40話 三年目の夏
夏の終わりの夕方、俺は河原で一人棚卸しをした。灰羽の隊は休みで、テムは兎場、婆さんは家で咳もせずに薪を待っている。
誰もいない河原で川音だけを聞きながら、帳面を心の中で開いた。三年目の帳面は厚い。
灰羽の半分の五人目。四泊五日の沖の森。大牙猪の半歩。柄まで、そして切っ先まで通った流し。
岩山の崖の下で数えた、岩蛇の主の音の記録。どれも去年の帳面にはなかった頁だ。
一年でこれだけの頁が増えた。派手な手柄はひとつもなく、大牙猪も俺は半歩を振っただけだ。
岩蛇の主も姿すら見ていない。それでも頁は確かに増えた。増えた頁は二度と白には戻らない。
それが俺の一年の数え方だった。兎場のテムはあれから一人で兎を九羽獲って、まだ生きている。
背伸びの目をしていた木札が九羽の兎で足を覚えた。教えた型がテムの皿で育っている。
二対一の稽古は死ぬ数が五から二になった。二はまだ死ぬ数だ。だが去年の五に今年の二は、たぶんもう負けない。
この勝負に限っては俺はいつも去年の自分に勝つ。皿が漏れないというのはそういうことだ。
先週の俺と今週の俺が立ち合えば必ず今週が勝つ。昨日の自分にだけは絶対に負けない。
それが俺のたったひとつの無敗の勝負だった。
◇ ◇ ◇
灯りは豆粒のまま、二十を数えても消えなくなった。三年前、掌に針の先が点った夜が遠い。
針の先から豆粒へ。三つから十へ、二十へ。遅いが一度も後ろへは戻っていない。
剣へ通す流しは三呼吸が五呼吸になった。ヨナ婆の言うとおり実戦にはまだ遠い。
遠いが、この五呼吸は利子のつく五呼吸だ。俺の橋は毎晩目に見えない一寸ずつ伸びている。
ヨナ婆の庭の薪の山はまた低くなっていた。割った薪の数だけ俺の軸は据わり、婆さんの冬支度は進んだ。
婆さんの咳はまだ出ないし膝もまだ動く。だが五十年やった甲斐があったと、婆さんは流しが切っ先まで通った日に言った。
あの言葉を俺は急いで受け取っている。伝え終わりたいと願う人の教えを取り漏らさないように。
派手な伸びはどこにもないが、伸びない夜も後ろへは戻らない。それが俺の器のただひとつの取り柄だった。
◇ ◇ ◇
カイの腕は秋には剣を握れると聞いた。左腕の骨は繋がった。あの綺麗な速さがどう戻ってくるのか、それとも戻らないのか。
俺には分からない。分かるのは岩蛇の鱗の話をした時、あいつの目がまだ死んでいなかったことだけだ。
死んでいない目はまた上を見る。削れても渇いても、あいつはまた崖を登るだろう。
物差しは多いほうがいい。ダンの物差し。カイの物差し。いつか二本とも俺の現在地を測り直しに来ればいい。
ダンは王都の兵団で駆け上がっているだろうし、カイは削れながらもまた崖を登るだろう。
二人とも俺のはるか先を走っている。だが走る速さと走り続ける長さは別の話だ。
速い二本の物差しがいつか止まる日が来る。その日、俺はまだ同じ道を同じ速さで歩いている。
止まった物差しと歩き続ける俺が並ぶ日。それが遅い器に許された、たったひとつの追い越しだ。
来るかどうかは分からない。だが来ないと決まってもいない。その日の俺の高さは、その日までの毎日が決める。
◇ ◇ ◇
夕暮れの河原で素振りをした。六つの春から数えて十二年目の素振りだ。同じ型を同じ数。
振る型は六つの時と何ひとつ変わらない。変わるのは振るたびに足の下の石の座りが読めることだ。
汗の出方に無駄がなくなったことだ。去年より半寸深く腰が沈むことだ。誰の目にも映らない半寸。
その半寸を俺だけが知っている。石の座りを読む足は、兎場と泥の街道と岩山の崖で鍛えたものだ。
汗の無駄のなさは丘の千日からずっと削り続けてきた。半寸深い腰はテムに型を教えた日、言葉に割った分だけ沈み直した。
どの半寸もどこかの一日から運ばれてきている。一本の素振りの中に三年ぶんの日々が全部畳み込まれている。
同じ型を同じ数振っても中身は毎年違う。外から見れば同じ素振りだが、中では三年ぶんの地力が一振りごとに静かに音を立てている。
派手な変化は一年経ってもどこにもない。だが半寸は確かに深くなった。俺の皿は今日も漏れていない。
◇ ◇ ◇
百本振った。六つの春から毎日欠かさず、旅の空でも傷を負った日でも、この百本だけは振ってきた。
振り終えて川の水で顔を洗った。水面の男は村を出た日より首が太く、目が静かになっていた。
まだ銅札だ。カイは一年半で銀、俺は三年でまだ銅。人に語れば鼻で笑われる歩みだろう。
岩蛇の鱗一枚にも届かない。銀札二隊が尻尾の先も止められなかった獣だ。いまの俺ではその姿を見る場所にすら立てない。
それでいい。現在地の分かっている旅は迷わない。この旅の路銀は毎日必ず貯まっていく。
カイは速く登って削れ、俺は遅く登って削れない。三年で俺はまだ銅札のままだ。
だが三年ぶんの段は一段も飛ばさずに埋まっている。水面の静かな目がそれを教えてくれた。
三年前村を出た朝、俺は焦っていた。早く強くなって早く上へと、心のどこかで急いていた。
いまは急いていない。急いても俺の伸びは変わらないと体で知ったからだ。変わらないなら焦りの分だけ損だ。
カイに答えたあの半分の真実は、いまや俺の全部の真実になっていた。焦らないことは悟りではない。
ただ焦っても仕方がないと三年かけて腹に落ちただけだ。腹に落ちた分だけ目が静かになる。
水面の男の静かな目は、その三年の証だった。
◇ ◇ ◇
焦らない。休まない。死ぬまで重ねる。三年前、初めての冬に唱えた言葉と一字も違わない。
同じ言葉で三度目の夏を締められることが、たぶん俺のいちばんの財産だった。三年で俺の周りはずいぶん動いた。
ロイクは北の山へ、ダンは王都へ、カイは銀札の崖へ。ヨナ婆は講習から庭へ、爺は杖一本から二本へ。
みんなそれぞれの場所へ動いた。俺だけが同じ河原で同じ型を同じ数振っている。
動かないことが俺の動き方だった。言葉が変わらないのは道が揺れていない証だ。
四年目の帳面はまだ白い。白い頁というものはいつ見ても少しだけ胸が鳴る。三年前この胸の鳴りは、少し恐れに近かった。
埋められるだろうか、という不安の鳴りだ。いまは違う。恐れではなく、これから重ねる日々のぶんの白さだ。
埋める頁が残っているというのは、まだ先があるということだ。その白を明日からまた一行ずつ埋めていく。
四年目には二対一を二から一へ、流しを五呼吸から七呼吸へ、灯りの二十を三十へ。
テムの受けの型をもう一段。やることはもう帳面に並んでいて、どれも去年から続く稽古のただの続きだ。
新しいことは何もしない。続けることだけを続ける。夕日が河原の石を赤く染めた。
三年前、村の丘を染めた夕日と同じ色だった。場所は変わっても頭の上の当たり前は変わらない。
その当たり前の下で俺は明日も素振りを振る。三度目の夏が静かに暮れていく。俺の札は木でも銅でもなく、毎日だ。




