49話 足の裏の橋
春の稽古始めに、ヨナ婆は妙なことを言った。
「今日は剣を置きな。裸足になって、そこの薪の上に立つんだ」
庭の隅に割り薪が五本、間を空けて並べてあった。俺が冬に割った薪だ。言われた通り裸足になってその上に立った。
春とはいえ朝の薪は足の裏に冷たい。薪の丸みの上で体の重心が細かく揺れる。揺れを踝と膝で殺して静かに立つ。
立つだけでふくらはぎの奥が働き始めた。婆の稽古は立ち方ひとつからもう稽古になっている。
婆は俺の足元を杖で指した。
「流しを足へ通す。柄から剣先までやったのと同じことを、腰から足の裏までだ。堰の稽古は一度休み。こっちが先だと、冬の間に決めた」
「剣より先に、足ですか」
「あんたの剣は足で振ってるからね」
婆は当たり前のことのように言った。
「三年見てりゃ分かるよ。あんたの強さの根っこは手じゃない。石の座りを読む足と、崩れない腰だ。根っこに水をやるのが先さ。……それにね、剣より先に足へ通せる器なんてものを、あたしは五十年で初めて見るんだ。年寄りの楽しみを取るんじゃないよ」
冬の間に決めた、という言い方がまた小石になった。春までに堰の口伝をさらうと言った口が、堰を休ませて足を先にした。
順番を替えた理由もきっと冬の間に決めたのだ。俺は聞かずに足の裏に気持ちを下ろした。
聞かない代わりに覚える速さで応える。それがこの取引の俺の側の払いだった。婆は縁側に腰を下ろして湯呑みを抱えた。
春の陽が庭の薪の列と婆の白い髪を同じ色に照らした。咳がひとつ。それから講釈が始まった。
流しの道は体の外に出た瞬間に散る。だから体の中で完結する道を先に引く。足の裏は体の中でいちばん遠い岸だ。
遠い岸まで引けた道はもう体の外に近い。いつか灯りを外へ出す日の、これが下拵えになるのだそうだ。
◇ ◇ ◇
やってみると剣に通すのとは勝手がまるで違った。剣は握った手から先が一本道で迷いようがない。
足は違う。腰から膝、膝から踝、踝から足の裏へ。道が曲がって太さも変わる。
関の数が多いのだ。灯りは膝で滞り、踝で散った。膝を越えたと思えば、次は踝で堰き止まる。
皮肉なもので、堰の稽古で散らし続けた灯りが今度は勝手に堰き止まって困らせる。
同じ灯りが場所によって川にも堰にもなる。道具は一つで使い方が百ある。剣と同じだ。
婆は俺の膝の滞りを見るたび杖で軽く叩いた。叩かれた場所が不思議と次は通る。五十年の杖は詰まりの場所を先に知っている。
杖の先の教えもいつか俺の中の誰かへ移す。散った数を数える。初日五十三。二日目四十七。
三日目は雨で、囲炉裏端で膝までを往復した。四日目、膝を越える道がふいに太くなった。
五日目は踝、六日目も踝。七日目の夜、踝の関が音もなく開いた。八日目九日目と道を均す。
均すというのは婆の言い方で、要は失敗を減らす反復だ。通っては切れ通っては切れする道を、切れ目の場所ごと覚えていく。
覚えた切れ目は二度と同じ場所では切れない。人並みの三年が十日で済む理由は、たぶんこの一点に尽きる。
俺はしくじりを失くさない。夜は納屋で薪を一本だけ床に置いて立った。昼の庭と夜の納屋、場所を変えて同じ稽古をする。
場所が変わっても出るものだけが実戦で出る。十日かけて右の足の裏へ細い一筋が届いた。
◇ ◇ ◇
届いた朝のことは忘れないと思う。薪の上に立った足の裏が薪の木目を読んだのだ。
目で見るより先に、乾いた割れ目の走り方と次に体重を乗せたら鳴る場所とが、足の裏から膝へ、膝から腰へ絵になって上がってくる。
兎場で十年、目と勘で読んできたものが、いきなり一段深い場所から届いた。
「……婆さん、これは」
「石の目も泥の底もいずれ雪の下も読めるようになるよ。あたしの師匠はこれで夜道を提灯なしで歩いた」
婆は満足そうに咳をした。咳は春になっても抜けていない。抜けていないのに、教える声だけは冬より張っていた。
張った声の分だけ俺は不安になる。人は残りを数え始めると声が張る。嫌な数え方だと自分でも思う。
思いながら数えるのをやめられない。
「言っとくがね、剣先の堰より、こっちのほうがよほど十年ものだ。人並みの奴なら、足の裏に一筋通すのに三年かかる。あんたは十日だ。なぜだか分かるかい」
「……足だけは六つの頃から毎日鍛えているから、ですか」
「そういうことさ。注いだ年数の分しか、道は太くならない。あんたの足には十三年分の道が、もう掘ってあったんだよ」
六つの春の丘の足運びから、雨の日も雪の日も休まなかった足から。どこで効いてくるか分からないものが、十三年目にこういう形で効いてくる。
これだから毎日はやめられない。婆は縁側から杖の先で俺の右足を指した。
「その一筋、まだ豆粒の糸だ。切らさず太らせな。左足は右が育ってからでいい」
「はい」
「それとね」
婆は少し間を置いた。
「季節のいいうちに、教えられるだけ教える。夏の分も秋の分も前倒しだ。文句は聞かないよ」
前倒し。その言葉も小石になって足の裏に残った。
◇ ◇ ◇
稽古の帰り、俺は夜道の石を足の裏で数えながら歩いた。まだ右足だけ、それも豆粒の灯り一筋分だ。
読めるのは踏んだ石の座りと、次の一歩の下の緩みくらい。それでも世界の手触りが一段増えた。
目と耳と鼻の他に足の裏という頁が開いたのだ。兎場の道も河原の石も、明日からは新しい頁で読み直せる。
読み直すたびに古い場所が新しい場所になる。十年通った道に、まだ初めてが埋まっている。
提灯なしで歩けるのはずっと先の話だろう。だがこの一筋は明日も明後日も、死ぬまで細らない一筋だった。
納屋に戻って帳面を開いた。足の裏、右に一筋。十日。婆の見立て、堰より十年もの。
書きながら婆の言葉を並べ直した。冬の間に決めた。生きてるうちに伝え終わりたい。
剣より先に足。並べると見えてくる形がある。婆は教える順番を残り時間から逆に引いて組んでいる。
いちばん時のかかる十年ものをいちばん先に。俺に三年分を十日で渡せる場所から先に。
順番の意味を俺は覚えておくことにした。いつか俺が誰かに渡す側になった時のためにだ。
テムに型を渡す順番も、たぶん同じ理屈で組み直せる。教わり方の中に教え方が埋まっている。
婆の咳がひとつ、講釈の区切りに落ちた。俺は聞こえなかった顔で次の問いを出した。
問いの数だけ婆の声は張る。張っている間は咳の入る隙間がない。見えた形は帳面に書かなかった。
書く代わりに、明日の薪の数を一列増やすと決めた。増やした薪が婆の何を延ばせるのか、本当のところは分からない。
分からないまま俺は手を動かす側でいる。祈りの形はこの冬から変わっていない。帳面を閉じて、右の足の裏を一度だけ床に押し付けた。
板の下の土の締まりまでうっすらと届いた。届いた分だけ今日も道は太くなった。
明日はもう半筋。急がず切らさず細く長く。春の薪割りは冬の薪割りより意味がある。
次の冬まで婆が笑って咳をするための先払いだからだ。夜道の最後の角で、足の裏が緩んだ石をひとつ読んだ。
避けて踏まずに通り過ぎる。こういう一歩の一つ一つがいつかどこかで命の分かれ目になる。
十三年が今日効いたように、今日の一筋がいつか効く。




