第26話 なんか、面白くない
文化祭まであと一週間。
放課後の教室は、段ボールの切れ端と絵の具の匂いで満たされていた。
俺は教室の後方で、模擬店の看板作りに取り掛かっていた。
この前の俺の一件以来、クラスの連中も咲への接し方が少し変わった。相変わらず頼りにはされているが、あからさまな雑務の丸投げはなくなった。
それでいい。
俺は看板の枠を定規で測りながら、そう思った。
「藤原さーん、ちょっといい?」
教室の入り口から、声がした。
隣のクラスのやつだ。バスケ部の、声がやたらでかいやつ。
「あ、うん。どうしたの?」
咲がペンを置いて入り口へ向かう。
「うちのクラスのポスター、藤原さんのデザイン参考にさせてもらってるんだけどさ。ここの色使い、ちょっと見てくれない?」
「え、私ので参考になるかな? どれどれ……」
二人が廊下で、スマホの画面を覗き込むようにして話し始める。
俺は定規を持ったまま、手を止めた。
距離が近い。
いや、画面を一緒に見てるんだから、当然だ。
咲が、何かを指差して笑った。
あいつも、それを見て笑った。
俺は、定規をおろした。
別に普通だ。
文化祭の準備で、他クラスのやつと情報交換するなんて、よくある。咲は愛想がいいし、デザインのセンスもある。頼られるのも当然だ。
別に普通だ。
普通、なのに。
「……なんか、面白くない」
気づいたら、口から出ていた。
「え? なんか言った?」
隣で看板の文字を塗っていた田中が、顔を上げた。
「……なんでもない」
「そっか。なあ、文化祭どこ回る? クレープ売れそうじゃね、3組」
「知らん」
「冷たっ。まあ準備終わる気しねえけどな、こっちも」
田中がまた筆を動かし始める。
俺も定規を持ち直す。
廊下では、まだあいつが咲に話しかけていた。
作業に集中しろ。
俺は線を引いた。
歪んだ。
それから一時間。
放課後の片付けが終わって、ほとんどのやつが帰った。
田中も「じゃあな」と帰り、教室には数人しか残っていない。
俺はまだ看板の続きをやっていた。
終わらないからだ。定規で引いた線が歪んだせいで、やり直しになった。
俺のせいだ。
「……渡くん、まだいたんだ」
声がして顔を上げると、咲が段ボールの切れ端を袋にまとめながら、こちらを見ていた。
「看板、やり直しになった」
「そうなんだ。……手伝おうか?」
「いい」
「そっか」
咲は袋を縛って、窓の近くの席に座った。
自分の装飾作業の続きをやるらしい。
なんで帰らないんだ。
いや、残って作業してる人間がいるのは普通だ。
俺が変なだけだ。
教室に、二人だけになった。
気づいたら、他のやつはみんな帰っていた。
咲がハサミを動かす音。
俺が定規を引く音。
それだけだった。
何か話しかけろ。
この変な空気、どうにかしろ。
「……咲」
「うん?」
返事が来てから、何も続けられなかった。
言おうとしたことが、頭から消えた。
「……何?」
「……いや、なんでもない」
「……そっか」
咲は手元に視線を戻した。
くそっ。
何が「なんでもない」だ。
文化祭の話でも、準備の話でも、なんでもよかったのに。
声を出す直前に、なんで頭が真っ白になって全部消えるんだ。
日が傾いて、教室が少しオレンジ色になった。
俺はもう一度、線を引く。
今度は歪まなかった。
「……きれいじゃん」
咲が、横から覗き込んでいた。
近い。
俺は少し体を引いた。
「……まあ、やり直したし」
「うん。でも、ちゃんとできてる」
咲が、ふっと笑った。
別に大したことは言ってない。
ただそれだけなのに。
昼間、廊下であいつと笑ってたのと、なんか違う気がした。
なんか違う。
どう違うのかは、分からない。
分からないけど、なんか違った。
俺は看板に視線を戻した。
窓の外が暗くなり始めたころ、咲が立ち上がった。
「そろそろ帰る。渡くんは?」
「……俺も終わった」
二人で道具をしまう。
椅子を戻して、電気を消す。
廊下に出ると、もう職員室の灯りくらいしかついていなかった。
靴箱まで、並んで歩く。
「……看板、間に合いそうだな」
自分でも、何でそんなことを言ったのか分からなかった。
「うん。結構いい感じだったよ」
「……そうか」
「やり直したんでしょ?」
「まあ」
それだけだった。
でも、不思議と沈黙は前より重くなかった。
昇降口で、咲が靴を履き替えた。
俺も履き替える。
扉を出ると、夜風が冷たかった。
「じゃあ、またね」
「……おう」
咲が歩き出す。
俺は少しだけ、その後ろ姿を見た。
今日、あいつと笑ってたとき。
俺はたまらなく腹が立った。
理由は分からない。
分からないけど、面白くなかった。
でも。
さっき教室で、「きれいじゃん」って言われた時。
なんか、その辺のことを全部忘れていた。
いや、忘れていたっていうのも違う。
腹が立ってたはずなのに。
今は別の意味で落ち着かない。
意味が分からない。
「あぁ〜……」
頭をぐしゃぐしゃとかく。
「わかんねぇ……」
人は意外と、自分の気持ちが一番分からなかったりします。
渡も何やら悩んでいるようですが、本人だけがまだ答えに辿り着いていません。
文化祭まであと一週間です。




