ついていかないからな
数日後。
東池袋から池袋駅へ向かう道を、レンとソウシは並んで歩いていた。
今日は、あーにゃんこと安西杏奈と約束した打ち合わせの日である。
レン一人でも行けると言ったのだが、ソウシは頑として譲らなかった。また電車を乗り間違えて、あーにゃん――ソウシ曰く「神」を待たせるようなことがあってはならないらしい。
「ち、近くまで行くだけだからな。俺は入らないから」
「分かっている」
「また電車間違えて遅刻したら困るから来てるだけだから」
「そうだな、助かる」
「お前、あーにゃんに失礼のないようにしろよ」
「そんなに心配なら貴殿も来たらどうだ」
「行かないって! 行ったら散るから! 俺! 俺の亡骸を見たくなければ呼ばないで!」
「大丈夫だ、死んですぐならば蘇生魔法で……」
「だからそうじゃないんだってば!」
ソウシは、どうもこの主君――あーにゃんの話になると様子がおかしい。
先日は「実際に見たら目が潰れる」と騒いでいたので、レンは結界を張ることを提案した。それも違うと怒られた。
今度は、会ったら死ぬという。
結界で防げず、蘇生しても駄目だというならば、一体何を恐れているのだろう。
レンは呆れたように息を吐いた。
しかし、そういうソウシ自身はいつもと少し違っている。
髪はきちんと整えられ、服も普段より小綺麗だ。足取りまで妙に軽い。
本人は隠しているつもりなのだろうが、浮かれていることなど一目で分かった。
「いいか、あーにゃんって甘いもの好きだから。もし店とか決めることになったら覚えとけ」
「そうか」
「あとはとにかく優しくて、おっとりしてて、癒し系で猫好き。ゲームもやる。森のエルフの衣装は初期のやつが一番人気だけど、俺は去年の秋衣装が――」
「ソウシ」
「なに」
「俺は仕事の話をしに行くのだが」
「…………知ってるよ」
聞いてもいない情報が、次から次へと出てくる。
「あああ、とにかくレンが変なこと言わないか心配なんだよ俺は」
「何がだ」
「マジで『エルフか?』とか聞くなよ」
「違うのか? 耳が長いが」
「衣装だから……」
「何のためにそのような変装をしているのか理解に苦しむが、承知した」
「あと、きちんと挨拶して、黙ってあーにゃんの話を聞いて、それから……」
「ソウシ、何をそんなに緊張している」
「してないよ!」
「先ほどから歩く速度が普段の一・五倍ほどだ」
「測んな!」
顔を真っ赤にして怒るソウシを見て、レンの表情がわずかに緩んだ。
「………」
「何笑ってんの」
「いや、貴殿も楽しみにしているのだな」
「……してない」
明らかに楽しみにしている。
「ソウシ、やはり一緒に来るといい。彼女には俺が連絡しておけば良いだろう」
「無理だって……」
「昨日も言ったが、結界なら張ってやるぞ」
「まだ引っ張るのそれ!?」
レンにはますます分からなかった。
「あと、俺が『森の民』だって絶対言うなよ。っていうか俺は空気として扱って。居ないことにして」
「そういう訳にはいかない。俺の恩人だ」
「神の前では俺の着てる恩なんてチリゴミみたいなもんなんだよ……頼むから言うなよ」
「…………」
「俺はあーにゃんに認知して欲しいなんて思ってない……せいぜい投げ銭して、あーにゃんのつけまつげの一本にでもなってたら幸せなんだよ……」
「話の意味が全く理解できんが、大丈夫か、ソウシ」
人間がつけまつげになるという話も理解できなければ、それを幸福とする理由も分からない。
「だが、貴殿は二年間も応援しているのだろう?」
「応援ていうか……推しね!」
「その言葉が出てくると途端に話が通じなくなるな……」
レンもようやく、この問題については翻訳魔法だけが原因ではないのではないかと思い始めていた。
「貴殿はモデレーターも任されている。それほど忠義を尽くしている者が近くに居ると知れば、主君も喜ぶのではないか?」
「違う……違うんだよ……推しって言うのはさ、忠義とかいう言葉よりもっと尊いものなんだよ」
やはり分からない。
ふとレンは、同居を始めてから何度も目にした光景を思い出した。
パソコンの前で配信を見ているソウシ。その画面から聞こえてきた、何度か耳にした呼び名。
「『ソウくん』と呼ばれていることも伏せるのか?」
「なんでそれ覚えてんだよ!!」
ソウシの叫び声を背に、池袋駅が目の前に迫ってきた。
浮き足立ったままのソウシと、その心理を最後まで理解できないレンは、そのまま駅構内へ入っていった。
◇
池袋駅へ入ると、ソウシはスマートフォンの乗換案内を確認しながら、人混みの間を慣れた様子ですいすいと進んでいった。
レンもその後ろをついていく。
しばらく歩いたところで、突然ソウシが足を止めた。
「あ、しまった」
「どうした、ソウシ」
「乗換案内見てたら副都心線のほうまで来ちゃったよ。渋谷の乗り換え面倒なんだよなあ。JRにすれば良かった」
「何か問題か?」
「いや、問題ってほどでもないんだけど」
ソウシは画面を見たまま少し考えた。
その時、以前の出来事を思い出す。
池袋駅の構内で迷いに迷い、すっかり疲れ果てていたレンへ、自分は確かこう言った。
――池袋なんかまだマシなほうだよ。もっと複雑でリアルに迷宮みたいな駅たくさんあるから。
ソウシの口の端が、良くない形に上がった。
時間には十分余裕がある。
それならば。
「……今日はレンに本物の迷宮を見せてやるよ」
「そういえば前に言っていたな、池袋以上の迷宮があると」
「そう。副都心線は地下五階。そこから銀座線の地上三階まで上がる巨大ダンジョンだ!」
「むっ! ……心得た」
迷宮。
その言葉を聞いた途端、レンの表情が引き締まった。
先ほどまで推しだのつけまつげだの理解不能な話に翻弄されていた男とは思えない。本物の冒険者の顔である。
◇
二人は副都心線のホームへ向かった。
もっと単純に表参道へ向かう方法もある。だが時間には余裕があるし、せっかくなら少し遠回りをして、渋谷駅の混沌をレンに見せつけてやろうとソウシは考えていた。
「えーと……七号車の三番ドアあたりか……」
ホームへ着くなり、ソウシは乗換案内を見ながら歩き始めた。
「ソウシ、この乗り場から電車に乗るのではないのか」
「ああ。同じホームに着いても、登る階段間違えると全然別のところに出ちゃうから、先に目当ての階段の近くにスタンバっておくんだよ」
「何……? もうすでに迷宮攻略は始まっているというのか」
「そういうこと」
その瞬間、レンが急にソウシの真後ろについた。
「……なんで急に俺の真後ろ歩いてんの」
「迷宮では先導者を見失わぬのが基本だ」
「いや、そこまでしなくていいから」
「貴殿自身が迷宮だと言ったではないか」
「そうだけどさ……」
やがて到着した電車に乗り込み、二人は渋谷へ向かった。
ほどなくして渋谷駅へ到着する。
「ほら、行くよ」
ソウシがエスカレーターを指差した。
しかし、その背後でレンは足を止め、構内図を見上げていた。
「ソウシ……ここに見えるだけでも二十以上の出入り口があるようだが」
「そうなのか? もっとあるんじゃない?」
「……城塞都市でも入り口は四つ程度だが……」
「城塞都市ではないから」
ソウシに促され、レンは動く階段に乗った。
上った先には広い空間があり、そこでも無数の人間が行き交っている。
「まだまだ昇るからね。ほら行くよ」
折り返して、また上る。
天井が大きな円形のドームのようになった空間を抜け、ヒカリエ方面へ進んでいく。
駅の中には文字だけでなく、色、図形、矢印、記号が至るところに配置されていた。
ソウシはそれらを一瞥しただけで次に進む方向を決めていく。
対してレンは、一つ意味を理解した頃には次の案内が現れるという有様だった。
「今日はせっかくだから少し遠回りするけど、いつもは紫のマーク見て乗り換えしたほうが近いから! ひとりで帰ってくる時、覚えといたほうがいいよ」
一人で帰ってくる。
レンは周囲を見渡した。
行き交う人々。
幾重にも重なる通路。
無数の案内。
どこへ続いているのか分からない階段。
……多分無理だ。
「……心得た」
「……絶対聞いてないよね」
副都心線側の改札を出て進み、ヒカリエと書かれた商業施設の近くへ出る。
ソウシが脇にある案内表示を指差した。
「このオレンジのマークが銀座線! 今日はこれに乗るから」
「今度はこれを追うのだな」
「そう」
また動く階段に乗る。
一度。
二度。
さらにもう一度。
「……一体どこまで昇るのだ」
「渋谷駅の一番底から、ほとんどてっぺんまで昇るからね」
「……これが……渋谷駅か……」
まだ目的地に着いてすらいない。
それなのに、レンの肩はすでにわずかに落ちていた。
魔物が出るわけでもない。
罠が仕掛けられているわけでもない。
ただ別の電車へ乗り換えようとしているだけなのに、なぜこれほどまでに疲れるのか。
「そう。だから乗換案内もいろんな候補が出てくるから、その中でも渋谷と新宿は避けて乗り換えすると迷いにくい!」
「渋谷と新宿……覚えておこう」
レンの中で、新たに二つの危険区域が登録された。
ようやく銀座線の改札へたどり着き、レンは銀色のカードを読み込ませて通過する。
そこからさらに上へ進み、ようやくホームへ到着した。
ほどなくして滑り込んできた銀座線へ、二人は乗り込む。
渋谷迷宮攻略。
ソウシという信頼できる先導者がいたことで、レンはどうにか無事に生還することができた。
電車は次の目的地、表参道駅へ向かって走り出した。




