16 冬
ドルンの冬は、稼業ごと凍る。
雪が街道を塞ぐと隊商が減り、隊商が減ると護衛の口が減り、森は深雪で駆除も薬草もなくなる。
掲示板は月を追うごとに寂しくなって、初雪の頃には木札向けの紙が一枚もない日が珍しくなくなった。
組合の広間は、行き場のない連中の溜まり場になった。
薄い酒を長く舐める者。掲示板の前を意味もなく往復する者。博打の輪。
冬のドルンには、冬のドルンの顔がある。
組合の窓口には、木札を返す列ができた。
春に俺と前後して登録した顔ぶれが、ひとりまたひとりと札を置いて村へ帰っていく。
誰も責めない。
ドルンの宿代と飯代は、稼ぎのない人間から容赦なく体温を奪っていく。
あの護衛の言った「半分は最初の冬で帰る」は、こうして起きるのだった。
魔物に負けるのではない。帳尻に負けるのだ。
列の中に、登録の日に言葉を交わした弓の男の姿を見た気がした。
声はかけなかった。かける言葉の持ち合わせがなかった。
俺は、残った。
勝算があったわけではない。ただ秋のうちに、冬は稼げないという話を古株から聞き集めて、備えてあった。
聞き集めるのは簡単だ。酒場で古株の近くに座り、冬はどうしのぐんですか、と訊く。
教えたがりの古株は多い。銅貨一枚の酒を一杯おごれば、十年ぶんの冬の知恵が返ってくる。
薬草の実入りを兎の角の買い取りと合わせて、家賃の安い納屋の二階に移った。
薪を減らすぶん毛布を二枚買い、飯は芋と麦がゆに落とした。
前世の安月給で鍛えた暮らしの詰め方が、まさかこの世界で役に立つとは思わなかった。
納屋主の一家は気のいい連中で、雪かきを手伝うと汁物が出た。
雪かきは腰の稽古になる。汁物は温かい。冬の帳尻は、こういう小銭の寄せ集めで合わせていく。
二階の部屋は、部屋と呼ぶのも大げさな板敷きだ。
寝床と、行李と、壁の釘と、明かり取りの小窓がひとつ。
夜は下の家畜の体温がうっすら上がってきて、思ったより寒くない。
前世の独り暮らしの部屋より、俺はこの板敷きが気に入っていた。
あの部屋には身につけたものを置く場所がなかったが、ここには俺の全部がある。
腰の短剣。行李の底の手紙。頭の中の帳面。それで足りる。
冬の稼ぎは、ないわけではなかった。
雪下ろしの人手。氷割り。宿場への急ぎの文使い。
組合を通さない日雇いの口が、冬の街にはぽつぽつ落ちている。
文使いは特にいい。雪の街道を半日走って銅貨六枚、雪道の足の稽古がまるごとついてくる。
初めての文使いの日は、北の宿場まで婚礼の日取りの文を運んだ。
雪の街道は、夏の街道とは別の生きものだ。
轍の凍った筋は滑る。吹き溜まりの下に穴が隠れる。橋板の霜は、日向より日陰のほうがよほど親切だ。
見回りで覚えた道の癖に、雪の癖を上書きしていく。
宿場の飯屋の親父は、雪まみれの俺を見て初めて口を利いた。
物好きだねえ、の五文字だった。
豆の汁が、いつもより豆が多かった気がする。気のせいかもしれない。
帰りは日が落ちかけて、月明かりの雪原を独りで歩いた。
静かだった。自分の足音と、呼吸と、遠くの梟だけの世界だった。
この静けさの中を平気で歩ける足と耳を、俺は十年かけて養ったのだと、ふいに思った。
身につけたものは、銭にも札にもならない形で、こうして俺の暮らしを広げていく。
◇ ◇ ◇
そして冬は、学ぶ側に回れば宝の山だった。
なにしろ時間だけはある。
雪の空き地で足運び。膝までの雪は、足運びの負荷としては上物だ。
納屋の梁にぶら下げた縄を相手に、槍の間合いの出入り。
教わったきりさらう暇のなかった型の棚卸し。
春からの一年で拾い集めた形を、ひとつずつ取り出して、磨いて、しまい直す。
村の千日を思えば、雪の稽古は古巣に帰ったような気安ささえあった。
体はこの一年でまた段を上げている。
同じ雪でも、沈む深さが去年と違う。踏み込みの音が違う。
去年の俺なら三日かけた雪道の百往復を、今年の俺は二日で終える。
誰とも比べない。比べる相手は、いつでも去年の自分で足りる。
型の棚卸しは、思いのほか大仕事になった。
数えてみたら、この一年で拾った形は、直しも含めて六十を超えていた。
受け流しの角度がみっつ。槍の間合いの足がふたつ。護衛たちの立ち方が十いくつ。野営の手順。群れの追われ方。傷の処置の順番。
ひとつずつ取り出して、雪の上で体に通し直す。
通し直すといっても、忘れているものはひとつもない。確かめるのは、形と形の繋ぎ目だ。
受け流しから半歩の外しへ。外しから打ち下ろしへ。
単品の形が、繋がってひとつの流れになる。冬の稽古の実入りは、新しい形ではなく、この繋ぎ目だった。
夜は灯りの稽古だ。
四半刻の呼吸。四月目に入っても、掌は温かい気がするだけだった。
講習は冬のあいだ休みで、婆さんの顔も見ない。点いたかい、と訊く者もいない。
静かで、いい冬だった。
冬至の祭りの日だけは、街が息を吹き返した。
広場に火が焚かれ、香草を練り込んだ焼き菓子が売られ、子供らが雪の路地を走り回る。
俺も銅貨一枚で焼き菓子を買って、火の見える石段で食った。
うまかった。前世の実家の、冬の菓子の味に少しだけ似ていた。
似ていると気づいて、久しぶりに倉田巧の三十五年を、恨みではない側から思い出した。
あの人生にも、勘定の外の時間はちゃんとあった。崩される話ばかり数えて、そちらの頁を開かずにいただけだ。
帳面の使い方を、ひとつ間違えていたらしい。
どちらの人生の分も、いい頁は、いい頁として取っておく。
焼き菓子の最後のひと欠けを、俺はそう決めて飲み込んだ。
◇ ◇ ◇
年の変わる晩、納屋の二階で、それは点いた。
祭りの気配の残る夜だった。
階下の納屋主一家の笑い声が遠くに聞こえて、俺はいつもどおり毛布にくるまって掌に意識を置いていた。
四半刻の終わりかけ、指の付け根のあたりで、何かがぷつりと通った。
水路の栓が抜けたような、小さな、確かな感触だった。
針の先ほどの光が、掌の上に一瞬だけ浮かんで、消えた。
俺は暗がりの中で、自分の掌を長いこと見ていた。
見間違いではない。あれは灯りだ。
四月かけて、針の先。
婆さんの言う「並で三月、豆粒」に遠く及ばない、笑い話みたいな初灯りだった。
誰も見ていない。祝う者もいない。
だが俺は知っている。
この針の先は、消えない針の先だ。
明日の四半刻はここから始まって、二度とここへは戻らない。
回路に初めて通った水は、俺の体の中で、もう細らない水路になった。
六つの春の一振り目と、同じ夜だった。
あのときも誰も見ていなかった。あの一振りが十年でどこまで来たかは、俺の腰の短剣が知っている。
この針の先が十年でどこまで行くかは、まだ誰も知らない。知らないという楽しみを、俺はもうひとつ手に入れた。
それから年明けの半月、俺は毎晩、針の先を数えた。
二日目、また一瞬点いて消えた。五日目、二呼吸もった。十日目、三呼吸。
豆粒には程遠い。だが減らない。昨日の針の先から、今日の針の先が始まる。
婆さんの水路の講義は正しかった。通った水は、翌日の水を通しやすくする。
俺の場合はそこに、細らないという一行が加わるだけだ。
その一行が、十年でどれほどの差になるか。
答え合わせは長い。長い答え合わせほど、俺の性に合っている。
雪解けの気配とともに、掲示板に紙が戻り始めた。
最初は荷運びが一枚。次の週に薬草が二枚。
札を返した顔ぶれは戻らない。戻らない分の紙を、残った者で分ける春が来る。
残った、というだけのことが、この稼業では立派な実績らしい。
冬を越した木札、と古株たちの俺を呼ぶ声が少し変わった。
新年の祝いに、俺は自分に麦がゆのお代わりを許した。
上等な年明けだった。




