19 札の重さ
ドルンに戻った晩、精算の席でガッシュが言った。
「ルド。おまえ、木札にしとくのは惜しい。推薦を書いてやる」
精算は酒場の隅の卓だった。
薬草の大口は上々の実入りで、下働きの俺の取り分も、兎ひと月ぶんに届いた。
卓の上では、盾持ちが討伐分の銅貨を四人と俺に割っていた。
下働きの俺の取り分は、決めごとでは討伐に入らない。
それでも一頭ぶんの割りが、黙って俺の前に置かれた。
自分で仕留めた獲物の割りは、下働きでも受け取る。それが灰羽の決めごとらしい。
決めごとの良し悪しで、隊の寿命が決まる。この隊が長く保っている理由を、銅貨の並べ方ひとつで見た気がした。
銅貨の袋を寄越しながらの、ついでみたいな言い方だった。ついでみたいな言い方で言う話ではなかった。
昇札の仕組みは、講習で聞いて知っていた。
木札から銅札に上がるには、規定の実績点と、銅札以上の推薦がひとつ、それから組合の試験がいる。
実績点は依頼の数と中身で貯まる。
俺の点は兎と薬草と見回りでこつこつ貯まってはいたが、規定にはまだ少し足りない。
「ありがとうございます。ただ、実績が規定に届いてからで構いません」
「……足りない分は推薦で埋まるんだぞ」
「埋めずに届かせたいので」
ガッシュはしばらく俺を見て、それから盾持ちと顔を見合わせて笑った。
変わってんな、と例によって言われた。
盾持ちは笑いながら、悪くねえ、と付け足した。埋めてもらった札は、あとで自分の首を絞める。そういう奴を何人も見てきた顔だった。
変わっているのだろう。
だが埋めてもらった段は、俺のものではない。
それにこの体質の持ち主が近道を覚えたら、たぶんそこで終わりだ。
近道の要らない体に生まれたのだから、遠回りだけを誇りにすればいい。
推薦状は、それでも書いてくれた。
実績が揃った日に使えという。
懐にしまった紙一枚が、妙に重かった。
紙の重さではない。名前の重さだ。灰羽のガッシュの名で推す、と書いてある。俺がしくじれば、この名前ごと軽くなる。
推薦とは貸しだ。返し方は、生きて重ね続けることしかない。
別れ際、ガッシュは思い出したように付け足した。
「次の大口も、荷持ちはおまえを呼ぶ。空けとけ」
返事をする前に、大きな背中は酒場の奥へ行ってしまった。
指名というものを、俺はこの稼業で初めてもらった。
地味だけど死なない木札は、どうやら、また呼ばれる木札になったらしい。
一段ずつだ。何もかも、一段ずつでいい。
席を立つとき、盾持ちが俺の杯に自分の杯を軽く当てた。
中身は俺のは水で、向こうは麦酒だったが、音は同じだった。
「推薦を断る木札は初めて見た」
「変ですか」
「変だ。……だが、うちの隊長はな、変な奴の推薦しか書かん」
盾持ちは笑って、卓に銅貨を置いて出ていった。
変な奴の推薦しか書かない。つまりあの推薦状は、腕前の証文である前に、変わり者の証文らしい。
悪くない。俺の変は、毎日の稽古でできている。証文の中身に、嘘がないということだ。
◇ ◇ ◇
帰りかけた俺を、帳場の奥から声が呼び止めた。
「トゥーレのルドだな」
白髪まじりの痩せた男だった。
登録の日に一度だけ目が合った、あの帳場の奥の男。
受付頭のバレンという名は、この一年で嫌でも覚えた。組合の依頼と精算の全部は、最後にこの人の帳面を通る。
噂だけは、いろいろ聞いていた。
元は冒険者だったらしいという話。膝から上の傷は見たことがないのに、古株ほどこの人に頭が上がらないという話。
精算でごねた銀札が、ひと睨みで黙ったという話。
帳場の奥の机は、広間のどこからも見える場所にある。
見える場所にいて、見られていることを感じさせない。それがどれほど難しいか、護衛の観察を二年やった俺には少し分かる。
あの机は、この組合でいちばん深い皿の置き場所だ。
どの噂も出どころが曖昧で、本人は帳面から顔を上げない。
顔を上げない人間の周りに、噂だけが溜まっていく。伏せ方の手本が、こんな近くにいた。
「はい」
「ゼフは達者か」
来た、と思った。
爺の手紙の宛先。古い連れ。
「達者です。膝以外は」
「膝以外は、か」
バレンは初めて笑った。笑うと目尻に、爺と同じ種類の皺が寄った。
「おまえ、手紙を預かってるだろう。困ったら出せと言われてるやつだ」
「……なぜご存じなんですか」
「ゼフから先に文が来てる。近いうち妙な小僧が行く、困るまで手を貸すな、とな」
バレンは帳面を閉じて、頬杖をついた。
「一年見てたが、おまえは困らんな。つまらん奴だ。手紙は当分そのままでいい」
「はい」
「ひとつだけ言っとく」
バレンの目が、笑ったまま少しだけ据わった。
「おまえの依頼の取り方と戦い方は、見る奴が見れば首をかしげる。木札の伸び方じゃないのに、伸び方が遅い。妙な取り合わせだ。……銅札になると、見る奴の数が増える。それだけ覚えとけ」
それだけ言って、バレンは帳面に戻った。
呼び止められてから帳面に戻るまで、この人は一度も声を大きくしなかった。広間の誰も、俺たちの話を聞いていない。
話す中身で声の大きさを変える。これも伏せ方の稽古の、生きた見本だった。
◇ ◇ ◇
納屋への帰り道、俺は夜の道を遠回りした。
爺の目は、馬車で三日の距離を越えて、ちゃんとここまで届いていた。
一年前から届いていた。俺が困るより先に、困るまで手を貸すなという指図ごと。
あの偏屈な爺の、それが手の掛け方だ。ありがたくて、少し笑った。
行李の底の手紙のことも、歩きながら考えた。
バレンが知っているなら、あの手紙の役目は、もう半分終わっているのかもしれない。
中身は口利きではないと爺は言った。なら何が書いてあるのか。
考えて、考えるのをやめた。
困るまでは出すな、の約束には、中身を詮索するなという意味も入っている気がしたからだ。
切り札は、切らずに終わるのがいちばん上等だ。爺ならそう言うだろう。
いつかどこかで本当に困る日まで、あの紙は行李の底で眠っていればいい。
そして俺の妙さは、隠しているつもりでも、見る人間には見えている。
速く伸びるのを隠すのは簡単だ。手を抜けばいい。
だが俺のは逆だ。遅いくせに止まらない。止まらなさは、手の抜きようがない。毎日続けることをやめたら、それはもう俺ではない。
なら、伏せられるのは理由だけだ。体質は見せず、努力だけ見せる。
幸い、努力のほうは本物で、嘘がひとつも要らない。
歩きながら、伏せ方の決めごとを三つ拵えた。
ひとつ。稽古は隠さない。毎朝の素振りは、見たい奴には見せておく。伸びの説明が努力で済むように。
ふたつ。覚えの早さだけは見せない。教わった型は、三日置いてから人前で使う。一晩で骨に入ったと知られないように。
みっつ。爺の名前は、訊かれるまで言わない。銀札の弟子の看板は、伸びの言い訳にも、詮索の的にもなる。
三つとも、嘘はひとつも入っていない。並べ方を変えただけだ。
商品の見せ方で売れ行きが変わるのは、前世で骨身に染みている。
俺という商品の棚は、地味で、勤勉で、少し変わり者。それでいい。
棚の奥の在庫は、誰にも見せずに毎日増やす。
手の内は伏せる。だが伏せ方にも稽古がいるらしい。
帳面にまたひとつ、覚えるべきものが増えた。




