神が来いと言っている
表参道駅から歩くことしばらく。
レンはスマートフォンの地図と目の前の建物を見比べ、足を止めた。
「どうやら、ここのようだ」
西麻布の一角に建つ高級マンションだった。
ガラスと淡い色のタイルを使った外壁は洗練され、エントランス周辺にもソウシの住む築古アパートとは比べものにならない高級感が漂っている。
ソウシはぽかんと口を開け、建物を見上げた。
「ここに……ここに神が……」
「ソウシ……本当にここまでで良いのか?」
「いいって! 俺は絶対入らないからな!」
きっぱりと言い切ったソウシを、レンはしばらくじっと見つめた。
それからポケットからスマートフォンを取り出し、その画面をソウシへ向ける。
「もう言ってしまったが」
「……何を?」
表示されていたのは、あーにゃんとのDMだった。
『すまない、ここまで案内してくれた連れが居るのだが、一緒に入っても構わないだろうか』
その下には、すでに返信がある。
『いいよー♡ 良ければ一緒に来てください♡』
「…………」
ソウシはその場で膝から崩れ落ちた。
「な、なんで……なんで……」
肩を震わせ、しばらくまともな言葉にならない。
やがて我に返ったかと思うと、勢いよく立ち上がった。
「か、帰る! 俺帰るから!」
そのまま立ち去ろうとしたソウシの服を、レンが後ろから掴んだ。
「神が来いと言っている」
「こんな時だけ正しい使い方するな!!」
これまで「推し」を主君だの神だのと、どこか微妙に違う意味で解釈していた男が、こんな時に限って妙に的確である。
ソウシは頭を抱えた。
「いや無理無理、本当に無理だから……」
「ソウシ」
「なに」
「到着後、何かしろとDMが来ているが、俺には意味が全く理解できない」
「え?」
レンからスマートフォンを受け取り、ソウシは届いたメッセージを見る。
『着いたらエントランスで、1205を呼び出してください♡ エントランスまでスタッフがお迎えに行きます。』
「なんだ……スタッフさんが居るのか……」
少しだけ表情が戻った。
「なら、エントランスでスタッフさんにレンを引き渡すまでなら居るよ」
「そうしてくれると助かる」
あーにゃん本人が直接出てくるわけではない。
仕事のスタッフへレンを引き渡すだけなら、まだ何とかなる。
そう自分へ言い聞かせながら、ソウシはレンとともにエントランスへ入った。
操作盤の前に立ち、部屋番号を入力する。
「今日お約束があって伺った者です」
先ほどマンション前で膝から崩れ落ちていた人物とは思えないほど、落ち着いた対応だった。
『お迎えに降りますので、ロビーでおかけになってお待ち下さいね』
声とともにエントランスの扉が開く。
その向こうには、ホテルのロビーを思わせる広々とした空間が広がっていた。
「おぉ……高級感……」
ソウシが辺りを見回す。
「今話したのは、貴殿の主君ではないのか?」
「ああ、今のはマネージャーさんだね」
「侍女のようなものか」
「うーん……近いけど、仕事の管理とかをやってる感じかな」
「なるほど」
二人はロビーで待った。
ほどなくして、一人の女性がこちらへ歩いてくる。
あーにゃんの活動を支える女性マネージャーだった。
簡単に挨拶を済ませると、マネージャーは気さくに笑った。
「今日はね、ちょうど昼から撮影してるところなんですよ。いつもの衣装でお会いできると思います」
「…………」
ソウシの身体が、目に見えて縮こまった。
いつもの衣装。
つまり――森のエルフ。
画面越しに二年間見続けてきた「神」が、その姿のまま、この建物の上にいる。
「じゃ、じゃあ俺はこれで……」
ここまで来れば役目は終わった。
ソウシがそそくさと立ち去ろうとする。
その服を、またレンが掴んだ。
「ソウシ、待て。またとない機会だ」
「無理だって!」
その名前を聞き、マネージャーが驚いたように振り返った。
「あれ? 今ソウシくんって言いました?」
「……え」
「もしかして、モデレーターやってくれてるソウくん?」
ば れ た。
ソウシの顔が一瞬で真っ赤になる。
「はい……でも、その……きょ、今日は彼をここに連れてきただけなので、僕はこれで……」
「えー!? どうして? せっかくだから会っていってください! あーにゃんも喜びます!」
――あーにゃんも喜びます。
その一言が、ソウシへとどめを刺した。
少し離れたところで、レンが笑いを噛み殺している。
もう駄目だ。
死んだ。
「あーにゃんも喜びます」とまで言われて、どうして断れるというのか。
「ハイ……ジャア……イキマス……」
「良かった! じゃ、行きましょう!」
こうして、マンション前までレンを送り届けたら帰るはずだったソウシは、あーにゃん本人のいる部屋へ向かうことになった。
◇
レンとソウシは、そのままマネージャーに案内され、エレベーターへ乗り込んだ。
上昇する箱の中で、レンは隣に立つソウシを横目で見る。
完全に魂の抜けた顔をしていた。
「それにしても、ソウくんはかなり初期からの『森の民』ですよね」
「……! はっ、はい。俺が知った時はまだフォロワー100人くらいしか居なくて」
「モデさんの中でも、ソウくんはすごく良くやってくれるって、あーにゃんも頼りにしてるんですよ」
「…………ソ、ソウデスカ……」
感無量だった。
画面の向こうにいるあーにゃんを、ただ応援できればそれでいいと思っていた。
自分が認知されなくても構わない。何か見返りが欲しくて続けてきたわけでもない。
それでも、自分がこれまでしてきたことをあーにゃん本人が知っていて、「頼りにしている」と言ってくれている。
眼鏡の奥がじわりと滲んだ。
やがてエレベーターが到着し、マネージャーの先導で部屋へ入る。
玄関へ足を踏み入れた瞬間、ソウシは思った。
――玄関が俺の家より広い……。
いくつかある部屋のうち、一室へ案内される。
「今、あーにゃん来ますので少しお待ち下さいね」
マネージャーがそう告げ、ソウシは恐る恐る周囲を見渡した。
グリーンを基調に森林が描かれたスクリーン。
その周囲に置かれた装飾品。
杖。ランプ。見覚えのある小物。
リングライトとカメラ。
何度も何度も、画面越しに見てきたものだった。
「ここ………配信してる部屋だあああああ!!!」
大きくのけぞったソウシは、そのまま顔を覆い、身体をくの字に折り曲げた。
「もう無理……」
「落ち着けソウシ。結界はいるか?」
「まだやんのそれ!? いらないよ!」
やがて廊下の向こうから、人の話し声が聞こえてきた。
こちらへ近づいてくる足音。
レンが扉へ目を向ける。
「来たぞ」
「無理無理無理無理」
扉が開いた。
その瞬間、ソウシの背筋がバネのようにびーんと伸びる。
そこに立っていたのは、まさしく画面の向こう側にいたはずの人物だった。
森のエルフ姿の「あーにゃん」。
◇
ほんの一瞬だけ、時間が止まった。
杏奈は部屋の中にいる二人の男へ視線を巡らせた。
品定めする料理人のような目で。
レンへDMを送る前から、彼のSNSについてはある程度調べていた。
フォローしている人物は、たった一人。
その相手が、自分の配信でモデレーターをしている「ソウくん」であることにも気づいていた。
――世間は狭いと思ったけど、まさか一緒に来るとはね。
まずソウシを見る。
実際に見ても、いかにも人畜無害そうな青年だった。
――まあ、コイツは気にしなくていいか。
そして、もう一人。
レン。
SNSの画像や動画で顔は確認していた。
だが実物は、やはり良い。
ずっと良い。
――へえ。
杏奈は思わず上がりそうになる口の端を抑えた。
顔もいい。
スタイルも悪くない。
何より今、「池袋の勇者」として話題になっている。
実物を見たことで、自分から呼んだ判断は間違っていなかったと確信した。
杏奈はゆっくりと息を吸う。
そして、いつもの声を出した。
「はじめまして〜♡ あーにゃんです」
深く頭を下げ、ふんわりと笑う。
ソウシの時間が止まった。
二年間、何度となく画面越しに見てきた笑顔。
何度となく聞いてきた声。
それが今、自分と同じ部屋に存在している。
「冒険者のレンだ。此度は依頼を受けに参った」
「ゴフッ……」
ソウシの喉から妙な音が漏れた。
レンが振り返る。
「ソウシ、立てるか。挨拶しろ」
「…………」
返事がない。
レンは心配そうにソウシの顔を覗き込んだ。
「ソウシ」
「……なに……」
「目は無事か?」
「今それ言うな……!」
「うふふ♡ ふたりとも、おもしろーい☆」
あーにゃんは楽しそうに笑った。
作った笑顔。
作った声。
けれど、「面白い」という感想だけは、案外本音だった。




