『推し』と『好きな子』
その頃。
家でだらだらと勉強していたソウシのスマートフォンが振動した。
何気なく画面を見て、送り主の名前を確認した瞬間、猫背だった背筋が少しだけ伸びる。
「……ミキちゃんだ」
だいたいこの時間に連絡が来るときは、バイトのシフト変更のお願いだ。
それでも、ミキちゃんから頼られたという事実だけで、何となく気分が浮き立つ。
ソウシはすぐにメッセージ画面を開いた。
『パイセン』
間髪入れず、もう一通届く。
『いまでんわしてもいいですか』
「!?!?!?」
ソウシは椅子からバネのように跳ね上がった。
「えっ、えっ、どういうこと?」
スマートフォンを持ったまま部屋の中をうろうろする。
「てかこれ、どうしたら良いんだ? 良いよって送る? こっちから掛ければいいの?」
散々悩んだ末、
『いいよ。こっちから掛けるね』
と送った。
既読がつく。
ミキちゃんと電話。
ミキちゃんと電話……。
何があったのかよりも、その事実ばかりが頭の中をぐるぐる回る。
ソウシは一度深呼吸してから、通話ボタンを押した。
コール音が二つ鳴るより先に、電話が繋がる。
『はぁい』
それだけで心臓が跳ねた。
「も、もしもし、秋山だけど……」
電波のラグなのか、向こうが歩いているのか、少しごそごそとした音が聞こえる。
やがてミキちゃんの声がした。
『もお……ウチ、色々あってよくわかんなくなっちゃって』
「え?」
『なんかうまく説明できなくって、電話にしちゃった。ごめんなさい』
……え、なんかわかんないけどかわいい。
思わず口元が緩みそうになる。
だが声には出さないよう、ソウシは必死に平静を装った。
「いやいや、いいんだけど。何かあったの?」
『……パイセン、これ聞いてショックうけない?』
「……え? ……俺? いや、聞いてみないとわかんないけど」
『最初にいっとくけど、全部ホントのはなしだかんね』
「う、うん」
『今、ウチのガッコで「あーにゃんの紹介でごはん食べに行く」っていうパパ活? みたいのが回ってんの』
「え………?」
ソウシの表情が止まった。
『それで、今日ウチ友達に欠員が出てどーしてもって頼まれて飲み会行ったら、あーにゃんと勇者くんが居て……』
ミキちゃんは少し言葉に詰まる。
『それで……色々言われたけど……あー……なんかもうわかんない……』
ソウシの時間が止まった。
信じたくない。
何かの間違いであってほしい。
あーにゃんは、ずっと憧れてきた人だった。
配信を追いかけ、コメントを書き、画面越しの姿に何度も励まされてきた。
本人に会えたときなど、まともに頭が回らなくなるほど舞い上がった。
そのあーにゃんが、パパ活のようなことに関わっている。
すぐには受け入れられない。
けれど。
会場にはレンもいたという。
そして何より――ミキちゃんは、こんなことで嘘をつく子ではない。
もっと詳しく聞かなければならない。
それ以上に、いつもならもっと歯切れよく話すミキちゃんが、明らかに混乱していることのほうが気になった。
「ちょ、ちょっと待って」
『ん?』
「三木さん、今何処にいるの」
『ジュンク堂のまねきの前』
ソウシはすぐに頭の中で位置関係を思い浮かべた。
「直接話聞きたいんだけど、南池袋公園まで戻れる?」
『バ先の前の公園?』
「そう、俺、今から行くから。そこで待っててくれる?」
少し間があった。
『……わかった』
「……じゃあ、一回切るね」
電話を切る。
ソウシは机の上の参考書もノートもそのままにして立ち上がった。
長袖のTシャツの上へ、上着代わりのパーカーを引っ掛ける。
玄関を飛び出した。
………ミキちゃんが待ってる。
◇
夜の池袋を走り、ようやく南池袋公園の前までたどり着いた頃には、すっかり息が上がっていた。
「はぁ……はぁ……」
ソウシは肩で息をしながら、辺りを見回した。
少し向こうに、ワンピース姿の女性の後ろ姿が見える。
一瞬、それが誰なのか分からなかった。
ソウシの頭に浮かぶミキちゃんといえば、コンビニの制服姿か、仕事中に髪をまとめている姿ばかりだったからだ。
黒のオフショルダーニットワンピース。
肩を大きく出した、大人っぽいデザインだった。
緩めに巻かれた髪は片側へ流され、耳元では大きなフープの耳飾りが揺れている。
いつもの平成ギャルらしさはそのままに、今日はどこか上品な、大人っぽい雰囲気があった。
その女性がこちらに気づき、振り返る。
「……パイセン」
ミキちゃんだった。
――うわぁぁぁぁ、滅茶苦茶綺麗じゃん……。
心臓が一気に跳ね上がる。
ソウシはにやけそうになる顔を必死に抑えながら、できるだけ普通を装って近づいた。
「……はぁ、はぁ、ごめん、待った?」
「大丈夫っす」
二人の間に、少しだけ沈黙が落ちた。
夜の冷たい風が吹き抜け、ミキちゃんの髪を揺らす。
ミキちゃんがわずかに目を細めた。
……寒いのかな。
さっきまで胸の中を占めていた「綺麗だ」という感情へ、別の気持ちが差し込んでくる。
確かにその服はかわいい。
似合っている。
けれど、肩がかなり出ている。
もう夜は肌寒い。
それに、この格好で池袋を一人で歩いていて、もし変な奴にでも絡まれたら。
そう思い始めると、急に心配でたまらなくなった。
「三木さん、あのさ」
「はい」
「その格好、寒くないの?」
「はぁー?」
ミキちゃんが勢いよく立ち上がった。
そしてソウシの前で、ワンピースを見せつけるようにくるりと身体を回す。
「これ超オキニで頑張って買ったんだけど! パイセンちゃんと見て! めちゃかわじゃん! 爆イケじゃん!」
「いや、その……か、かわいいけどっ」
言ってしまった。
自分で口にした瞬間、ソウシは顔から耳まで一気に熱くなるのを感じた。
「……え」
ミキちゃんの動きが、一瞬止まった。
「いや、だから……その……」
ソウシは目を泳がせながら続ける。
「肌寒くなってきたし……そんなに肩出してたら風邪引いちゃうよ……それに……」
「それに?」
「お、女の子が夜、そんな格好で歩いてたら、危ないよ……」
「……え」
今度はミキちゃんのほうが、少しだけ間の抜けた声を出した。
ソウシは着ていたパーカーを脱ぐと、そのまま差し出した。
「これ着て」
「えー、やだあ。せっかく可愛くしてきたのにー」
ミキちゃんは露骨に口を尖らせる。
「ダメだって。肩に掛けとくだけでもいいから着て」
「ぶー」
不満そうな顔をしながらも、ミキちゃんは渋々パーカーを受け取った。
袖を通す。
「あははっ、ダブダブ」
余った袖や裾を見ながら、楽しそうに笑う。
ソウシ自身は、特別背が高いわけでもない。体格だって細身なほうだ。
それでも、自分の服を着たミキちゃんはずいぶん小さく見えた。
――やっぱ、女の子って小さいんだな……。
ソウシは、本日何度目か分からない胸の高鳴りに、またひとり耐えることになった。




