47話 五人目の椅子
冬の終わり、灰羽の溜まりに呼ばれて炉端に座らされた。溜まりは組合裏の古い納屋で、真ん中の炉にいつも太い薪が一本入っている。
盾持ちが鍋をつつき、セドが槍の柄を磨き、ガッシュが炉の正面にいた。俺の席はいつもは戸口に近い端だ。
端の席は嫌いではない。出入りが見えて風の音が聞こえて、逃げ道の算段が立つ。兎場の癖だ。
抜けない癖は直さないことにしている。命を拾ってきた癖は癖ではなく型だ。その日はガッシュの向かいに座らされた。
席の位置で話の重さが分かる。炉の薪がぱちりと爆ぜた。この納屋には隊の四年分の煤が染みている。
壁の掛け具にはガッシュの古い斧が一本、飾りみたいに掛かっている。柄が折れたやつだ。
何の折れ方かは誰も話さない。話さない話の数だけ隊は続いてきたのだと思う。全部を言葉にしない場所は居心地がいい。
盾持ちと目が合うとにやりとされた。隊の全員が話の中身を先に知っている顔だった。
ガッシュが酒を一杯だけ注いで、前置きなしに言った。
「正式に五人目に入れ。半分じゃなく、丸ごとだ」
沼の大鋏。冬の狼。この二年灰羽の仕事で俺が拾った場数は、確かに一人歩きの銅札が拾える量ではなかった。
隊に入ればそれが倍になり、実入りも安定して冬の飯の心配も消える。断る理由を探すほうが難しい話だった。
前世の俺なら迷いもしなかったと思う。正規の口。安定した実入り。肩書のある居場所。
欲しくて欲しくて頭を下げ続けて、手に入らなかったものだ。それが今、炉の向こうから酒と一緒に差し出されている。
一度だけ杯の中の揺れを見た。村を出て四年、銭の心配で稽古を削った日は一日も無い。
削らずに済んだのは半分の椅子がくれた場数のおかげでもある。恩と誘いを同じ皿で量らないように気をつける。
炉の火が薪の節ではぜた。
「ありがたい話です。ですが半分のままでお願いします」
鍋をつつく音が止まった。
「理由を言え」
「俺の稽古は朝と夜の一人の時間で鍛える種類のものです。丸ごと入れば、その時間が隊の都合で削れる。削れても俺は文句を言えません。丸ごとというのは、そういう意味ですから」
ガッシュは酒を舐めて長いこと炉の火を見ていた。セドが柄を磨く手を再開して低く笑った。
「言うと思った」
「賭けてたのか」
「盾と。俺の勝ちだ」
盾持ちが舌打ちして銅貨を一枚セドに投げた。この隊のこういうところが俺は好きだった。
断っても座は寒くならない。盾持ちは負けた銅貨の分だと言って、俺の杯に酒を注いだ。
「なら半分の分も飲め。うちの酒は椅子の付いてる酒だ」
椅子の付いてる酒。うまい言い方をするものだと思いながら一口だけ受けた。酒は稽古の敵だ。
だが今夜の一口は稽古の外の勘定だった。
「損な男だな。丸ごと入りゃ、実入りも名前も倍になる。銀への道も近くなる」
「近道は俺には効かないんです」
「……前から聞こうと思ってたがな。おまえのその妙な確かさは、どこで買った」
「村の師匠に。千日ほどかけて」
「千日か」
ガッシュは笑って、それ以上は聞かなかった。聞かないのがこの男の器だった。代わりにガッシュは炉の灰を掻きながら言った。
「千日、同じことをやらせる師匠と、千日やり通す小僧か。……どっちも化け物だな」
「師匠は化け物です。膝を悪くするまで、銀札でした」
「元銀か。道理でな」
道理での中身をガッシュは言わなかった。言わなくても俺の型のどこかに爺の型が透けて見えるのだろう。
「なら椅子は空けとく。半分の五人目の椅子だ。他の奴は座らせん。その代わり、でかい仕事の時は最初におまえに声をかける。文句あるか」
「ありません」
「もう一つ」
ガッシュは炉の火から目を離さないまま言った。
「銀を狙う気になったら言え。推薦状はな、二年前から書けてる。日付だけ空けてある」
二年前から。沼より狼よりずっと前からということだ。俺は杯を置いて頭を下げた。
下げながら胸の中で、その紙の白い日付の欄を思った。白いままの欄をこの男は二年、黙って持っていてくれた。
急かしもせず腐しもせず。これも器だ。銀という札の重さを、俺はこの夜初めて紙の側から見た。
書ける人間が書かずに待つ。待てることが、たぶん書けることより難しい。俺は待たれている。
その重さを腹の底に一枚敷いた。急ぐ理由にはしないが、怠ける言い訳の上にはこの一枚が乗る。
いい重石を貰った夜だった。俺が目指す銀は札の色である前に、こういう器の話なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
鍋が空になる頃、盾持ちが言った。
「しかしよ、春からまた忙しくなるぜ。山がこの調子だとな」
「亀に、蟹に、狼か」
「奥の調査依頼、まだ板に貼りっぱなしらしいな。銀向けの」
「銀が足りてねえのさ、この街は」
セドがちらりと俺を見た。見られた意味は分かったが、俺は杯の酒を飲むだけにした。
札が先で腕が後の順番は背伸びと同じ形だ。背伸びした木札から死ぬ、と四年前の護衛頭は言った。
あれはたぶん木札だけの話ではない。セドはそれ以上は勧めなかった。この隊の連中は引き際の呼吸まで揃っている。
長生きの隊というのはそういうものらしい。鍋の底が見える頃、盾持ちが炉に薪を足した。
火の粉が上がって梁の煤に消えた。こういう夜が隊の四年分の煤になっていく。俺の四年も少しだけ混ざった。
◇ ◇ ◇
溜まりを出ると雪の残りが月で光っていた。推薦状の日付はまだ空いたままでいい。
銀の札は俺の腕が銀になった日に貰いに行く。ただ炉端に俺の椅子が一つある、というのは悪くなかった。
村を出て四年目の冬。俺はこの街に帰る納屋を一つと、置いてある椅子を一つ持っていることになる。
皿の外の財産も少しずつ増えている。納屋への帰り道、月明かりの下で今日の話をもう一度歩き直した。
丸ごとの誘いを断って椅子は残った。断り方を間違えれば、椅子ごと失くす話だった。
正直に理由を言う。それしか俺は知らないし、それで通る相手を俺は選んで付き合ってきた。
ガッシュ。ベルガ。バレン。ネラ。婆。顔ぶれを数えて気づいた。
この街で俺が信を置く人たちはみんな、俺の妙さをどこかで見抜いて、それでも詮索しなかった人たちだ。
秘密を持つ者の付き合いは、詮索しない人の目利きから始まる。爺の言いそうなことだと思って少し笑った。
納屋に戻ると冷えた部屋の暗がりで灯りをひとつ点した。豆粒の灯りが板壁の木目を照らす。
四年前にこの街へ来た夜は灯りひとつ点せなかった。部屋は同じで、住んでいる男の中身だけが少しずつ変わっている。
帳面に書く。半分の五人目の椅子、正式に決まる。推薦状、日付なしで二年前から在り。
銀への道は急がず、しかし逸れずに。書き終えて頁を一枚めくった。白い頁の手前にこの冬の頁が並んでいる。
狼の六頭。堰の四百八十。婆の咳。爺の細い字。増えたものと減っていくものが同じ帳面に並んでいる。
どちらも俺の運ぶ荷物だ。荷物は重いほうから順に持つ。明日の朝も河原からだ。夜具に入る前に、椅子と一言だけ呟いてみた。
悪くない響きだった。響きに甘えない程度に大事にする。重石の載った帳面は風でめくれない。
書き終えて最後にもう一行。でかい仕事の時は最初に声がかかる。その「でかい仕事」が春の山から来る気がしてならない。




