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漏れない器 ~才能はないが、鍛えたものは消えない~  作者: 白雨


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24 二頭目

東の村はずれ、牙犬三頭の見立ての駆除。


銅札が一人で受けられる、いちばん地味な部類の紙だ。


依頼主は炭焼きの組で、窯場の近くに牙犬が居着いて、炭運びの道が使えないという。


命の値は安いが、炭が運べなければ、村の冬の火が細る。


地味な紙の裏には、たいてい、誰かの暮らしがぶら下がっている。


日当の高い紙は、獣が強い。


日当の安い紙は、獣は弱いが、待つ人が多い。


俺は、待つ人の多い紙のほうが、性に合っていた。


受付で、ネラが見立ての元を教えてくれた。


足跡と、糞と、夜の遠吠えの数。


村の狩人の読みで、三頭。


見立てより一頭多いのは、よくあることだと、ガッシュから聞いていた。


群れの端には、数に入らない若いのがくっついている。


遠吠えに声を混ぜない、まだ半人前の一頭だ。


だから頭数は、聞いた数に一を足して備える。


三と聞いたら、四で構える。


備えの一頭は、いてくれるなという祈りではなく、いる前提の一頭だ。


祈りは、皿にならない。備えだけが、皿になる。


◇ ◇ ◇


東への道すがら、俺は窯場の地形を、頭に描いた。


炭焼き小屋。石積み。窯の煙。


水場はどこか。風はどちらから吹くか。


着いてから最初の半日は、例によって、見ることに使った。


いきなり獣を探さない。


まず、獣のいない当たり前の窯場を、頭へ入れる。


鳥の声。風の通り道。人の踏み固めた道と、獣の細道の違い。


当たり前を覚えれば、当たり前でないものが、浮いて見える。


足跡は、三種類と、半端に小さいのがひと組。


やはり、四頭いる。


寝屋は、窯場の北の岩陰。


判で押したように、夕方に水場へ降りる。


降りる道は一本。帰る道も、同じ一本。


獣は、無精だ。


安全と分かった道を、毎日そのまま使う。


その無精が、こちらの待ち場所を決めてくれる。


なら、水場への道の途中、窯場の石積みの見える範囲で受ける。


石積みは、背中を預けられる高さが、あった。


その位置を、俺は先に体へ入れておいた。


小屋の陰から石積みまで、何歩か。


三歩だ。


三歩を、目でなく足で覚える。


いざという時、目は敵を見ていて、場所を選ぶ暇はない。


決めて、俺は夕方を待った。


待つのも、稽古のうちだ。


石積みの陰にしゃがんで、風を背にして、息を細くする。


風上に立てば、匂いで気づかれる。


だから、水場から見て風下の陰を選んだ。


夕日が岩を赤く染めて、窯の煙が細く立ち上る。


鳥の声が、ひとつ、またひとつと落ちていく。


森の当たり前が、静かになっていく。


その静かさの底に、獣の気配が沈んでいるのを、俺は待った。


半刻。一刻。膝が痺れても、動かない。


動けば、こちらが当たり前でないものになる。


やがて、北の岩陰の藪が、風と違う揺れ方をした。


来た。


だから、四頭目がいたこと自体には、驚かなかった。


驚いたのは、俺の体のほうだ。


◇ ◇ ◇


最初の一頭は、一合だった。


藪から出た鼻先の、低い出足。


半歩滑って軸を外し、すれ違いの首筋に短剣。


三年鍛えた型は、もう、考える前に終わっている。


牙犬の一頭なら、いまの俺は驚かない。


驚かせたのは、その次だ。


二頭目と三頭目が、左右から同時に来た。


瞬間、体が止まった。


半拍の、まばたきほどの止まりだ。


左右同時は、俺の皿にない角度だった。


右を見れば、左が消える。


左を見れば、右が消える。


二つの牙が、一つの目に入りきらない。


積んでいない技は、出ない。


爺の言葉どおりのことが、爺の言葉どおりに起きた。


注いでいない皿からは、一滴も出ない。


考えたのではなく、足が退がった。


考えて退がったのなら、間に合わなかった。


退がったのは、丘の千日で退がりだけを一万回さらった足だ。


頭が止まっても、足は鍛えた段の上にいた。


止まった頭を、鍛えた足が救った。


炭焼き小屋の石積みまで、三歩。


さっき足で覚えた、三歩だ。


背中を石に預ければ、左右はなくなる。


正面が、ふたつ並ぶだけだ。


並べば、先に来たほうから一頭ずつ。


二頭目の牙をかわした左腕に、浅く熱が走った。


かすった。


構わず、首筋。


三頭目は、仕留めた仲間の匂いに怯んで、間合いの外で足を踏み替え、四頭目と一緒に藪へ消えた。


追わなかった。


深追いは、背伸びだ。


それに、依頼は「道を使えるようにすること」で、皆殺しではない。


群れの気の強いのが二頭落ちれば、残りは縄張りを移す。


爺の昔語りにあった群れの理屈が、当たっていることを祈るだけだ。


◇ ◇ ◇


小屋の陰で、腕の傷を検分した。


浅い。血は細く、腱まで遠い。


だが位置が二寸ずれていれば、ロイクの右手だった。


二寸。


俺は布を巻きながら、その二寸の重さを、何度も量り直した。


今日の二寸は、石積みが三歩の場所にあったから、拾えた二寸だ。


石積みが十歩先だったら。


退がる足の先が、窪みだったら。


二頭目が、半拍早かったら。


どの「たら」も、黒枠の貼り紙に化ける。


俺の名が、あの広間の壁に貼られる。


それだけのことだった。


震えの来ない手と、さっき確かに止まった半拍のことを、順番に帳面へ書き込んだ。


震えないのは、重ねた場数のおかげ。


止まったのは、まだやっていない角度のせい。


同じ体の中に、育った場所と、白い場所がある。


育った場所は、誇っていい。


白い場所は、埋めればいい。


どちらも、恥じることではない。


白い場所は、命のやりとりの場でしか、見つからない。


稽古場では、二頭は都合よく左右から同時には、来てくれない。


だから、実戦でしか見つからない白い場所は、実戦のたびに一つずつ、拾って帰る。


今日の白い場所の名前は、二対一だ。


名前がつけば、稽古の的になる。


的の見えない稽古はできないが、的が見えれば、あとは反復だけの話だ。


俺は、名前のついた白い場所を、むしろ喜んだ。


◇ ◇ ◇


尻尾を二本切って、村の炭焼きに頭数を告げて、暮れる前の街道を歩いて帰った。


炭焼きの親方は、残り二頭と聞いて顔を曇らせ、それから俺の腕の布を見て、無理はするなと言った。


三日後に、窯の火を入れるという。


三日、遠吠えが聞こえなければ、群れは移っている。


聞こえたら、もう一度来る。


それで、話がついた。


親方は、握り飯を三つ、竹の皮に包んで持たせてくれた。


銅貨の外の、あたたかい実入りだ。


こういう実入りは、帳面の銭勘定には載らない。


載らないが、信用の頁には、ちゃんと残る。


この炭焼きの村で、俺の名は「無理をしない銅札」で通る。


次に紙が回ってくる時、その名が効く。


派手な手柄より、無理をしない名のほうが、長く食える。


爺なら、そう言うだろう。


二対一の型、無し。


石積みが背中にある日ばかりでは、ない。


地形は借り物で、借り物は返す日が来る。


次に左右から来られた時、背後に石があるとは限らない。


型は俺のもので、俺のものだけが実戦で出る。


だったら、やることはひとつだ。


傷は人並みにしか治らないから待つしかないが、型は待たなくていい。


明日から、鍛える。


傷が塞がるのを待つ間も、足だけは動く。


左右から来られた時に、背後の石を探して退がる足。


石がなくても、二頭を縦に並べられる足。


それは、腕の傷とは関わりなく、明日から鍛えられる。


体のどこかが傷ついても、鍛える場所は必ず残っている。


それが、俺の体質のいちばんの得だ。


帰りの街道で、腕の布の下がひとつ脈を打つたび、俺は同じ言葉を踏みしめた。


半拍止まった体を、恥じない。


恥は、力にならない。


止まった角度が分かったことを、今日の実入りの筆頭に置く。


傷の代を払って、白い場所をひとつ買った。


高い買い物ではあったが、二寸ずれていれば買えなかった。


買えた運のぶんも、稽古で返す。


白い場所の見つかった日は、皿の広がる日だ。

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