第34話 夏祭りの約束
休日の昼下がり。
外は蒸し暑いが、エアコンの効いたリビングは快適だった。
俺はソファで寝転がりながらスマホをいじり、みくは床に座ってテレビを見ている。咲はキッチンで、遅めの昼食の後片付けをしていた。
「パパ!!」
突然、みくがテレビ画面を指差して大きな声を上げた。
「なんだよ、大きな声出してどうした?」
「これいきたい!!」
みくが指差すテレビ画面には、地域の情報番組が映っていた。今週末に開催される、隣町の花火大会の特集らしい。夜空に打ち上がる色鮮やかな花火、ズラリと並ぶ屋台、浴衣姿の人々。
「花火大会か……」
「いきたい! みく、はなびみる!」
「人多いぞ。迷子になる」
俺が適当に流そうとすると、キッチンから咲が顔を出した。
「いいんじゃない? 花火大会」
「咲まで」
「だって、みくちゃん行きたがってるし。私も今年、まだお祭り行ってないから」
咲がエプロンで手を拭きながら、リビングにやってくる。
「やったー! 咲ちゃんもいく!」
みくがピョンピョンと跳ねる。
「みくね、わたあめ食べる! あとりんごあめ! あとたこやき!」
この前、コンビニでアイスを二本食べて腹を壊したばかりだろ。
「もうアイスたべない」と泣いていたのに、人間の決意というのは驚くほど長持ちしないな。
「まったく、どんだけ食う気だよ」
「かきごおりも! いちご味!」
「腹壊すぞ」
「あと、きんぎょすくい! パパ、きんぎょすくえる?」
「……まあ、普通には」
「みくはいっぱーいすくう!」
こいつは前に縁日の金魚すくい動画を見て、「みくなら十ぴきいける」と豪語していた。
根拠は不明だが、咲がその様子を見て、くすくすと笑っている。
「みくちゃん、欲張りだね」
「だって、おまつりだもん!」
おまつりだもん、で全部解決するのか。まあ、するんだろう。みくの中では。
「ちょっと調べてみるね」
咲がスマホを取り出し、ソファに座る。俺は身体を起こし、咲の隣に座った。
「規模は……あ、結構大きいみたい。屋台もいっぱい出るって」
咲がスマホの画面をスクロールする。俺は少し身を乗り出し、横から画面を覗き込んだ。
「うーん……会場の近くは交通規制かかるみたい。駅から歩いたほうがいいかも」
「じゃあ電車で少し早く出れば……」
「規模は……あ、結構大きいみたい。屋台もいっぱい出るって」
咲がスマホをスクロールする。
俺は少し身を乗り出して画面を覗いた。
「人、多そうだな」
「うん。結構有名みたい」
「帰り混みそうだな」
「たぶんね」
画面を追っているうちに、肩が少し触れた。
でも、お互い特に気にしなかった。
咲はそのまま画面をスクロールしている。
「花火は七時からか」
「みたいだね」
そのまま会話を続けた。
「みくもみる!」
俺と咲の間に、みくがぐいっと割り込んできた。遠慮というものを、こいつはどこで習い忘れてきたんだ。
「ほら、みくちゃん。花火の写真」
咲が画面を見せる。夜空いっぱいに広がる、大輪の花火。赤、青、緑、金色の光が画面越しでも伝わってくるほど鮮やかだった。
「すごい……」
みくが、目を輝かせて画面を見つめている。口が半開きになっている。まだ写真なのに、この反応だ。本物を見たら、どうなるんだ。
隣の咲も、いつの間にかスマホではなく、みくの顔を見ていた。
俺も同じだった。
「みくね」
みくが、ふいに画面から顔を上げた。俺と咲を交互に見る。
「三人でいきたい」
俺は、次の言葉が出てこなかった。
否定する理由は、どこにもない。でも、すぐに答えられなかった。
三人で。
何でもないような五文字だ。なのに、みくはこともなげに言う。
咲が、柔らかく微笑んだ。
「うん。行こうね、三人で」
俺も、遅れて口を開いた。
「……約束な」
「やったー!」
みくが両手を挙げて喜ぶ。
「パパ、ゆびきり!」
みくが小指を差し出す。俺は苦笑しながら、自分の小指を絡めた。
「咲ちゃんも!」
咲も笑って、小指を出す。三人の小指が、不器用に絡み合う。
「ゆびきりげんまん、うそついたらハリセンボン、のーます!」
みくが元気よく歌う。指を離すと、みくは満足そうに「えへへ」と笑った。
俺と咲は顔を見合わせた。何か言うわけでもなく、少し笑っただけだった。
夜。
みくが風呂に入っている間、俺はベランダに出た。蒸し暑い空気が肌にまとわりつく。
プランターのブルースターを見る。緑の葉の間に、蕾がいくつもついていた。以前よりも確実に大きくなっている。毎日、咲が水をやり、俺たちが気にかけてきた蕾だ。
「……もうすぐだな」
俺は小さく呟いた。
「パパー! 花火の日いつー!?」
部屋の中から、みくの大きな声が飛んでくる。風呂から上がって三分も経っていないはずだ。
「今週末だよって、さっき言ったでしょー」
咲の声が続く。呆れているけれど、笑っている。
「さっきって、いつー?」
「花火の写真見てたときー」
「おぼえてないー」
さっきまであんなにテンションが高かったのに、もう忘れたのか。みくの頭の中は、どういう構造になっているんだ。
「パパー! きいてるー!?」
俺は振り返り、網戸を開けた。
「今週末だっつってんだろ」
部屋の中から、みくの「やったー」が聞こえた。




