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漏れない器 ~才能はないが、鍛えたものは消えない~  作者: 白雨


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25 二対一

「金は払います」


「馬鹿。酒でいい」


灰羽の隊の休みの朝に、河原で稽古をつけてもらうことになった。


相手は、盾持ちと槍持ちの二人がかり。得物は木剣。


本物の二対一を、木剣で写し取る。


木剣なら、死んでも立ち上がれる。


立ち上がれる場所で、十三回死んでおけば、立ち上がれない場所で死なずに済む。


二対一の型を教わりたいと頼んだら、ガッシュは嫌な顔ひとつせず、自分は河原の石に腰を下ろして、見物に回った。


頼んだ晩のことは、少し書いておく。


牙犬の四頭の話をしたら、盾持ちは俺の左腕の布を一瞥して、それで全部を察した顔になった。


銅札の一人働きで、二対一を喰らって、生きて帰ってきた。


なら、次に要る稽古はひとつしかない。


言葉より先に杯を空けて、朝の刻限だけを指定された。


この隊の連中は、稽古を頼まれるということの重さを、知っている。


命の掛かった頼みごとには、値切りも世辞もない。


だから、酒でいいという返事は、いちばん重い引き受けだった。


安く引き受けたのではない。


銭で量れないから、酒にした。


牙犬の話を聞く間、槍持ちは何も言わなかった。


ただ、俺の腕の布の巻き方を、じっと見ていた。


傷の浅さと、布の丁寧さで、こいつがどう戦って生きて帰ったかを、読んでいたのだと思う。


読み終えて、槍持ちは短く言った。


「石があってよかったな」


「次は、石がないかもしれません」


「だろうな。だから来たんだろ」


それで、話は済んだ。


この隊の連中は、要る稽古を、こちらが言う前に見抜く。


言わせないのが、優しさの形だった。


◇ ◇ ◇


最初の朝、俺は十三回死んだ。


数えていたのは、俺だけではない。


盾持ちが「十三」と言って、木剣を下ろした。


十三。


その数字を、俺は恥じなかった。


恥じる代わりに、帳面の一行目へ書いた。


数えられる負けは、減らせる負けだ。


前世の道場で、二人がかりの乱取りをやらされた日を、少し思い出した。


あの頃は、両方を同時に相手取ろうとして、両方に打たれた。


二人を一度に見ようとするほど、どちらも見えなくなる。


三十五年生きても、答えは出なかった。


今世で、その答えが、河原の泥の上に転がっていた。


二人を同時に相手取らない。


一度にひとりしか届かない場所へ、回り続ける。


二対一は、腕の勝負ではなかった。


場所の勝負だ。


二人が同時に振れる場所に立った瞬間、俺は死ぬ。


盾の陰から、槍が来る。


槍を見れば、盾が来る。


二人はふたつの点ではなく、一枚の広い刃だった。


なら、刃の狭いところへ回り続けるしかない。


二人が縦に並ぶ線。


どちらか一人しか届かない線。


その線は止まっていてはくれず、俺が半歩動けば、一呼吸で引き直しになる。


線は、生き物みたいに、こちらの足に合わせて逃げる。


逃げる線を、逃げる先で捕まえる。


つまり、これは足の稽古だ。


丘の千日の、その先の千日。


剣を振る稽古ではなく、立つ場所を選ぶ稽古。


分かってしまえば、やることはいつもと同じだった。


地味な足の反復。それだけだ。


◇ ◇ ◇


稽古の中身は、日を追って細かくなった。


最初の六日は、線の見つけ方。


二人の肩の向きと、盾の高さと、槍の穂の下がり方。


三つを同時に読むと、次の一呼吸の線が、浮かぶ。


最初は、三つのうち二つしか見られなかった。


盾を見れば、穂を見失う。


穂を見れば、肩の向きが抜ける。


三つを一度に目へ入れるのに、まず数日かかった。


人の目は、二つまでしか同時に見られない。


三つ目は、目で見るのをやめて、気配で置く。


その置き方を、六日で少しだけ覚えた。


次の六日は、線への乗り方。


見つけた線に馬鹿正直に乗ると、乗った先で待たれる。


だから、半歩ずらして乗る。


ずらし方に、俺の癖が出る。


右へずれる癖だ。


二人はそれを覚えて、右で待つようになった。


稽古相手が、こちらの癖を覚えてくれるのは、ありがたい。


覚えた相手に読まれることで、自分の癖を知る。


癖は、殺す。


癖を殺す稽古は、素振りの割り付けに混ぜて、朝の空き地で毎日さらった。


右へ三回ずれたら、四回目は左。


数で、癖を割る。


河原の稽古は月に数日でも、河原のための稽古は毎日できる。


朝の空き地では、相手のいない二対一をさらった。


地面に、盾持ちと槍持ちの立ち位置を、石で置く。


二つの石の間の、届かない線を、足だけで辿る。


相手がいなくても、線は引ける。


線を引く足だけなら、ひとりで一万回さらえる。


河原で覚えた線の形を、空き地の石で塩漬けにして、次の河原まで腐らせない。


できることを毎日する。


それだけが、俺の速さだ。


◇ ◇ ◇


十三が十一になるのに、六日かかった。


十一が九になるのに、もう六日。


月の終わりに、七まで減った。


減り方は、まっすぐではなかった。


線を掴んだ日は、二つ三つまとめて減る。


相手が本気になった日は、逆に一つ二つ、増える。


増えた日も、俺は帳面に正直に書いた。


増えた数をごまかせば、稽古がごまかしの形で身につく。


牙犬の日の半拍を、恥じずに書いたのと同じだ。


負けの数は、正直に数えたぶんだけ、減る。


「なあ」


見物のガッシュが、石の上から言った。


「おまえの稽古は薄気味悪ぃな。負けるたびに顔が明るくなりやがる」


「減ってるんで」


「そういうとこだぞ」


盾持ちと槍持ちの側も、途中から本気の顔になっていた。


手加減の抜けていく速さが、俺の減りの速さの証だった。


最初は、遊んでくれていた。


盾持ちは、わざと盾を高く上げて、槍の来る道を見せてくれた。


槍持ちは、突きの前に一度、穂を下げて予告してくれた。


俺が線を掴むたび、その親切がひとつずつ消えた。


盾は道を隠し、穂は予告をやめた。


親切が消えるのは、こちらが一段上がった証だ。


だから、相手が本気になるほど、俺は嬉しかった。


九回の頃には、槍持ちの突きが、仕事の速さになっていた。


七回の日、盾持ちの盾の縁が俺の額を掠めて、ガッシュが初めて見物の石から、腰を上げかけた。


そこまでやってもらえる稽古は、銭では買えない。


酒でも、安いくらいだ。


七回死ぬ男は、まだ弱い。


十三から減ったとはいえ、七回は七回だ。


だが減った六つは、もう戻らない六つだ。


俺の皿は、漏れない。


先週の俺と今週の俺が立ち合えば、七対十三で今週が勝つ。


この勝負に限っては、俺は連戦連勝の無敗でいられる。


昨日の俺に負けることだけは、絶対にない。


◇ ◇ ◇


稽古上がりの河原で、槍持ちが一度だけ言った。


「おまえの外し方は、槍側から見ると嫌な外し方だ。穂の走る線のいちばん嫌なところに、いちばん嫌な拍で入ってくる」


あの年かさの護衛の、二本の線の講釈が、根っこにある。


うんと外か、うんと中。


半端な帯に立たない足は、二対一の線の稽古と、まっすぐ地続きだった。


街道で聞いた一言が、河原の稽古で梁になる。


稽古は、思わぬ棚と思わぬ棚が、あとから梁で繋がる。


繋がった日の楽しさは、重ねた者にしか分からない。


重ねていない者には、そもそも棚が見えない。


酒代のほうは、素直に痛かった。


盾持ちと槍持ちは、揃ってざるだった。


月の終わりの精算で、俺の財布は兎五体ぶん軽くなっていた。


銭は、減った。


だが銭は、また兎場で稼ぎ直せる。


二対一の六つは、兎場では手に入らない。


学べる場所でしか買えないものに、惜しまず銭を払う。


その両替は、いつだって釣りが来る。


帳面には、こう書いた。


二対一、十三から七。


授業料、兎五体。


繋がった梁、ひとつ。街道の線と、河原の線。


来月も、河原へ行く。


七を、五にする。


五を、三にする。


いつか、石のない場所で左右から来られても、止まらない足になるまで。

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