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漏れない器 ~才能はないが、鍛えたものは消えない~  作者: 白雨


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19/53

19 札の重さ

ドルンに戻った晩、精算の席でガッシュが言った。


「ルド。おまえ、木札にしとくのは惜しい。推薦を書いてやる」


精算は酒場の隅の卓だった。


薬草の大口は上々の実入りで、下働きの俺の取り分も、兎ひと月ぶんに届いた。


卓の上では、盾持ちが討伐分の銅貨を四人と俺に割っていた。


下働きの俺の取り分は、決めごとでは討伐に入らない。


それでも一頭ぶんの割りが、黙って俺の前に置かれた。


自分で仕留めた獲物の割りは、下働きでも受け取る。それが灰羽の決めごとらしい。


決めごとの良し悪しで、隊の寿命が決まる。この隊が長く保っている理由を、銅貨の並べ方ひとつで見た気がした。


銅貨の袋を寄越しながらの、ついでみたいな言い方だった。ついでみたいな言い方で言う話ではなかった。


昇札の仕組みは、講習で聞いて知っていた。


木札から銅札に上がるには、規定の実績点と、銅札以上の推薦がひとつ、それから組合の試験がいる。


実績点は依頼の数と中身で貯まる。


俺の点は兎と薬草と見回りでこつこつ貯まってはいたが、規定にはまだ少し足りない。


「ありがとうございます。ただ、実績が規定に届いてからで構いません」


「……足りない分は推薦で埋まるんだぞ」


「埋めずに届かせたいので」


ガッシュはしばらく俺を見て、それから盾持ちと顔を見合わせて笑った。


変わってんな、と例によって言われた。


盾持ちは笑いながら、悪くねえ、と付け足した。埋めてもらった札は、あとで自分の首を絞める。そういう奴を何人も見てきた顔だった。


変わっているのだろう。


だが埋めてもらった段は、俺のものではない。


それにこの体質の持ち主が近道を覚えたら、たぶんそこで終わりだ。


近道の要らない体に生まれたのだから、遠回りだけを誇りにすればいい。


推薦状は、それでも書いてくれた。


実績が揃った日に使えという。


懐にしまった紙一枚が、妙に重かった。


紙の重さではない。名前の重さだ。灰羽のガッシュの名で推す、と書いてある。俺がしくじれば、この名前ごと軽くなる。


推薦とは貸しだ。返し方は、生きて重ね続けることしかない。


別れ際、ガッシュは思い出したように付け足した。


「次の大口も、荷持ちはおまえを呼ぶ。空けとけ」


返事をする前に、大きな背中は酒場の奥へ行ってしまった。


指名というものを、俺はこの稼業で初めてもらった。


地味だけど死なない木札は、どうやら、また呼ばれる木札になったらしい。


一段ずつだ。何もかも、一段ずつでいい。


席を立つとき、盾持ちが俺の杯に自分の杯を軽く当てた。


中身は俺のは水で、向こうは麦酒だったが、音は同じだった。


「推薦を断る木札は初めて見た」


「変ですか」


「変だ。……だが、うちの隊長はな、変な奴の推薦しか書かん」


盾持ちは笑って、卓に銅貨を置いて出ていった。


変な奴の推薦しか書かない。つまりあの推薦状は、腕前の証文である前に、変わり者の証文らしい。


悪くない。俺の変は、毎日の稽古でできている。証文の中身に、嘘がないということだ。


◇ ◇ ◇


帰りかけた俺を、帳場の奥から声が呼び止めた。


「トゥーレのルドだな」


白髪まじりの痩せた男だった。


登録の日に一度だけ目が合った、あの帳場の奥の男。


受付頭のバレンという名は、この一年で嫌でも覚えた。組合の依頼と精算の全部は、最後にこの人の帳面を通る。


噂だけは、いろいろ聞いていた。


元は冒険者だったらしいという話。膝から上の傷は見たことがないのに、古株ほどこの人に頭が上がらないという話。


精算でごねた銀札が、ひと睨みで黙ったという話。


帳場の奥の机は、広間のどこからも見える場所にある。


見える場所にいて、見られていることを感じさせない。それがどれほど難しいか、護衛の観察を二年やった俺には少し分かる。


あの机は、この組合でいちばん深い皿の置き場所だ。


どの噂も出どころが曖昧で、本人は帳面から顔を上げない。


顔を上げない人間の周りに、噂だけが溜まっていく。伏せ方の手本が、こんな近くにいた。


「はい」


「ゼフは達者か」


来た、と思った。


爺の手紙の宛先。古い連れ。


「達者です。膝以外は」


「膝以外は、か」


バレンは初めて笑った。笑うと目尻に、爺と同じ種類の皺が寄った。


「おまえ、手紙を預かってるだろう。困ったら出せと言われてるやつだ」


「……なぜご存じなんですか」


「ゼフから先に文が来てる。近いうち妙な小僧が行く、困るまで手を貸すな、とな」


バレンは帳面を閉じて、頬杖をついた。


「一年見てたが、おまえは困らんな。つまらん奴だ。手紙は当分そのままでいい」


「はい」


「ひとつだけ言っとく」


バレンの目が、笑ったまま少しだけ据わった。


「おまえの依頼の取り方と戦い方は、見る奴が見れば首をかしげる。木札の伸び方じゃないのに、伸び方が遅い。妙な取り合わせだ。……銅札になると、見る奴の数が増える。それだけ覚えとけ」


それだけ言って、バレンは帳面に戻った。


呼び止められてから帳面に戻るまで、この人は一度も声を大きくしなかった。広間の誰も、俺たちの話を聞いていない。


話す中身で声の大きさを変える。これも伏せ方の稽古の、生きた見本だった。


◇ ◇ ◇


納屋への帰り道、俺は夜の道を遠回りした。


爺の目は、馬車で三日の距離を越えて、ちゃんとここまで届いていた。


一年前から届いていた。俺が困るより先に、困るまで手を貸すなという指図ごと。


あの偏屈な爺の、それが手の掛け方だ。ありがたくて、少し笑った。


行李の底の手紙のことも、歩きながら考えた。


バレンが知っているなら、あの手紙の役目は、もう半分終わっているのかもしれない。


中身は口利きではないと爺は言った。なら何が書いてあるのか。


考えて、考えるのをやめた。


困るまでは出すな、の約束には、中身を詮索するなという意味も入っている気がしたからだ。


切り札は、切らずに終わるのがいちばん上等だ。爺ならそう言うだろう。


いつかどこかで本当に困る日まで、あの紙は行李の底で眠っていればいい。


そして俺の妙さは、隠しているつもりでも、見る人間には見えている。


速く伸びるのを隠すのは簡単だ。手を抜けばいい。


だが俺のは逆だ。遅いくせに止まらない。止まらなさは、手の抜きようがない。毎日続けることをやめたら、それはもう俺ではない。


なら、伏せられるのは理由だけだ。体質は見せず、努力だけ見せる。


幸い、努力のほうは本物で、嘘がひとつも要らない。


歩きながら、伏せ方の決めごとを三つ拵えた。


ひとつ。稽古は隠さない。毎朝の素振りは、見たい奴には見せておく。伸びの説明が努力で済むように。


ふたつ。覚えの早さだけは見せない。教わった型は、三日置いてから人前で使う。一晩で骨に入ったと知られないように。


みっつ。爺の名前は、訊かれるまで言わない。銀札の弟子の看板は、伸びの言い訳にも、詮索の的にもなる。


三つとも、嘘はひとつも入っていない。並べ方を変えただけだ。


商品の見せ方で売れ行きが変わるのは、前世で骨身に染みている。


俺という商品の棚は、地味で、勤勉で、少し変わり者。それでいい。


棚の奥の在庫は、誰にも見せずに毎日増やす。


手の内は伏せる。だが伏せ方にも稽古がいるらしい。


帳面にまたひとつ、覚えるべきものが増えた。

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