推し、そして神
夜。
東池袋、家賃一万九千円の六畳一間。
銀座での強盗事件も、池袋人材サービスを巡る騒動も終わり、ソウシのアパートにはようやく以前と変わらない静けさが戻っていた。
ソウシは机に向かい、ノートと参考書を広げている。その横ではパソコンが開かれ、森を模した背景の前でエルフ姿のあーにゃんが楽しそうに話していた。勉強中とはいえ、音を消すという選択肢はないらしい。
一方、畳の上ではレンがスマートフォンを睨んでいた。
池袋人材サービスという「ギルド」を失って以来、レンも新しい仕事を探し始めていた。銀座の一件で「池袋の勇者」として以前にも増して名が知られた結果、SNSには仕事の依頼や勧誘が次々と届くようになっている。
しかし、数が増えたからといって理解できる仕事が増えたわけではない。
「ソウシ」
「なに」
「キャバクラ?の、黒い服?という仕事の依頼が来ているが、これはなんだ? 暗殺者か?」
「あぶなぁーーーい!」
ソウシが椅子ごと勢いよく振り返った。
「暗殺か……経験はないが、正当な依頼とあれば……」
「違う違う違うし、もしそうでもやらないで!」
「そうなのか」
レンは止められるまま、改めて画面に書かれた仕事内容を読み込む。
「酒席で接待する女性を管理する仕事か……俺の仕事ではないな」
「わかってくれて良かったよ……」
ソウシが胸を撫で下ろす。
レンは小さく息を吐き、次の勧誘へ指を滑らせた。
「新しいギルド探しを始めてはみたが、どうも酒席にまつわるものが多いな」
「顔だよ、顔」
「この『ホストクラブ』からは数え切れぬほど連絡が来ている。天下を取ろうなどと毎回書いてあるが、酒を飲みながら武術大会でも催すのか? それならば一考の余地はあるが」
「そこだけは絶っっ対にやめとけ」
「なぜだ」
「とにかくやめとけ」
レンは納得しきれない顔でスマートフォンへ視線を戻した。
「ホストとかコンカフェ以外でもさ、モデルとか撮影系の依頼もあったじゃん。それは真っ当だと思うんだけど」
「……そうだな」
レンは顎へ手を添え、少し考えた。
「だがソウシ、俺は冒険者として身を立てると誓った。今まで磨いてきた剣技、魔法を人の為に役立てたいのだ」
「そうかぁ……撮影とか配信とかも、やりようによっては人の役に立つと思うんだけどなあ」
ソウシはそう言ってパソコンへ向き直った。
画面では、森のエルフ姿のあーにゃんが視聴者のコメントを拾っている。柔らかな笑顔と甘い声。画面の向こうにいる人々を優しく迎え入れる、いつものあーにゃんだった。
レンもその画面へちらりと目を向けた。
「貴殿の主君のようにか」
「推しね! お、し! そうだよ。めっちゃ心の支えになってるから」
「ふむ」
その時だった。
レンの掌で、スマートフォンが短い通知音を鳴らした。
何気なく画面を確認したレンの目が、わずかに見開かれる。
「…………」
レンは届いたメッセージを黙ったまま読む。
「……ソウシ」
「なに」
「これは……貴殿の主君ではないか?」
「だから推しね……って、えええ!?」
今度こそソウシは椅子から立ち上がった。
◇
「あーにゃんだ……これ、あーにゃんの本アカだよ……!」
ソウシはレンのそばまで駆け寄り、その手元へ身を乗り出した。
見間違えるはずがない。
アイコンもアカウント名も、今まさにパソコンの画面に映っている人気コスプレイヤー兼配信者「あーにゃん」本人のものだった。
そこには一通のDMが届いていた。
『はじめまして♡
あーにゃんです。
急にDMしてごめんなさい!
最近SNSでレンくんのこと見かけて、ちょっと気になってました♡
「池袋の勇者」って呼ばれてるんですよね?
私も普段ファンタジー系のコスプレとか配信をし てるので、もしよかったら一度お会いしてお話してみませんか?♡
お仕事のご相談もできたら嬉しいです♡』
「………」
「………あ、あーにゃんが……あーにゃんが……」
レンが黙っている隣で、ソウシの身体がガクガクと震え始めた。
「……仕事の相談があるようだな」
「………」
「一度会って話したい、と……」
「………」
レンにとっては、最近大量に届くようになった仕事の相談のひとつでしかない。
しかし、その隣にいるソウシは明らかに平静を失っていた。
「うわああああ!」
「ソ、ソウシ?」
「なんで……」
「?」
「なんでお前があーにゃんに会えるんだよ!!!」
「………???」
レンには本当に意味が分からなかった。
会えるのであれば、会えばいいだけではないのか。
「会いたいなら貴殿も来たら良いだろう」
「会えるかよ! 推しだぞ? 神なの! 俺にとって!」
ソウシは肩で荒く息をしている。
「実際に見たら……この目が潰れてしまうかもしれない……」
「ソウシ……」
レンの表情が変わった。
ようやく事情を理解したような顔である。
そして心配するなと言わんばかりに、ソウシの肩へぽんと手を置いた。
「もしこのエルフが神に近い力を持っていたとしても、俺が貴殿の目が潰れないように結界を張ってやろう。心配するな」
「だからそういう問題じゃないんだってばぁああ!」
ソウシの叫びが六畳一間に響き渡った。
レンはますます分からないという顔をする。
どうやら、また翻訳魔法だけでは拾いきれない何らかの意図があるらしい。
しかもソウシはひどく興奮している。
レンは少し距離を取りながら、その様子を見守った。
一旦魔法で眠らせても良いが、ソウシにも都合というものがあるかもしれない。
せめて話題を変えよう。
「して……この件はどうするべきなのだろうか」
その一言で、ソウシの動きがはたと止まった。
「正直なところ、俺にはこの依頼が怪しいものなのか、そうでないのかは判断がつかない」
レンは改めてスマートフォンへ目を落とす。
以前のレンなら、依頼を受ければそれだけで仕事として成立すると考えていたかもしれない。
だが、池袋人材サービスでの一件を経験した今は違う。
依頼主が仕事として持ち込んできたからといって、それが正しいとは限らない。
「ソウシの主君ならば安心なのかとも思うが、先達のギルド長はそうではなかった」
「推し……ヒロナリとは並べんな……」
「この申し入れ……受けても良いものか」
ソウシは顔を覆っていた手をゆっくり外した。
そのまま、何もない天井を仰ぐ。
レンは首を傾げた。
「……なんだ? 神に祈っている……?」
ソウシは答えなかった。
その視線の先にあるのは古びた天井だけだったが、頭の中には別の景色が浮かんでいた。
二年前。
大好きだったゲームのキャラクター、「森のエルフ」。
その姿にあまりにもよく似たコスプレイヤーを、配信サイトで偶然見つけた。
それが、あーにゃんだった。
一目で好きになった。
それ以来、生配信にはほとんど欠かさず顔を出すようになった。応援コメントを書き、決して多くはない小遣いの中からギフトや投げ銭も送った。
昨年、受験勉強に追われていた頃には、あーにゃんの人気もかなり高くなっていた。配信だけでなく切り抜き動画まであちこちに上がるようになり、その姿を見るたび、自分も頑張らなくてはと思った。
そんなある日の配信。
『ソウくん♡ 受験勉強頑張ってにゃん♡』
自分のコメントを拾ったあーにゃんが、画面越しに笑いかけてくれた。
その瞬間を録画して、何度も見た。
何度も、何度も。エンドレスで。
そして――志望校に落ちた。
自分なりには頑張ったつもりだった。
それでも結果は出なかった。
机に向かってきた時間も、我慢してきたことも、全部無駄だったように思えた。
そんな時も、あーにゃんはソウシのコメントを拾ってくれた。
『ソウくんが頑張ったことは無駄じゃないと思うよ? これからどんな道を選ぶとしても、あーにゃんはソウくんを応援してるにゃん♡』
あの言葉に救われた。
もちろん、配信者が一人のファンへ掛けた言葉だ。
それでも当時のソウシにとっては、本当に必要な言葉だった。
それからしばらくして、あーにゃん本人から配信のモデレーターを頼まれた時には――そういえば、今と同じように七転八倒した。
◇
「……ソウシ?」
レンの声で、ソウシは現実へ引き戻された。
目の前には六畳一間。
そして、あーにゃん本人から届いたDMを持つレン。
「……あーにゃんが怪しいかだって?」
ソウシは小さく息を吐いた。
「そんな訳ないだろ……」
「そうなのか?」
「うん……ちゃんとした依頼だと思う……」
「貴殿がそう言うならば……」
レンは素直にその判断を受け入れた。
現代日本については、自分よりソウシの方が遥かに詳しい。
まして二年間もその人物を見てきたというのなら、自分が画面越しの情報だけで判断するより確かだろう。
「うん……」
ソウシはレンのスマートフォンを見つめた。
そこにはまだ、あーにゃんからのDMが表示されている。
「ていうか、頼むから受けてくれ……」
「…………」
レンはソウシを見た。
先ほどまで自分が「怪しい仕事ではないか」と相談していたはずなのに、いつの間にか相談相手の方から依頼を受けるよう懇願されている。
理由はよく分からない。
だが、ソウシがここまで信用している人物ならば。
レンはもう一度、画面の中のメッセージへ目を落とした。
そうして本人たちもまだ知らないまま、レンは安西杏奈のいる世界へ一歩、足を踏み入れようとしていた。




