11 日課
ドルンでの俺の一日は、夜明け前に始まる。
宿の裏に荷車置き場の空き地があって、そこが新しい稽古場になった。
素振りと足運びを一刻。村の丘でやっていたことと寸分同じだ。
場所が変わっても日課は変えない。稽古というものは、毎日同じ場所に土台を置くことから始まる。
空き地には先客がいる。夜明けの荷積みをする荷車引きの爺さんで、最初の朝は胡散臭そうに俺を見ていた。
十日目に、邪魔にならん隅を使え、と場所を割り振られた。
ふた月目には、俺が顔を出さないと荷積みの手を止めて首をかしげるようになったらしい。毎日というのは、それだけで人の信用になる。
素振りは百と、直しの型を三十。
受け流しの手首。二の太刀の返し。それから、街道で教わった槍の間合いの出入り。
教わったものは全部この一刻に混ぜる。混ぜたぶんだけ、日課は少しずつ濃くなっていく。
村の丘との違いは、直しの目がないことだ。
爺はもういない。膝の抜きが浅くても、腰が半寸高くても、小石は飛んでこない。
だから俺は、直しの目を自分の中に飼うことにした。
振り終わりに三つ、自分に問う。今日の百振りで一番雑だったのはどれか。昨日と違った場所はどこか。明日どこをひとつ変えるか。
答えられない朝は、まだ目が寝ている。答えられるまで、もう十本振る。
千日通った弟子の中に、爺の目は少しずつ写っている。写ったものは、俺の場合、消えない。
師匠と離れても稽古が痩せない理由が、俺にはちゃんとある。
朝は組合の掲示板で依頼を選ぶ。
俺の選び方は、掲示板の前でちょっとした変わり者扱いをされ始めていた。
報酬のいい紙には見向きもせず、安い薬草採りと街道見回りばかり剥がしていくからだ。
背後で笑う声も聞こえる。あいつはあれでいいんだ、と笑いながら新入りに教える古株の声も聞こえる。
どちらも否定しない。
だが俺の帳面では、依頼の値打ちは銅貨の数では決まらない。何が身につくかで決まる。
薬草採りは、森の当たり前を耳と鼻に刻む依頼だ。往復の負荷歩きがついてくる。
見回りは街道の地理と人の流れを頭に入れる依頼で、運がよければ本物の護衛の立ち居振る舞いをただで見られる。
魔物の駆除は場数そのものだ。
そうやって並べ直すと、木札の雑用は稽古の品書きに見えてくる。
安いのは銅貨の払いだけで、俺への払いは悪くない。
今朝も掲示板の前で、新入りに紙を横からかっさらわれた。
兎の駆除の紙だ。新入りは勝ち誇った顔で窓口へ走っていった。
急がない。兎の依頼は毎週出る。それに今日の俺の目当ては、最初からその隣の薬草採りだった。
紙の取り合いで気の立つ連中を眺めながら思う。
依頼は競りに見えて、競りではない。何を身につけるか決めている人間には、取り合う理由がほとんどない。
競っているのは、銭の帳面しか持っていない連中だけだ。
昼は依頼の現場で過ごす。
摘む。歩く。埋める。数える。単純な仕事の中に稽古を仕込むやり方は、初日の籠の石三つからずっと変わらない。
夕方は納品と精算。それから飯だ。
飯は屋台の芋か、酒場の隅の麦がゆと決めている。
酒は飲まない。銭が惜しいのが半分、酔いで今日の勘定が狂うのが嫌なのが半分だ。
それでも酒場には顔を出す。
飯のためと、耳のためだ。
酒場は組合の広間より口が軽い。どこの森で何が出た。どの隊が誰を入れた。どの護衛の口が高い。
銭にならない話の中に、命に関わる話が混ざっている。
麦がゆ一杯ぶんの席代で、俺は毎晩この街の地図を頭の中で描き足していく。
古株たちは、隅で黙って食っている俺をもう気にも留めない。
気に留められないというのは、聞き役として上等の席だ。
夜は短剣の手入れと、頭の中の帳面づけで終わる。
今日得たものを数える。負荷歩き半日。森の鳥の声を二種類、新しく覚えた。一角兎の間合いをまたひとつ。
数え終えてから眠る。この一年、一日も欠かしたことのない締めの儀式だ。
数えるのは三つまでと決めている。
欲張って十も数えると、どれも薄くなる。今日いちばん濃かった三つを選んで、選んだ三つだけ深くしまう。
選ぶという手間が、そのまま一日の振り返りになる。
前世の日報は上司のために書いた。この帳面は明日の俺のために書く。
同じ手間でも、宛先が違うと、こうも楽しい。
◇ ◇ ◇
同期のロイクとは、たまに酒場で一緒になった。
登録の日に窓口で名乗りを上げていた、あの革鎧の男だ。
ロイクは景気がよかった。木札のくせに角猪の駆除を取り、実際に仕留めてくるのだから、腕は本物なのだと思う。
道場の三年は伊達ではないらしい。踏み込みの速さは、俺の見立てでも木札の域を出ている。
稼ぎのいい晩は新入りたちに気前よく奢って、酒場の隅で芋をかじっている俺を見つけると、決まってからかいに来た。
「ルド。おまえまだ草むしりか」
「うん。まだ草むしりだ」
「欲のない奴だなあ。魔物を狩ってこその冒険者だろうが」
悪意のない男なのだ。むしろ気のいい部類だと思う。
俺は笑って芋をかじり、ロイクは笑って自分の武勇伝に戻っていく。
角猪の突進をどう躱したか。牙が革鎧をかすった痕を、あいつは勲章みたいに新入りに見せる。
聞いている新入りの目が、憧れで光る。ああやって次の背伸びが生まれるのだろう。
だが説教は俺の仕事ではない。俺に見えている危うさはあの護衛の受け売りにすぎず、あいつの腕は俺よりずっと立つのだ。
彼の目に俺がどう映っているかは知っている。覇気のない、伸びない木札。
図星でもある。俺の伸びは、たしかに遅い。
ただ、俺の帳面は誰にも見えないだけだ。
毎日一段。休まず一段。この街に来てから五十日で五十段。
それが見えるのは俺と、遠い村の爺だけでいい。
一度だけ、ロイクに真顔で訊かれたことがある。
おまえ、毎朝どこで何やってんだ、と。
夜明けの空き地で素振りだと正直に答えたら、あいつは酒を吹いた。
「木札が素振りして何になるんだよ」
「明日の俺になる」
ロイクはしばらく俺を見て、変な奴、と笑って杯に戻った。
嘘はひとつも言っていない。伏せてあるのは、明日の俺が今日の俺より必ず一段高いという、その一点だけだ。
◇ ◇ ◇
十日ごとに、俺は日課の中身を見直すことにしている。
これも前世の癖だ。同じ稽古は、同じ場所しか深くしない。
足運びの線を一本増やす。素振りの割り付けを組み替える。見回りの道順を逆から歩く。
変えるのは一度にひとつだけ。ひとつなら、効き目が帳面で分かる。
二つ変えると、どちらが効いたのか分からなくなる。前世の営業で数字をいじっていた頃の、数少ない財産のひとつだ。
今回の見直しでは、朝の一刻に「目をつぶる百歩」を足した。
空き地の隅から隅まで、目を閉じて足運びの線をなぞる。
最初の朝は三歩で線を外れた。いまは二十歩もつ。
足の裏が地面を読む感覚は、目を開けていると目に食われて育たない。夜の森で牙犬に囲まれた日のための、先回りの稽古だ。
荷車引きの爺さんは、目をつぶって歩く俺を見て、いよいよ頭の心配を始めたらしい。
塩をひとつまみ、厄除けだと言って投げられた。ありがたくもらっておいた。
寝床の壁には、釘がひとつ打ってある。
村を出る朝に兄がくれた革紐を、寝る前にそこへ掛ける。爺の手紙は行李の底に縫い込んだままだ。
手紙は出さない。困っていないからだ。
困らないための日課であり、日課がある限り、たぶん困らない。この循環を俺は気に入っている。
明日も夜明け前に起きる。荷車置き場の隅で百を振る。
それだけのことを、また千日やる。
ここはドルンで、俺は木札で、やることは村の丘と何も変わらない。




