
翌日、熱が下がり、いつも通り仕事のために駅に向かう彼に尋ねる。
「看病中のこと、覚えてる?」
「覚えてない」
「ほんとに?」
「……ゼリー、美味しかった」
つむじにキスされて、「蒼生くん、外ではやめようね」と慌てて周囲を確かめた。
「外じゃなければいいんだ。言質取ったから」
「しまった、言葉の綾……!」
一生の不覚。ぐぬぬ……。
しかし、推しにそんなことを言われて、悔しいけれど多幸感があった。
〈続く〉




