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漏れない器 ~才能はないが、鍛えたものは消えない~  作者: 白雨


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12 街道見回り

街道見回りという依頼は、要するに歩く仕事だ。


ドルンから北の宿場まで半日ぶんの街道を往復して、道の異常を組合に報告する。


崩れかけた土手。壊れた道標。魔物の足跡。荷馬車の轍が掘った穴は、備え付けの砂利で埋めておく。


報酬は銅貨四枚。若い連中が「暇な年寄りの仕事」と呼んで見向きもしない紙だ。


俺は十日に一度はこれを取った。


朝の門で組合の腕章を見せると、衛兵が通行の帳面に俺の番号を写す。


それから北へ、歩幅を数えながら歩き出す。同じ道を十日ごとに歩くと、道が生きものだと分かってくる。


雨のあとは土手が緩む。荷の多い月は轍が深くなる。橋のたもとの水たまりは、埋めても埋めても同じ場所にできる。


異常というのは、いつもの姿を覚えている者にしか見えない。


だから俺は道を数字で覚える。崩れの幅。穴の数。道標から道標までの歩数。


覚えた数字は、俺の頭からは減らない。十日前の道と今日の道を、いつでも並べて比べられる。


点検というのは、俺の体質と相性のいい仕事だった。


その日の往路では、拾いものがふたつあった。


ひとつは道標の欠け。北から三つ目の道標の頭が、拳ひとつぶん欠けて転がっていた。


欠け口が新しい。荷馬車がぶつけたのだろう。転がった石の位置から、ぶつけた車の向きまで見当がつく。


もうひとつは、足跡だ。


街道を横切って森へ入る、四つ足の跡がひと筋。


膝をついて、指で縁を確かめる。縁が乾いて崩れかけている。昨日の夜のものだ。


大きさは犬より上、牙犬より下。爪の開きが浅い。


狐の大物か、若い山犬か。どちらにせよ、群れの跡ではない。


それでも報告には書く。書くか書かないかを、俺の側の判断で間引かない。


見回りの報告は、掲示板の注意書きの元になる。間引いた一行が、どこかの誰かの読めたはずの一行になる。


折り返しの北の宿場では、決まって飯屋の縁台で昼を食う。


豆の汁と堅パンで銅貨二枚。縁台からは、街道の北の続きが見える。


この道はドルンで終わりではなく、北の宿場のまた北へ、俺の知らない街まで延びている。


飯屋の親父は無口だが、二杯目の水は黙って注いでくれる。


十日ごとに来る妙な木札を、親父はもう客として覚えている。


顔を覚えられた場所が、街道の上にひとつずつ増えていく。


地理というのは、地面の形だけの話ではないらしい。人の顔も、道のうちだ。


復路では、南へ下る巡礼の一行とすれ違った。


六人のうち、杖の突き方が音を立てないのがひとりいた。


念のため足の運びも見た。ただの巡礼の足ではなかった。


何者かは知らない。詮索もしない。


ただ、強い人間は思わぬ皮をかぶって道を歩いているという一行を、帳面に足した。


街道は毎回、何かしら置いていってくれる。だから十日に一度の銅貨四枚が、俺にはやめられない。


目当てのひとつは護衛だ。


街道には隊商が通る。隊商には護衛がつく。


つまりこの道は、銅札や銀札の仕事ぶりが日がな一日流れてくる、生きた見本市なのだ。


歩き方。目の配り。隊列の組み方。荷馬車の右につくか左につくか。休憩でどこに立つか。


俺は道の穴を埋めながら、通り過ぎる護衛たちの形を頭に刻んでいった。


同じ銅札でも、上手い下手が驚くほどある。


上手い護衛は例外なく、歩きながら音を立てない。爺の教えは、どうやら世界のどこでも正しい。


下手な護衛にも使い道はある。どこで気が抜けるか、どこで目が留まるか。しくじりの形も、裏返せば教材だ。


昼前に通った隊商の護衛は、その下手なほうだった。


二人組の二人ともが荷台の同じ側を歩き、休憩で二人同時に座り、水を飲むあいだ得物から両手を離した。


御者が藪のほうをちらちら見ているのに、護衛は御者の視線を拾わない。


雇い賃は俺の見回り十回ぶんは取っているはずだ。


銭と腕は、必ずしも釣り合わない。釣り合わない世界で信用を得るには、腕の見える相手に腕を見せ続けるしかない。


俺が黙々と穴を埋めるのを、通り過ぎる本物たちがどう見ているか。


それはたぶん、何年か先に答えが出る。


◇ ◇ ◇


その日は、顔見知りに会った。


村を出た三日の道中で、荷馬車に乗せてくれた隊商の護衛。あの年かさの槍使いだ。


向こうも覚えていて、休憩の間だけ道端で話をした。


木札になったこと。草むしりと穴埋めをやっていること。年かさは笑わなかった。


「穴埋めか。いい依頼を取る」


「そうですか」


「街道はな、坊主、冒険者の商売の底板だ。底板の傷み方を知ってる奴は、荷主の信用が違う。……ついでにひとつ教えといてやる。おまえ、得物は短剣だったな」


年かさは槍の石突きで、道に二本の線を引いた。


短い線と長い線。


「槍と短剣の間合いの差だ。この差はな、詰める前が一番危なくて、詰め切った後は逆さになる。槍持ちと揉めたら、半端な場所に立つな。うんと外か、うんと中だ」


それだけ言って、隊商と一緒に行ってしまった。


うんと外か、うんと中。


半端な場所というのは、槍の穂先がいちばん走る場所だ。


外なら穂は届かない。中に入り切れば、柄は振り回せてもも穂は使えない。危ないのは、その間の帯だけ。


言葉にすればそれだけのことを、あの人は自分の足で立つ場所として知っている。


俺はその日の帰り道、荷馬車の来ない間を選んで、道端の枯れ枝を槍に見立てて半刻ばかり間合いの出入りをさらった。


外から中へ。中から外へ。半端な帯を、足が勝手に嫌がるようになるまで。


教わったことは、教わった日のうちに一度は体を通す。


そうして通したものは、俺の場合、二度と出ていかない。


半刻の終わりに、枯れ枝の「槍」を相手に、中へ入り切る足を十本だけ足した。


十本のうち、穂先の帯を無事に抜けたのは三本。


三本、と数だけ覚える。この数字が増えていくのを眺めるのが、これから当分の楽しみになる。


汗を拭いて、埋め残しの穴をふたつ埋めて、俺は帰り道の残りを歩いた。


夕方の街道は、朝と別の顔をしている。


家路の農夫。宿場へ急ぐ旅人。荷を軽くして戻る隊商。


同じ道の朝と夕を両方知っている木札は、たぶんこの街で俺だけだ。


それが何の役に立つのかは、まだ知らない。役に立つ日が来たら、この帳面のどこかの頁が開く。


◇ ◇ ◇


夕方の組合で、俺は見回りの報告を受付に上げた。


受付のネラは俺の報告を書き取りながら、途中で一度手を止めた。


「……北の三本橋の手前、土手の崩れが先週より二尺広がってる、ね。先週の幅を覚えてるのかい」


「見たので」


「見たので、ね」


ネラは呆れたような感心したような顔で帳面を閉じた。


「あんたの報告は書きやすいよ。数字で来るから」


褒められたのかどうかは分からないが、報告が正確なのは点検屋の性分だ。


前世から数えれば、道の傷みを見る目だけで二十年選手なのだから、これで雑だったら立つ瀬がない。


窓口を離れかけて、ふと足を止めた。


三本橋の土手の崩れは、二尺広がった。次の大雨でたぶん道まで来る。


そうなれば荷馬車は泥に嵌まり、隊商は遅れ、護衛の仕事は荒れる。道の傷みは、道だけの話では終わらない。


俺はネラに、砂利の追加と土留めの杭の件を付け足して帰った。


銅貨四枚の仕事に、そこまでの義理はない。


だが俺の帳面には、依頼の外にはみ出したぶんの働きも、ちゃんと残る。誰が見ていなくても、俺が見ている。


それがこの帳面の、いちばんいいところだ。


宿への道すがら、掌の中で銅貨四枚を転がした。


今日の実入り。銅貨四枚と、槍の間合いと、道標の欠けと、夜の足跡の読みと、中へ抜けた三本。


あの年かさの槍使いに、いつかもう一度会うことがあったら、線の間の帯を抜ける足を見せたい。


礼というのは、言葉で言うより、育った形で見せるほうが伝わる相手がいる。


あの人はたぶん、そっちの相手だ。

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