エルフに会えると聞いて
昼休み。
校内の廊下を一人で歩いていたひかりは、後ろから軽く肩を叩かれて振り返った。
「ひかりちゃん♡」
「……あ……」
そこにはユキが立っていた。
ユキは親しげな笑顔を浮かべると、そのままひかりの腕へ自分の腕を絡ませる。
「ごめんね、この前は途中で邪魔入っちゃって……」
「………」
「まりなも何か勘違いしてるっていうかさ。ちゃんとお話したいから、もう一回説明させて?」
ひかりの頭に、以前のやり取りが蘇る。
ユキとの会話へ強い口調で割って入ったまりな。
そして、そのあと自分へ言った言葉。
『あーいうのについてっちゃダメだよ?』
「ほんとに怖い話じゃないんだって。あーにゃんの紹介は身元がしっかりしたパパばっかりだから安心だし」
「ぱぱ……」
また知らない使われ方をしている言葉が出てきた。
だがユキは気にする様子もなく話を続ける。
「ホントにごはんだけで2もらえるの。しかも誰か紹介すると、そのぶんのバックもあるし」
「………」
「それに、特にカワイイ子にはもっと高額な案件もあるんだって。ひかりちゃん絶対イケるから!」
『2』
『バック』
『案件』
またしても、ひかりには意味のよく分からない単語が次々と並ぶ。
何を指しているのかまでは理解できない。
だが、まりながあれほど警戒していた以上、安易について行くべき話ではないことくらいは分かっていた。
「あの……わたし、そういう話はもう……」
「だーからぁ! そういう怖い話じゃないんだって」
ユキはすぐにスマートフォンを取り出した。
「あーにゃん知ってるよね。あーにゃん。この人!」
画面へ表示されたのは、配信用の衣装を身につけたあーにゃんだった。
森をイメージした背景の中で、長い耳をつけた『森のエルフ』姿の杏奈が笑っている。
「………」
ひかりの目が、そこで止まった。
「……これは……」
「ん?」
「エルフ……?」
「ああ、コスプレイヤーなんだよね、あーにゃん」
ユキは特に興味もなさそうに画面を見る。
「よく知らないけど、そういうキャラらしいよ」
「………」
ひかりの中で、それまで聞き流しかけていた話の意味が一変した。
――エルフ。
元の世界にも存在していた種族。
もし、この世界にも本物のエルフがいるのなら。
自分以外にも、あちらの世界から来た者がいるのなら。
レンや仲間たちの手がかりになるかもしれない。
あるいは、元の世界へ戻る方法すら知っている可能性がある。
「……この方に、会えるのですか?」
「え?」
先ほどまで断ろうとしていたひかりが急に食いついたため、ユキが目を瞬かせた。
だが、すぐに笑顔へ戻る。
「会える時もあるよ! 池袋の事務所に行けば」
「池袋……」
「ひかりちゃんカワイイから、あーにゃん会ってくれるかも!」
ユキはさらに嬉しそうに腕へ抱きついた。
「ねえ、行こうよ!」
ひかりはしばらく黙ったまま、画面の中の『森のエルフ』を見つめていた。
まりなの忠告も覚えている。
この誘いが、よく分からないものであることも分かっている。
それでも。
――この世界にもエルフがいるなら。
確かめたい。
「……分かりました」
「ホントに!?♡」
ユキの顔がぱっと輝く。
「ありがとう、ひかりちゃん!」
そのまま嬉しそうに抱きつかれ、ひかりは少し困った顔をしながらも拒まなかった。
◇
放課後。
まりなは教室で帰り支度をしていた。
ふと視界の端に、鞄を持ったひかりの姿が入る。
「………」
まりなは少しだけ迷った。
――……たまには、遊びに行こって誘ってみよーかな。
普段、自分から誰かを誘うタイプでもないひかり。
この前の一件もあり、何となく気になっていた。
まりなが声をかけようとした、その時だった。
先にひかりへ近づいていく人物がいる。
「………」
まりなの目が細くなった。
「……ユキ?」
昼間、ユキが再びひかりへ接触していたことをまりなは知らない。
だがユキは親しげに声をかけ、そのままひかりと一緒に教室を出ていった。
ひかりも拒む様子がない。
「………」
嫌な予感がした。
――ひかりが、ユキの説得に折れた?
すぐに首を振る。
――そんなわけないよね。
この前、あれだけ警戒していた。
何か理由があるはずだ。
それでも、ユキがひかりをどこへ連れて行こうとしているのかは分からない。
このまま見失うほうがまずい。
まりなは鞄を掴んだ。
――とりあえず、どこ行くか確認しよ。
場所が分かったら、秋本パイセンへ連絡すればいい。
危ない場所なら一人で入らず、誰かを呼ぶ。
そのつもりだった。
「……ったく」
小さく吐き捨てる。
「なんでまた、あいつと一緒に行ってんの……」
まりなは教室を飛び出し、ひかりとユキの姿を見失わないよう二人の後を追った。
◇
ユキとひかりは、池袋駅西口方面を並んで歩いていた。
その少し後ろを、まりなが一定の距離を保ちながら追っていく。
それにしても。
まりなの脳裏に、先日ひかりと話した時のやり取りが浮かんだ。
『じゃーね! マジ変なのについてかないでよ?』
『うん。まりなも』
『ウチは大丈夫だって!』
『……そういう人の方が心配だって、聞いたことある』
『なにそれ!』
あのひかりが、またユキの同じような誘いに乗ったとは考えにくい。
――……何があったの、ひかり。
「ったく、ウチはコナンくんじゃねーっつーの」
小さくぼやきながら、二人の背中を追う。
――場所分かったら、パイセンに連絡しよ。
頭に浮かんだのは、頼りになると断言していいのか微妙な、ソウシのゆるい顔だった。
やがて二人は、西池袋公園近くにある雑居ビルへ入っていく。
「………」
まりなは入口の前でスマートフォンを取り出しかけた。
「パイセンに連絡……」
しかし、ユキとひかりの姿はすでに階段の先へ消えている。
「ダメだ。何階か分かんなくなっちゃう……」
スマートフォンを握りしめる。
――場所だけ確認して、それから。
いざとなったら電話すればいい。
「……行くしかない!」
意を決し、まりなもビルの中へ入っていった。
◇
ユキとひかりが入った『ライフクリエイト』の事務所は、想像していたよりも小綺麗だった。
二人を最初に出迎えたのは、細身で整ったスーツ姿の男だった。営業職のような柔らかい笑顔を浮かべている。
その後ろから、やや厳つい体格をした別のスーツ姿の男が現れた。
二人は入り口すぐ近くの応接スペースに座るよう促される。
「ユキちゃん、お疲れ。こっちが言ってた子?」
「そうです♡ ひかりちゃん。めっちゃ可愛くないですか?」
「へえ……写真より全然いいじゃん」
細身の男は、ひかりを上から下まで眺める。
笑顔は崩していない。
だが、値踏みするような視線に、ひかりはわずかな居心地の悪さを覚えた。
「……あの」
「緊張しなくていいよ。今日はちょっと話するだけだから」
「こちらに、エルフの方がいらっしゃると聞いたのですが」
「………」
「………」
二人の男が、同時に黙った。
「あっ、ほら。あーにゃんのこと! ひかりちゃんちょっと天然なんですよぉ」
「ああ……うん。あーにゃんね」
男はそれ以上あーにゃんについて説明することなく、すぐ別の話へ移った。
「ひかりちゃんはさ、普通の食事会より、もっと条件いい話いけると思うんだよね」
「え、もっといい案件あるんですか?」
「あるある。向こうがかなり出すから」
「向こう?」
厳つい男が短く答える。
「海外」
「……え?」
ユキの表情から笑顔が消えた。
「海外って……旅行みたいな感じ?」
「まあ、そんな感じ。全部向こう持ちだし、普通じゃ会えないような人にも会えるし。いいでしょ?」
「でも……ひかりちゃん高校生ですよ?」
「だからいいんじゃん」
張りついた笑顔のまま、細身の男の口角がさらに上がった。
ユキの顔色が変わる。
――どうしよう。
――大変なことになっちゃった。
肩が小さく震え始める。
だが、そんなユキの心情など知らないひかりは、相変わらず落ち着いた様子で男へ尋ねた。
「エルフの方は、どちらに?」
「それはあとでね。まずこっちの話聞いて」
ユキが耐えきれず、立ち上がろうとした。
「待って。あたし、こんな話聞いてないんだけど」
「お前は連れてくればいいって、ちゃんと言われてんだろ」
「あたしは先輩から、紹介したらバックがあるって聞いただけ!」
「のぞみさんの下の奴だろ?」
「おい」
細身の男の表情が一瞬で凍りつく。
だが、厳つい男は気づかないまま続けた。
「だって、のぞみさんから『条件いい子探すように指示しといたから、出物があり次第こっちに回せ』って――」
「だから余計なこと言うなって」
そこでようやく、男は口を閉じた。
「……待って」
ユキの声が震える。
「あーにゃんの紹介じゃないの?」
「だから同じようなもんだって」
「同じじゃないよ!」
「今さら何言ってんだよ。紹介料欲しくて連れてきたの、お前だろ」
「違う……」
ユキの目に涙が浮かぶ。
「ウソだよ……こんなの聞いてない」
とうとう泣き出した。
ユキにとっては、安全な食事会へ友人を紹介すれば紹介料が入る、その程度の認識だった。
女子高生を海外の人間へ引き渡す話など、一度も聞いていない。
自分もまた、上の人間から都合よく使われていた。
男たちとユキの言い争いを、ひかりは取り乱すことなく聞いていた。
そして静かに口を開く。
「では、この方々はエルフではないのですね」
「ひかりちゃん今そこ!?」
「でしたら、帰ります」
ひかりが立ち上がる。
細身の男がすぐに腕を掴んだ。
「いや、もうちょっといてよ」
ひかりは掴まれた自分の腕を見る。
「わたしの方は用はありませんので」
男の笑顔が消えた。
「……そういうわけにもいかないんだよね」
その時だった。
事務所のドアが勢いよく開く。
「ひかり!」
「……まりな」
「まりな!?」
「やっぱり! 何してんのあんた!」
泣いているユキ。
ひかりの腕を掴んでいる男。
そして室内に漂う、明らかに普通ではない空気。
まりなは一目で状況を察した。
「……もう一人増えたぞ」
「高校生?」
「は?」
厳つい男がスマートフォンを取り出す。
「……のぞみさんに聞くか」
まりながひかりのもとへ行こうとしたところで、細身の男が前へ出た。
肩へ手を添え、そのまま座らせようとする。
まりなは即座にその手を振り払った。
「触んじゃねーよ!」
「おお、元気な黒ギャルちゃんだね」
「うるせー!」
その時、厳つい男のスマートフォンに返信が届いた。
「返事きた」
画面を確認する。
「今夜中に引き渡しの段取りつけるから、三人とも縛って事務所に置いとけって」
「……!」
「は……?」
二人の男が立ち上がる。
「抵抗しないでね。痛いことしたくないからさ」
「ふざけんな! 警察呼ぶから!」
まりなは即座にスマートフォンを取り出そうとした。
だが男に手を打ち据えられ、スマートフォンが床へ落ちる。
すぐに拾い上げられ、そのまま取り上げられた。
「くっ……!」
まりなが抵抗しようと身構える。
その時。
「……まりな」
「……?」
ひかりが、すぐそばから小さな声で呼んだ。
まりなの耳元へ顔を寄せる。
「大丈夫だから……言うとおりにして」
「どういうこと……」
「わたしがなんとかするから」
「………」
ひかりの顔には、不思議なほど恐怖の色がなかった。
むしろ男たちの動きを、静かに観察している。
まりなには、その理由が分からない。
だがここで暴れれば、ユキまで巻き込まれる。
まりなは歯を食いしばり、一旦抵抗を止めた。
やがてユキ、ひかり、まりなの三人は手足を拘束された。
声を上げられないよう猿ぐつわを噛まされ、そのまま事務所奥の倉庫へ押し込められる。
扉が閉まった。
まりなは、ソウシへ連絡できないまま。
そして拘束されたひかりだけが、最後まで妙に落ち着いた表情を崩していなかった。




