第35話 前日の話
昼休みの教室。
購買で買ったパンをかじっていると、前の席の田中がくるりと振り返った。
「なあ青木、今週末の花火大会行く?」
「……行くけど」
「おっ、マジで? 誰と?」
「親戚の子と、咲」
田中が、にやりと笑った。
「へえ……藤原さんと、ねえ」
「なんだよ、その顔」
「いや別に。ただ、お前もすっかり『そっち側』になったんだなって」
「そっち側ってなんだよ。みくが行きたいって言ったから付き添うだけだ」
「はいはい」
田中はストローで紅茶をすすりながら、ニヤニヤしている。
「楽しみにしてる?」
「……別に」
「別に、ね」
「なんで繰り返すんだよ」
「いやー、別に?」
田中はひらひらと手を振って、弁当に向き直った。なんだあいつ。俺は残りのパンを口に放り込んだ。
放課後。
咲は、美咲たち女子グループに囲まれていた。俺は席に座ったまま、鞄に教科書を詰めながらその会話を聞いていた。
「咲、今週末の花火大会行くって本当?」
「うん、行くよ」
「青木くんと?」
「親戚の子も一緒だよ」
「それ、デートじゃん」
「違うから」
「いや完全にそうじゃん。ねえ莉子、そう思うよね」
「うん、完全にそれ」
咲が、困り顔で否定している。
俺は気づかないふりをした。
デートではない。みくの引率だ。三人でただ出かけるだけだ。
鞄のチャックを閉めた。
「青木くん、楽しみにしてると思うよ絶対」
「そんなことないって。渡くんはそういう人じゃないから」
「えー、なんで庇うの。それはそれで怪しくない? 結衣、そう思わない?」
「うん、怪しい。素直になれ〜っ!」
咲が、「もう!」と言いながら笑っている。
俺は立ち上がり、さっさと教室を出た。
アパートに帰ると、みくがテーブルに向かって何かを書いていた。
「なにやってんだ」
「じゅんびリスト!」
みくが、ドヤ顔で紙を持ち上げた。
クレヨンで書かれた文字と、謎の絵が並んでいる。「はなびのひやること」と、タイトルらしきものが書いてあった。
「自分で書いたのか」
「うん! みく、わすれないようにするの」
「偉いな」
「えへへ」
俺は鞄を置いて、ソファに腰を下ろした。
みくはまた紙に向かい、真剣な顔でクレヨンを走らせている。
「……何番まで書いた」
「いまよっつ!」
「多くなりそうだな」
「うん! まだある!」
俺は黙ってスマホをいじった。
しばらく経って、みくが「できたー!」と声を上げた。
「みてみて!」
みくが紙を持って駆け寄ってくる。
受け取って、眺めた。
【はなびのひやること】
①はなびをみる
②りんごあめ
③きんぎょすくい
④チョコバナナ
⑤しゃてき
⑥さきちゃんとしゃしん
⑦パパとしゃしん
⑧みんなでしゃしん
写真が三種類あった。
「⑥と⑦と⑧って、結局同じやつじゃないのか」
「ちがうもん。さきちゃんとのやつと、パパとのやつと、みんなのやつ、ぜんぶちがう」
「…………」
「あとね、これ」
みくがリストの裏を見せた。
花火らしき絵が、画面いっぱいに描いてあった。赤と黄色のクレヨンで塗られた、丸い爆発みたいなもの。その下に、棒人間が三本並んでいる。
「これ、だれだ」
「みくとパパとさきちゃん!」
「どれがどれだ」
「まんなかがみく! みぎがパパ! ひだりがさきちゃん!」
真ん中の棒人間が一番大きかった。本人の中では主役らしい。
「上手いじゃねえか」
「でしょー!」
みくはリストを受け取り、大切そうに折り畳んで、自分のバッグの中に入れた。
小さなショルダーバッグだ。お祭り用に、どこかで決めてきたのだろう。
「咲ちゃん、まだ帰ってこないかな」
「用事あるって言ってなかったか、今日」
「えー。はやくかえってきてほしい」
「明日会うだろ」
「でも今日も会いたい」
言い返せなかった。
夜。
咲からラインが来た。
『みくちゃんに会いたかったけどもう寝てるかな』
時計を見た。九時を過ぎていた。
『さっき寝た』
『そっか。残念。明日楽しみにしてるって伝えといて』
俺はスマホを置いた。
みくにそのまま伝えたら、明日の朝にまた大騒ぎになる。起き抜けに「咲ちゃんも楽しみにしてた!」と叫ばれるのは確実だ。
ベランダに出た。
蒸し暑い夜風が、肌にまとわりつく。プランターのブルースターを見る。蕾が、また少し大きくなっていた。
もうすぐ咲きそうだった。
部屋に戻ろうとして、テーブルの上のものが目に入った。
みくが書いた、準備リストだ。
折り畳んで鞄に入れたはずだったのに、広げてテーブルに置いてある。もう一度見たくなったのか、それとも誰かに見せたかったのか。
手に取った。
【はなびのひやること】
⑥さきちゃんとしゃしん
⑦パパとしゃしん
⑧みんなでしゃしん
「……まったく…。」
小さく呟いた。
折り畳んで、テーブルの端に置いた。
そのまま、そこを離れた。
二歩歩く。
振り返る。
もう一度だけ、その紙を見る。
それから部屋の電気を消した。




