森の民
――とにかく、落としたいのはコイツ。
杏奈は、改めてレンを一瞥した。
容姿も良い。話題性もある。実際に話してみれば、予想していた以上に変わっていて面白い。
自分の近くに置いておきたい。
ならば。
――先に仕掛けるのは、こっち。
杏奈が先に視線を向けたのは、レンではなくソウシだった。
「ソウくん♡」
「ふぇっ!!」
杏奈はソウシの前まで歩み寄ると、その手を両手で包むように握った。
「あ、あわわわ! は、はじめまして!!」
盛大に声が裏返る。
「はじめましてだねぇ♡ でも、ずっと初めのころから見てくれてるよね。いつもほんとありがとう〜♡」
「はっ、はい……」
握られている手は、透き通るように白く、柔らかかった。
現実感がない。
画面の向こうにいたはずの人物が、今、自分の名前を呼び、自分の手を握っている。
「ねえ、おぼえてるかな? あーにゃんが撮影会行って叩かれた時に、ソウくんが励ましてくれた時のコメント」
「……え?」
それは、あーにゃんがまだ今ほど有名ではなかった頃のことだった。
ある撮影会でカメラマン同士が揉め、その件についてあーにゃん側にも責任があるのではないかと批判が集まった。
SNSだけではない。配信のコメント欄まで荒れた。
「あの時、ソウくんが送ってくれたコメント、あーにゃんスクショして今でも宝物にしてるの」
「…………」
ソウシの頭に、当時自分が書き込んだ言葉が蘇る。
『外の世界で何があっても、俺たち森の民は何も変わらずあーにゃんのことを信じてるし、いつでもあーにゃんを待ってるよ』
今になって思い返せば、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
ソウシは真っ赤になったまま、何も言えなかった。
「あれから、視聴者さんたちのこと『森の民』のみなさん。って呼ぶようになったんだよね♡」
「えっ……」
初めて知った。
今では当然のように使われている、あーにゃんのファンネーム
『森の民』
その始まりに、自分の言葉があった。
眼鏡の奥が、じわりと滲んだ。
これまで自分は、あーにゃんから何度も励まされ、救われてきたと思っていた。
けれど、自分の言葉もまた、彼女へ届いていたのだ。
「モデレーターもいつもありがとう♡ 実は、今日お伝えしたいお仕事の話にそれも関係あったの。だから本当にソウくんが来てくれて良かった」
そう言いながら、杏奈は上目遣いでレンを見た。
その視線に気づき、レンがわずかに眉を動かす。
「……仕事の話か」
「……ソウくん、最近コメント処理してたら、きっと気づいてるよね」
先ほどまでの甘い声から、少しだけ調子が変わる。
真面目な声を向けられ、まだまともに働かない頭をソウシは必死に回転させた。
「………あ、『nezumi』?」
杏奈は静かに頷いた。
それから配信スペースの隣にある机へ向かい、分厚い紙の束を取り出して二人へ見せる。
「なんだ、これは……」
そこに印刷されていたのは、SNSのタイムラインや配信のコメント欄へ書き込まれた、大量の誹謗中傷だった。
『豊胸ビッチ』
『パパの金で整形クズ女』
『プロテ飛び出てるw』
『P活P活P活P活P活』
『売女あーにゃん』
『安西杏奈は売春を斡旋しています』
『胸放り出して西麻布の恥』
『◯◯西麻布から出ていけ』
レンはしばらく紙面を見つめた。
ソウシも緊張した顔で、その反応を窺う。
「これは……」
「……うん」
「まったく意味がわからん」
ソウシは思わずずっこけた。
しかし同時に、こんな酷い言葉まで翻訳魔法が丁寧に訳してくれないことを、この時ばかりはありがたいと思った。
「一言で言えば、下品な悪口をずっと書き込んで嫌がらせしてるユーザーがいるんだ。それを放送に流れないようにチェックして消すのが、俺のやってるモデレーターって仕事」
「なるほど」
レンが頷く。
「最近は……こうやってプリントしたものがポストに投函されるようになって……」
「……! 住所特定されてるって事?」
杏奈は小さく頷いた。
「いま、警察に届けだしたり法的措置を取ろうと動いているところなの……でも時間がかかるから……それで護衛をお願いしたくて……」
「なるほどな……」
レンの表情が変わった。
単なるネット上の悪口ではない。
自宅を特定され、実際に何者かが近くまで来ている。
それならば護衛を置く理由は十分にある。
ソウシもレンを見る。
「これは……かなりレンに打ってつけなんじゃないか?」
「ホント? ソウくんが言ってくれるなら安心だよ♡」
「…………」
ようやく持ち直しかけていたソウシの思考が、再び停止した。
杏奈はその様子にふんわりと笑う。
そして今度は、レンへ向き直った。
「それでね、護衛をするにあたってちょっと確認させて欲しいことがあって」
「なんだ」
「池袋でバズってた時の衣装、あるでしょう? あれ、見せてほしいなーって♡」
杏奈はにっこりと笑った。
ここまで、すべて思い描いた通りに進んでいた。
◇
「い、衣装……」
これはまずいことになった。
ソウシはそう思った。
あのいかつい鎧や装備一式が、今日の荷物の中に入っているわけがない。
そもそもレンは、あれだけの武具を普段から持ち歩いているようには見えない。
もしここで何食わぬ顔をして収納魔法を使い、鎧一式を取り出したら――。
明らかに怪しい。
何とかごまかさなくては。
ソウシはレンへ必死に目配せした。
「装備品の確認か、構わないが」
「…………」
ソウシはまたずっこけた。
そもそも、こういう時にレンへ目だけで意図が伝わったことなど一度もない。
伝わると思った自分が甘かった。
「ホント? 良かった♡ あ、ここで着替える? 着替えたら向こうのスタジオで待ってるから来てね♡」
「え?」
あーにゃんは拍子抜けするほどあっさりとそう言い、部屋を出ていった。
閉じた扉を、ソウシは呆然と見つめる。
自分の知るあーにゃんは、少し天然なところがある。
あるいはコスプレイヤー同士にしか分からない、衣装や荷物の収納事情でもあるのかもしれない。
とにかく助かった。
杏奈がいなくなるや否や、レンは何事もなかったように収納魔法を立ち上げた。
そして鎧や武具を次々と取り出し、床へ並べていく。
「あのさあ、レン。今のちょっと危なかったぞ」
「何がだ」
「あーにゃんはこんな魔法が使えるなんて知らないんだから、この鎧どこから出てきたんだってなるじゃんか」
レンの手がぴたりと止まった。
しばし考える。
「……これを持っていたことにすれば良いか」
次の瞬間、収納魔法の中から見覚えのあるキャリーケースが現れた。
「……それ」
「以前、貴殿から預かったものだ」
「……セーフだなセーフ」
少なくとも杏奈が戻ってきた時、そこにキャリーケースが置いてあれば、鎧をどうやって持ち込んだのか説明はつく。
そのキャリーケース自体を収納魔法から取り出したことについては、もう考えないことにした。
◇
レンはそのまま、慣れた手つきで着替えを始める。
鎧下を身につけ、その上から上着を羽織る。
さらに鎧を装着し、武具を一つずつ整えていく。
動作に迷いはない。
すべて身体が覚えている。
やがて最後の装備を確認し、レンは姿勢を正した。
「……よし」
「………」
ソウシは黙ってレンを見つめた。
久しぶりに見た。
だが、これはやっぱり何度見てもズルい。
化粧も加工も修正も必要としない端正な顔立ちはもちろんだが、黒と鈍い金色を基調とした装備は、重々しさも余計なごちゃつきもない。
細身ですらりとしたレンの体躯を、そのまま引き立てている。
まるでゲームのCGやイラストの中から、そのまま抜け出してきたような――。
そこでソウシは思い直した。
――そうだった。
実際、異世界から抜け出してきたんだ。こいつは。
普段は六畳一間のアパートで飯を作り、電車で迷い、スマホと格闘しているせいで忘れそうになる。
だが、この姿こそが本来のレンなのだ。
そして
この姿で。
あーにゃんと並ぶ。
「…………」
ソウシの頭の中に、森のエルフ姿のあーにゃんと戦装束姿のレンが並ぶ光景が浮かんだ。
――推しと推し……じゃないや。
――推しとコイツが並ぶ!?
何かが弾けた。
画面の中でしか存在しなかった理想のエルフ。
本当に異世界から来た冒険者。
その二人が、一つの画面に収まる。
――………俺も写真撮らせてもらえるかな……。
ソウシは鼻血が出そうだった。




