第20話 静かすぎる部屋
スマホが震えた。
『ごめん。今日、実家の用事で行けなくなった。晩ごはん、二人で適当に食べて』
「……了解」
二文字だけ返して、ポケットに突っ込んだ。
「パパ、咲ちゃんは?」
玄関まで迎えに来たみくが、俺の後ろを覗き込む。
「今日は来れない。実家の用事だって」
「……そっか」
みくの肩が、すとんと落ちた。俺も何も言わず、キッチンへ向かった。
キッチンに立って、なんか変だった。
視界の端、壁のフック。咲のエプロンがない。そういえば、昨日、洗うって持って帰ったんだった。
冷蔵庫を開けると、豆腐と賞味期限が近いひき肉がある。あとは咲が作り置きしてくれたきんぴらが少し。
「……麻婆豆腐でいいか」
「うん……」
みくの声が、リビングからぼんやり返ってくる。
フライパンを火にかける。油がはねる音が、なんかやけに大きく聞こえた。ひき肉を炒めて、豆腐を切って、目分量で味付けする。味噌汁も作った。乾燥わかめと豆腐だけの、適当なやつ。
味見して、眉をひそめた。
薄い。なんか違う。咲がいつもやってる昆布どうこうとか、俺はそういう手間を全部飛ばした。沸騰する前に何かを引き上げてるのを何度か見たことがあったけど、何をどのタイミングでやってたのか、全然覚えていない。
炊飯器を開ける。米が少し硬かった。
やばい。水の量、間違えたかもしれない。
「いただきます……」
みくが元気のない声で手を合わせた。
テレビをつけたら、バラエティの笑い声がうるさくて、すぐ消した。
カチャ、カチャ。箸の音だけが部屋に響く。
いつもはここで、みくが「咲ちゃんのご飯おいしい!」とか言って、咲が「ありがとう」と返して、俺が「お世辞うまいな」とかツッコむ。そういう流れが、なんとなくあった。
今日は何もない。
カチャ、カチャ。
冷蔵庫が唸っている。ブーン、ブーン。前もこの音、してたはずだ。なんで今日はこんな気になるんだ。
「パパ、今日しずかだね」
みくが麻婆豆腐をスプーンでいじりながら言った。
「……テレビ消したからだろ」
「ちがう。なんか、しずか。咲ちゃんがいないと、お部屋が広いね」
「……飯食え。冷めるぞ」
硬い米を飲み込んだ。
みくは半分くらいで箸を止めて、あとはスプーンで麻婆豆腐だけをゆっくり食べていた。文句は言わなかった。それが余計、なんか変だった。
食器を洗って、みくを風呂に入れて、寝かしつけた。
一人になり、ソファに座る。テレビをつける気がしなかった。スマホを見る気もしなかった。
ベランダに出た。
夜風が冷たい。ブルースターの葉が、心なしか萎れているような気がした。ペットボトルに水を入れてきて、根元にかける。
暗い中でしばらく眺めた。
特に何も考えていなかった。ただ、部屋に戻る気にならなかった。
結局また部屋に戻って、麦茶を取り出そうとして、ポットが空なのに気づいた。
咲がいつも帰る前に作り置きしていくやつ。今日はいないから、当然ない。
水道水をコップに入れて飲んだ。
ソファに座る。冷蔵庫が唸っている。
ピロン。
スマホを取り上げた。思ったより早く手が動いた。
『みくちゃん、寝た?』
咲からだった。
俺は少し止まって、返信を打った。
『今寝た』
すぐ既読がつく。
『そっか。よかった。また明日ね。おやすみ』
スマホを伏せた。
冷蔵庫が唸っている。
さっきよりは、なんか、気にならなかった。
読んでいただきありがとうございます。
「今日は来れない」という連絡一つで、ここまで調子が狂ってしまう渡くん(笑)
いつもは「うるさい」なんて顔をしていても、身体は正直に咲さんのリズムを求めていたようです。
最後のメッセージ一通で冷蔵庫の音が気にならなくなるあたり、もう完全に「手遅れ」ですね。




