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推しの継母になりましたが、私はこの恋に気づかないフリをします  作者: 永久保セツナ


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第2話 タオルで隔てられた世界

 入籍を済ませた私は、正嗣さん、蒼生くんとの3人の生活をスタートさせた。

 正嗣さんは、毎朝4時にはパンを焼くため、とても早起きだ。

 ついでに彼が朝食を用意してくれる。


 私が起きると、まだ暗いキッチンで、正嗣さんが朝食を作っていた。


「いい匂い……」


 正嗣さんの作る焼きたてのパンと、コーヒーの匂いが鼻をくすぐる。


「春乃さんはミルクと砂糖たっぷり、だったよね」


 マグカップを渡されて飲むと、温かくて甘い。

 2人で一緒にコーヒーを飲みながら、朝日がのぼるのを眺めた。


 私はふと、正嗣さんと交際を始めたときのことを思い出す。

 仕事で大失敗して落ち込んだ夜。

 彼は焼きたてのパンを持って、私を公園まで迎えに来てくれた。

 私はべそをかきながら、パンを頬張っていたっけ。

 この人の温かさが私の孤独を溶かしてくれる。

 それが結婚の決め手になった。


「蒼生が起きる前に」


 そう言って、正嗣さんが額に優しくキスをしてくれる。

 夫婦だけの時間はとても穏やかだ。

 彼の焼くパンの匂いは、この家を優しく包み込むようだった。


 蒼生くんは6時頃に起き出してきた。

 3人は合流すると、そのまま朝ごはんにする。


「毎日、正嗣さんのパンを食べられる幸せ……」


「ふふ。お昼の分のパンも用意しておいたから、持っていってね」


 朗らかに笑う正嗣さんは、天使のように優しい。

 それにひきかえ、隣に座っている小悪魔は……。


「ひゃんっ!?」


 私は太ももに生暖かい感触を覚えた。

 思わず、座ったまま飛び上がる。


「だ、大丈夫?」


「大丈夫ですすみません! ちょっと……ね! 美味しすぎてびっくりしたっていうか!」


「そ、そうなんだ……?」


 目をパチクリさせている正嗣さん。

 それを尻目に、蒼生くんは手短に食事を済ませていた。


「早く行こ、母さん。遅れちゃう」


「今行きます!」


 私は自分の声に怒気を込めたつもり。

 なのに、蒼生くんは楽しそうに笑っている。

 ……憎たらしい。推しだけど!


「あのね、朝から何考えてるの!?」


 出勤のため、外に飛び出した私。

 駅まで歩きながら蒼生くんの説教を試みた。

 彼といえば、「え? 何のこと?」とお得意の演技力でとぼけている。


「その……私の脚……撫で……」


 よく考えたら、外でする話でもない……。

 自然と私の声は小さくすぼんでいった。

 蒼生くんは「え? 聞こえない。なに?」と更に煽る。

 私はぐぬぬ……と彼を睨みつけた。

 彼は愉快そうに口の端を吊り上げていた。


「上目遣い、可愛い」


「違いますっ!」


 身長差があるんだから仕方ないでしょ!

 185cmはあろうかという蒼生くん。

 それを見上げる私は、せいぜい159cmくらいだ。

 彼は随分と機嫌が良さそう。

 私の頭をぽんぽんと撫でている。


「お母さんの頭を撫でないっ!」


 悔しい。こんな推しに。

 ファンとしては垂涎のサービスである。

 が、母としては締まらない。

 そんな私の耳元に、彼は唇を近づけた。


「……で? 太もも撫でられて、反応しちゃったんだ?」


「っ……!!」


 カッと顔が熱くなる。

 おそらく耳まで赤くなっているのだろう。

 蒼生くんは「かわい」と呟いた。

 そのまま、ちゅ、と耳にキスする。


「やめなさい! もーっ!」


 私は笑っている蒼生くんをぽかぽか叩くのだった。


 ――私は彼に何だと思われているのだろう……。

 職場でキーボードを打ちながら考えるのは蒼生くんのこと。


 正嗣さんと結婚して生活をともにすることになった。

 その日から頭の中が蒼生くんで埋め尽くされている。


 いや、以前から推しである彼のことで心を埋めてはいた。

 しかし、まさか毎日推しを間近に感じるとは思わず……。


 ともかく、今の私は正嗣さんの妻である。

 蒼生くんとは、母親と息子として接しなければいけない。


「私は、お母さんなんだから……!」


 家に帰ったら、きちんと話し合いをしよう。

 そして、母親だと認めてもらおう。

 お昼休み、私はそう決意しながら、パンをかじった。


 残業があり、家に辿り着いたのは21時を回った頃。

 正嗣さんは店舗の方で明日のパンの仕込みをしている。

 彼が用意してくれた夕食を噛み締めた。

 蒼生くんはお風呂に入っているようだ。


 私は茶碗を持ちながら、片手でリモコンを操作する。

 適当にチャンネルを回した。

 すると、バラエティ番組に蒼生くんが出ている。

 思わず凝視した。

 テレビの中の彼は、私に対するみたいにニヤリと意地悪に笑ったりしない。

 爽やかな好青年。

 真面目で明るくてハキハキした、フレッシュな若手俳優。

 正嗣さんと結婚する前、私が蒼生くんに抱いていたイメージのままだった。


 ――つまり、私が見ていた蒼生くんって、彼の演技だったんだ。

 ぼんやりと思っていると、居間に本人が入ってきた。

 上半身に何も身に着けないまま、タオルで髪を拭いている。

 私は思わずぎょっとした。

 3人で生活するようになって多少慣れるかと思っていた。

 が、そんなことはなかった。


「……ふーん」


 蒼生くんは、私とテレビに映る己を見比べている。

 なにが「ふーん」なんだろう。

 戸惑っていると、彼は私の方に歩み寄ってきた。


「本人が目の前にいるのに、春乃さんはテレビの方に夢中?」


「お母さんと呼びなさい」


 そうだ、昼間に、蒼生くんと話し合って母親だと認めてもらおうと考えていたんだった。

 私が改めて向き合うと、彼はそれに構わず、両手で私の頬を包んだ。


「っ? なに?」


「春乃さんは」


 蒼生くんの声は、少し震えている気がする。

 それに驚いて、彼を見上げた。

 彼の頭に被っていたタオルが、ベールのように私と彼を包んでいる。

 外から遮断された空間。

 私は彼から目を逸らせない。


「……春乃さんは、目の前の俺と、テレビの俺。どっちのほうが好き?」


 そりゃ、意地悪する彼よりも、テレビの中の演技してる彼のほうがお行儀はいい。

 でも、ベールの中の寂しそうな目をした蒼生くんに、そんなことは言えなかった。


「蒼生くん……?」


 疑問を発した私に、彼が顔を近づけ――。

 額に柔らかいものを感じたあと、タオルのベールが遠ざかる。


「ドライヤーかけるの忘れてた」


 そう言い残して、蒼生くんはタオルで頭の水気を拭き取りながら、洗面所に戻っていった。


「……なんなの?」


 私はキスされた額を手で触る。

 風邪でも引いたのかと思うくらい熱かった。


〈続く〉

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