護衛対象
西麻布のマンションで護衛を続けるレンのスマートフォンに、ソウシからメッセージが届いたのは、昨日のことだった。
『話したいことがあるんだ。近くまで行くから、ちょっと抜けて出てこれそうな時間ないかな』
そして翌日。
杏奈のマンションからほど近い、小さな公園。
護衛に支障のない時間を見計らって外へ出たレンが入口へ姿を見せると、先にベンチへ座っていたソウシが手を上げた。
「久しいな、ソウシ」
「ホントだな。清浄魔法掛けてもらえないから銭湯行くのめんどくさいよ」
「……清浄魔法をそこまで惜しまれるとは思わなかった」
レンは呆れたように眉を寄せたが、ソウシは気にした様子もなく少し身体をずらした。レンが隣へ腰を下ろすと、二人の間に短い沈黙が落ちる。
先に本題へ入ったのはソウシだった。
「……この前、ミキちゃんと会ったんだってな」
「……やはりその話か」
「それだけじゃないんだけどね。俺もあのあと、ミキちゃんに話聞いたんだ。本当なのか? あーにゃんが……」
「あの戦士の少女に話したことならば、事実だ」
ソウシは深く息を吐いた。
「……やっぱりそうなんだ」
「あの日は、男たちと女たちを引き合わせたあと、あの女が軽く挨拶をして回ってすぐ退席した。そのあとどうなったかは俺も分からない」
「もう決まりじゃん……いわゆるパパ活の仲介に動いてるってことだよな」
「パ……?」
聞き慣れない単語に、レンが眉を寄せる。
「要するに、金のある男に若い女を紹介しているということなら、そうだ。だが、何かそれが問題なのか」
「俺も詳しいわけじゃないけど、問題はミキちゃんみたいな高校生にまで話が回ってることなんだ。それは完全にアウトだ」
レンは腕を組み、黙り込んだ。
杏奈が会食の場でしていたこと。
そして、ミキちゃんの学校で起きていること。
「レン、お前……あーにゃんのところにいて、何か他に気づいたことないの?」
「………」
一瞬だけ、レンの表情が険しくなった。
ソウシはそれを見逃さなかった。
「……いや。護衛対象の私事について話すことはできない」
「……そう言うと思ったよ」
半ば予想していたのだろう。ソウシは呆れたように肩を落とす。
「ただ」
その一言に、ソウシが顔を上げた。
「何か後ろ暗いことがある女だとは、俺も思っている」
「………」
今度はソウシが言葉を失った。
「どうした」
「……いや、ミキちゃんに聞いた時も思ったけど、レンがそこまで言うってヤバいんだなって」
頭をくしゃくしゃと掻きながら俯くソウシを見て、レンの声がわずかに低くなる。
「……貴殿には信じられないだろうな」
「いや、もうそれはいいんだよ。他にもっと大事なことがあるから。それより……」
ソウシは少し迷ってから、改めてレンを見た。
「……レンは、後ろ暗いところがあるって分かってるのに、あーにゃんの護衛を続けるの……?」
レンの表情が、またわずかに険しくなる。
脳裏に浮かんだのは、護衛を始めてから見てきた安西杏奈のいくつもの顔だった。
配信が終わった瞬間、別人のように変わる表情。
怪しい男たちとの会合。
自分が作った料理を口にした時の、子供のような顔。
電話口の誰かと言い争い、呼吸さえまともにできなくなった夜。
そして昨日、自分の首へ腕を回し、耳元で囁いた言葉。
『……ねぇ。あーにゃんが飼ってあげようか。レンくんのこと♡』
安西杏奈が何者なのか。
それはレン自身にも、まだ分からなかった。
「……一度受けた依頼だ。ストーカーから守るということと、あの女が何者かはまた別の話だ」
レンは静かに続ける。
「罪があるとしても、それを裁くのは俺の仕事ではない」
ソウシはしばらく黙ってその横顔を見ていた。
「あのさ、そう言いながらスゴイ渋い顔してるけど……」
「………」
「ほんとはあーにゃんと何か……」
「何もない」
最後まで言わせるより先に、レンが被せた。
「まだ最後まで言ってないけど」
「何もない」
「……そっか」
妙にきっぱりと言い切るレンを見ながら、ソウシはそれ以上追及しないことにした。
「その辺の話に取っ掛かりがありそうだと思って、それ聞きたくて来たんだけどな。やっぱりレンは話さないよな」
「……?」
「ストーカーの話だよ」
「どういうことだ?」
そこでソウシは、ここへ来たもう一つの目的を話し始めた。
「結論から言うと……ストーカー『nezumi』は、俺とレンがあーにゃんのマンションに行った日にいたスタッフ三人の中にいるって、俺は思ってる」
「三人……マネージャーの女、スタッフの男、カメラマンの男か。しかし何故……」
「コメントのログを辿ったんだ」
ソウシは、モデレーターとして確認できる過去のコメントを調べたことを説明した。
「あの日に『新しい男?』『池袋の勇者をたらし込んでる』って書き込みを『nezumi』がしてる。しかも俺が帰ったあとの配信から」
レンは口を挟まず、じっと聞いている。
「まだ撮影した写真も公開されてないし、レンは配信にも出てない。あの時点でレンのことを知ってるのは、あそこにいた人間だけだ」
「………」
「俺とレンは違う。あーにゃん本人の自演も考えたけど、今回それをするメリットがない。だから残るのは、その三人」
レンはしばらくソウシを見つめた。
やがて、その表情が厳しいものへ変わる。
「ソウシ……それだけ分かれば充分だ。貴殿はもう、これ以上この件に探りを入れるのは止めておけ」
「………」
「相手が何者かは分からない。だが、人は追い詰められれば思わぬ反撃に出ることもある」
真剣な視線がソウシへ向けられる。
「それに貴殿は、今そのようなことに首を突っ込んでいる状況ではないだろう」
浪人中の身で、アルバイトをしながら受験勉強を続けている。
ただでさえ余裕があるとは言えないソウシが、正体すら分からない人間を追い回している。その先で危険が及ぶ可能性を、レンは何より警戒していた。
「……そうなんだけど」
ソウシも分かっている。
それでも、素直に頷くことはできなかった。
「ミキちゃんの学校にまで話が広がってるんだ。それ聞いたら、放っとくわけにはいかないよ」
レンは黙ってソウシを見る。
やがて、険しかった表情がわずかに緩んだ。
「……貴殿も、なにやらこの数日で心境の変化があったようだな」
「え?」
「……あの戦士の少女か?」
「……戦士じゃないから。ミキちゃんな」
「だが、あの少女は随分と勇ましい」
「何回言えば分かるんだよ。高校生だからな」
「戦士であることと学生であることは両立するだろう」
「しないんだよ、この国では」
レンはいまひとつ納得していない顔をしている。
そんな横顔を見て、ソウシは小さく息を吐いた。
するとレンが、何気ない調子で言った。
「大切なものなら、目を離さないでおけ」
「………」
唐突な言葉に、ソウシが少しだけ目を瞬かせる。
「いやぁ……まだよく分かんないけど」
照れくさそうに頭を掻くソウシに、レンはそれ以上何も言わなかった。
しばらく二人で静かな公園に座っている。
やがてソウシが、ぽつりと口を開いた。
「本当はあーにゃんにだって、幸せでいてほしいんだよ。俺は」
長い間、画面越しに追い続けてきた『あーにゃん』。
今ではもう、あの画面の中の姿だけが彼女のすべてではないと知っている。
怪しいことをしている。
自分たちへ何かを隠している。
ミキちゃんの身近にまで、その影響が及んでいる可能性もある。
だからといって、不幸になればいいとは思えなかった。
レンは何も答えず、ビルの向こうへ目を向けた。
西麻布の街並みの向こうへ、夕日がゆっくりと沈んでいく。
レンの脳裏にもまた、自分が見てきた杏奈のいくつもの顔が浮かんだ。
「……そうだな」
◇
ソウシと別れ、レンは杏奈のマンションへ戻った。
自分に割り当てられたスタッフルームへ入り、間もなく。
遠くで、ドアを乱暴に開け閉めする音が響いた。
続いて、廊下をこちらへ向かってくる慌ただしい足音。
レンがそちらへ顔を向ける。
次の瞬間、ノックもなくスタッフルームのドアが勢いよく開いた。
そこには、ルームウェア姿の杏奈が仁王立ちしていた。
化粧もしていない。
配信中の『あーにゃん』とはまるで違う、完全な素の姿だった。
「………」
「ねえ」
「なんだ」
「どこか行ってたでしょ……」
「ああ」
レンは特に悪びれる様子もなく答えた。
その態度が気に障ったのか、杏奈はずかずかと部屋へ入り、そのままレンの胸元を掴む。
「あたしの護衛でしょ? 黙ってどこ行ってたの? 女? やっぱ女がいるんじゃないの?」
「……今日は予定がないから、一日休んでいるのではなかったのか」
「質問に答えてよ!!!」
杏奈は胸元を掴んだまま、肩を激しく上下させている。
レンは眉を寄せた。
本来、自分の個人的な行動について杏奈へ説明する義務などない。
だが以前、電話口で感情を乱した杏奈が、呼吸さえまともにできなくなった姿を見ている。
またあの状態になられても困る。
まずは落ち着かせるべきだろう。
「……ソウシが近くに来ていたので会っていた。それだけだ」
これで少しは落ち着く。
レンはそう思った。しかし、
「またソウくん!?」
むしろ逆効果だった。
「もうウンザリ! ソウくん、ソウくん、ソウくんって! あたしが頼んでも断るくせに、ソウくんが来たらホイホイ会いに行くんだ? なんなの!?」
「話があると言われたから会っただけだ」
「それをホイホイって言ってんの!」
「……ソウシは男だが」
「そういう話してない!!」
レンはますます理解できないという顔になる。
「では、何が問題なのだ」
「それが分かんないのがムカつく!!」
杏奈自身にも、どうしてこれほど腹が立つのか説明できなかった。
女と会っていたのかと思った時も腹が立った。
だが相手がソウシだと分かった瞬間、その苛立ちはむしろ強くなった。
自分が頼めば、一度は断る。
配信へ出てほしいと言っても嫌そうな顔をする。
ここにいればいいと言っても拒絶する。
それなのにソウシから「話したい」と呼ばれただけで、レンは会いに出ていく。
そのことが、どうしようもなく気に入らない。
「で? 何話してたわけ?」
「話す必要はない」
「……は?」
「ソウシとの話だ」
「あたしには言えない話なの?」
「貴殿には関係のない話だ」
「………」
レンには悪意などない。
ただ、事実を言っているだけだった。
だからこそ、余計に腹が立つ。
「あたしより、ソウくんのほうが大事なの?」
「何度も言っているが、ソウシは俺の恩人であり友人だ」
「質問に答えてよ!」
「………」
「じゃあ、あたしはレンの何なの?」
レンは少し考えた。
そして、ごく当然のことのように答える。
「護衛対象だ」
「………」
レンの服を掴んでいた杏奈の手から、ゆっくりと力が抜けていった。
ソウシは、恩人であり友人。
自分は、護衛対象。
それだけ。
杏奈の眉が、ほんのわずかに歪む。
「……もういい」
「そうか」
「………」
その返事で、さらに何かが胸へ刺さった。
けれど杏奈は何も言わなかった。
レンから手を離し、背を向ける。
数秒の沈黙。そして
「レンくん♡」
突然、声色が変わった。
つい先ほどまで怒鳴っていた女とは思えないほど明るく甘い、『あーにゃん』の声。
「なんだ」
レンは少し首を傾げる。
――機嫌が直ったのか。
よく分からない女だ。
「これから出かけるから♡」
「どこへ行く」
「飲みに行くの。レンくんもついてきて♡」
「……護衛ならな」
「うん♡」
杏奈が振り返る。
顔には、にっこりとした笑みが浮かんでいた。
「準備して♡」
「分かった」
そう答えるレンを見て、杏奈は満足そうに部屋を出ていく。
ドアが閉まった。
廊下へ出た瞬間、杏奈の笑顔が消える。
――絶対、潰す。
酒を飲ませる。
酔わせる。
普段なら何を聞いてもまともに答えないレンから、全部聞き出してやる。
ソウくんと何を話したのか。
自分のことをどう思っているのか。
そして――何を考えているのか。
そう決意した杏奈は、そのまま自室へ戻っていった。




