31話 五人目の話
三年目の春が来た。
村を出て、三度目の春だ。
三年目は、誘いから始まった。
「ルド。灰羽の五人目にならねえか」
河原の稽古上がりに、ガッシュが切り出した。
三年目の春、二対一で死ぬ数は、五から四に減っていた。
その朝も、四回死んで、四回とも立ち上がった。
汗を拭く俺に、ガッシュは石の上から声を投げた。
盾持ちと槍持ちが、木剣を仕舞いながら、こちらを見ている。
冗談の顔では、なかった。
灰羽の隊は、長く四人でやってきた。
仕事の口が増えて、手が足りない。
それで五人目を入れるなら、素性の知れた奴がいい。
二冬、河原で殴り続けた銅札なら、素性は嫌というほど知れている。
腕の知れない新入りを隊に入れるのは、命を賭ける博打だ。
隊の戦いは、一人の乱れが、五人の死になる。
だから隊は、腕より先に、人柄を見る。
逃げない奴か。荷を捨てない奴か。勝手に飛び出さない奴か。
その三つを、俺はこの二年、河原で三人に見せ続けてきた。
見せようとしたのではない。
ただ、負けても顔を伏せず、次の稽古へ来ただけだ。
どこで気を張り、どこで退がり、負けをどう数えるか。
二年ぶんの立ち合いで、この三人は俺の中身を、俺以上に見ている。
そういう理屈だった。
ありがたい話だ。
そして、即答できない話だった。
◇ ◇ ◇
隊に入るというのは、隊の皿に、自分を注ぐということだ。
灰羽の戦いは、見事な一枚の皿だった。
盾が受け、槍が刺し、斧が落とす。
その皿に俺が入れば、俺の場所が決まる。
俺の役目が決まり、俺はその役目の名人になっていくだろう。
それは、強さだ。
役目の決まった稽古は、迷いがなく、速く身につく。
迷わないというのは、恐ろしいことでもある。
旗を振る役に慣れれば、剣を抜く場面で、体が旗を探す。
場所が決まるとは、体が場所を覚えるということだ。
覚えた体は、決まった場所の外で、半拍遅れる。
牙犬の日の、あの半拍を、俺はもう知っている。
だが同時に、決まった場所しか鍛えられなくなる、ということでもある。
旗を振る役なら、旗ばかりが上手くなる。
俺の体質は、注いだものを、何でも貯める。
だったら若いうちは、注ぎ口を狭めたくない。
いま狭めた注ぎ口は、そのまま十年の形になる。
剣も、灯りも、護衛も、まだ全部が伸び盛りだ。
どれかひとつの名人になるには、俺の人生は、まだ若すぎた。
カイのことを、少し思った。
あいつは、速さという一枚の皿に、全部を注いだ。
だから、速い。
だが、速さ以外の皿は、薄いままだ。
注ぎ口を一つに絞った者の、当然の姿だった。
俺は、あいつのようには、なれない。
なれないなら、逆を行く。
薄い皿を、何枚も持つ。
どれも名人には遠いが、どれも一生かけて厚くする。
薄い皿が十枚あれば、いつか一枚の名人の皿と、渡り合える日が来る。
来ないかもしれない。
だが、来ないと決まってもいない。
決まっていないなら、鍛えるだけだ。
身につけたものは、減らない。
減らないものを鍛え続ける限り、可能性の頁は、白いまま残る。
白い頁を、恐れではなく、楽しみとして持てる者だけが、遠くまで行ける。
◇ ◇ ◇
一晩、納屋の二階で考えた。
断れば、この先、隊の大物の戦いは見られない。
受ければ、一人働きの場数が細る。
どちらも、惜しい。
両方欲しい、と思った。
欲張りだと、自分でも思う。
だが、俺の体質は、欲張りに向いている。
二つ注げば、二つとも貯まる。
零れさえしなければ、欲張りは損にならない。
問題は、断り方だった。
まるごと断れば、せっかくの縁が切れる。
まるごと受ければ、注ぎ口が絞られる。
どちらも、したくない。
両方を欲しがる返事を、どう言えば角が立たないか。
一晩の半分は、その言い回しに使った。
結局、正直に欲張るしかない、という結論になった。
小細工は、ガッシュの前では効かない。
あの男は、まっすぐな言葉しか信じない。
翌朝、俺は変な返事を持っていった。
「季節ごとの雇われにしてもらえませんか。遠征と大物のときだけの五人目で。ふだんは今までどおり、一人で地味な紙を回します」
「……おまえなあ」
ガッシュは、呆れて笑った。
「隊の飯と一人の場数、両方寄越せってか。欲張りめ」
「はい。欲張りです」
「いいだろう。どうせ断られると思ってた。半分でも取れりゃ上等だ」
断られると思っていた、という一言に、俺は少し驚いた。
この誘いは、断られる前提だったらしい。
それでも、声をかけてくれた。
半分でも取れれば上等だと、最初から半分を見込んでいた。
ガッシュは、俺が注ぎ口を絞りたがらない男だと、とうに読んでいたのだ。
読んだ上で、いちばん俺に合う形を、向こうから残しておいてくれた。
拍子抜けするほど、あっさりだった。
あとで槍持ちに聞いたら、賭けをしていたらしい。
俺が「まるごと断る」に、槍持ちが賭けていた。
半分で乗ってきたのは、三人とも読み違えたそうだ。
「おまえは、ほんとに読めん」
と、盾持ちが笑った。
読めないのは、たぶん、俺の物差しが人と違うからだ。
人は、速く登りたがる。
だから、隊に入れと言えば、喜んで入る。
俺は、速さより幅を取る。
その物差しは、この稼業では、少数派だ。
少数派の物差しを、笑わずに残してくれる隊に出会えたのは、運がよかった。
◇ ◇ ◇
こうして俺は、灰羽の隊の「半分の五人目」になった。
紙一枚の契約もない、口約束の妙な立場だ。
組合の帳面には、載らない。
載らないが、要る時には呼ばれ、要らない時には自由がある。
だがこの妙な立場は、隊戦の皿と、一人の皿の、両方に注げる。
大物の日は、隊の一枚の皿の中で、役目を果たす。
地味な紙の日は、一人で全部の役目を、細くこなす。
二つの稽古の場を、季節で行き来する。
春と秋の、実りの季節は、一人で地味な紙を回す。
夏の大物と、冬の遠征は、隊の五人目として出る。
季節が、俺の注ぎ口を、自動で切り替えてくれる。
どちらの季節も、稼業は続く。
どちらの季節も、皿は増える。
欲張りの、いちばんいい形だった。
帳面の新しい頁に、俺は隊の名を書いて、その横に小さく「半分」と書き足した。
半分。
いまは、半分だ。
半分の五人目という立場を、俺は気に入った。
どこにも、まるごとは属さない。
隊にも、半分。一人働きにも、半分。
半分ずつ、二つの場所に足を置く。
どちらかが折れても、もう片方が残る。
ロイクの右手が教えた、塔の数の話が、こんな形でも効いていた。
欲張りの半分は、二年後に、倍になって返る。
隊で覚えた役目が、一人働きを助ける。
一人で広げた幅が、隊の中で効く。
護衛で覚えた「守る側の筋」は、隊の荷を守る時に効くだろう。
河原で覚えた「二対一の線」は、隊が崩れて数で負ける時に効くだろう。
兎場で覚えた「森の当たり前」は、遠征の見張りで効くだろう。
どの塔も、隊の中で、一度は出番が来る。
出番の来た塔から、また一段、厚くなる。
二つは、いつか梁で繋がる。
その晩、俺は灰羽の三人に、酒を一杯ずつ奢った。
半分の五人目の、挨拶代わりだ。
銭は、また兎場で稼ぎ直せる。
だが、命を預け合う相手への挨拶は、けちってはいけない。
これも、爺に教わった性分だった。
盾持ちは、俺の奢りを一杯で止めた。
「新入りに奢らせすぎると、あとで効くからな」
効く、というのは、貸し借りの話だ。
隊の中の貸し借りは、戦いの場で命の順番になる。
だから、挨拶は一杯まで。
その一杯の重さを、俺は帳面に書いた。
隊の作法、ひとつ。
貸し借りは、軽く保つこと。
半分から始めて、いつか倍にする。
それが、遅い器の、遠回りの近道だった。
俺の体質は、そういう勘定だけは、絶対に裏切らない。




